「王と妃」 第67話 ユン氏の胸中 とあらすじネタバレ感想
67話 ユン氏の胸中 あらすじ
(´;ω;`)
部屋の外で聞いていたチョン内官とパク尚宮も涙しました。
首陽大君の家では酒と料理がふるまわれていました。ヒャンイはミョンフェの妻にも取り入るようにすすめました。
首陽大君は左議政のシン・スクチュに領議政を任せたいと頼みました。チョン・インジは職を辞して集賢殿で後進を育成したいと述べました。首陽大君は実録に悪く書かれないようにチョン・インジに管理するように暗に命令していました。首陽大君は世宗大王の王統が崩れたことに対する反発を警戒していました。部屋の外で立ち聞きしていたハン・ミョンフェは「おめでとうございます」とシン・スクチュに言い、スクチュの背中を憎しみの目で見つめました。
ハン・ミョンフェは錦城大君と恵嬪も皆殺しにするべきだと首陽大君に言いました。首陽大君は背を背けました。
首陽大君「先ほど私は甥と約束したのだ。」
ハン・ミョンフェ「過去の約束などに囚われないでください。」
首陽大君は正妻のユン氏の部屋に行きました。ハン・ミョンフェはご機嫌でした。ユン氏は端宗殿下のために仏さまに祈っていいたので端宗殿下に合わせる顔がありませんと言いました。
首陽大君「それ以上何も言うな。王位には就いたが私もつらいのだ。好き好んで王位に就いたわけではない。」
嘘ばっかり(´・ω・`)
朝鮮王朝実録によると、端宗が首陽大君に譲位した時に、彼は忠清道(チュンチョンド)観察使だった。「世祖(首陽大君)が即位した日、パク・ペンニョンは慶会楼(キョンフェル、景福宮にある楼閣)で自決しようとしたが、ソン・サンムが制しした」このように「燃藜室(ヨルリョシル、朝鮮時代の外史の叢書)記述」は記録している。だた「実録」にあるように忠清道(チュンチョンド)観察使だった彼が都にいたはずがない。「燃藜室記述」の記録は「死六臣」の忠節を際立たせるために誇張されたものだろう。だからといって彼らの忠節が色あせるわけではない。
要するに、ねつ造・・・(´・ω・`)
パク・ペンニョンはソン・サンムンの家をたずねました。
パク・ペンニョン「譲位に手を貸すくらいなら死んだほうがマシだ。首陽大君が怖かったのか?」
ソン・サンムン「私がやってよかったのだ。ハン・ミョンフェなどが運んだら上王様の恥辱になるだろう。だから私の手で渡したのだ。おおいにののしるがよい。」
パク・ペンニョン「これは血の涙だ。」
ソン・サンムン「泣くな。いくら憤慨して涙しても上王様のためにならぬ。」
ソン・サンムンも涙を流していました。
ソン・サンムン「学者は原則のためなら死をも恐れぬもの。だが私は原則を守れなかった。」
パク・ペンニョン「サンムン、そなたの本心が分かった。」
ソン・サンムン「原則を守るために死ねるならそれが私の本望だ。」
パク・ペンニョン「すまぬ。そなたを誤解していた首陽大君に玉璽を渡したときもつらかっただろうな。すまないサンムン。」
ハン・ミョンフェ「図々しい。譲位したら康寧殿(カンニョンジョン)を明け渡さねば!」
シン・スクチュ「放っておけ、彼ももどかしいのだろう。」
クォン・ラム「上王様がみすぼらしい寿康宮へお移りになられば殿下への非難の声が高まります。」
じじいのくせに子供に酷い言いようである(´・ω・`)
重臣たちは首陽大君の家が宮殿だと言い、首陽大君の屋敷に毎日出勤していました。
首陽大君は自宅から平服で宮殿に向かいました。
重臣は正装で行くべきだと諭しました。首陽大君は朝晩上王様に挨拶に行くので正装では民に迷惑がかかると言いました。重臣たちは「すぐにまんがかうにだちゅーなー」と言いました。
首陽大君は宮殿で正装し、端宗を訪問していました。端宗は無邪気にも楽しそうに朝食を食べてていました。
端宗「朝の挨拶なんてとんでもない。一緒に食べましょう叔父上。何をしているのだ。叔父上にも菓子の用意を。」
首陽大君は楽しそうな端宗と王妃と側室たちを意味ありげに見つめていました。
(内心ではさんざん苦しめたはずが楽しそうなので殺す!と思っていたのでしょうね。)
ハン・ミョンフェは「もう寛容をお示しになられぬほうが・・・」と首陽大君に助言しました。
首陽大君はパク・ペンニョンを兵曹参判(儀礼・学問機関の次官)、ソン・サンムンを礼曹参議(儀礼・学問機関の高官)、ハ・ウィジは礼曹参判・・・に任命しました。
ハン・ミョンフェ「どうして集賢殿の学士を重用されるのですか。」
首陽大君「はっはっはっは。そなたは嫉妬深いな。科挙に落ちたからと、集賢殿の学者らをねたんではならんぞ。はっはっはっは」
首陽大君の罠かも(´・ω・`)
首陽大君はソン・ヒョンスを判敦寧府事(パントンニョンブサ、名ばかりの職で勲旧大臣に次ぐ地位)に任命しました。娘は首陽大君は父を抱き込むつもりだと言いました。ソン・ヒョンスは当分は端宗殿下を害さないということでしょうと楽観視しました。
ハン・ミョンフェは寛容を示す首陽大君を理解できずに飲んだくれて怒っていました。ホン・ユンソンは「兄貴」とご機嫌取りに苦労しました。ホン・ユンソンはオム・ジャチを流刑地につく前に殺すと約束しました。
首陽大君は「おいおい片づければよいではありませんか。はっはっはっは。」と譲寧大君に言いました。
首陽大君「やはり、殺すべきでしょうね。」
譲寧大君「そうです。」
(さんざん痛めつけられ傷つけられても端宗が無理して虚勢を張って楽しくしている様子が憎かったのですね。それだけで殺すとは・・・話の流れとして酷いですね。)
オム・ジャチは牛車に押送されていました。ホン・ユンソンの命を受けた兵士は役人を人払いをしてオム・ジャチを檻から落としました。そしてオム・ジャチを殴り暗殺しました。
実録にはオム・ジャチが押送中に絶命したとだけ書かれていました。
桃源君夫人ハン氏は世子妃となりました。世子妃ハン氏はヒャンイたちに囲まれて喜びあいました。一方で王妃ユン氏は王妃の服を着るつもりはないわと尚宮に言いました。
世子妃「とうとう私の願いが叶ったわ。私の尽力のおかげでそなたは王の孫よ。そうですとも。そなたは王位を継承するのよ。」
首陽大君は正妻のユン氏の部屋に行きました。ハン・ミョンフェはご機嫌でした。ユン氏は端宗殿下のために仏さまに祈っていいたので端宗殿下に合わせる顔がありませんと言いました。
首陽大君「それ以上何も言うな。王位には就いたが私もつらいのだ。好き好んで王位に就いたわけではない。」
嘘ばっかり(´・ω・`)
パク・ペンニョン
朝鮮王朝実録によると、端宗が首陽大君に譲位した時に、彼は忠清道(チュンチョンド)観察使だった。「世祖(首陽大君)が即位した日、パク・ペンニョンは慶会楼(キョンフェル、景福宮にある楼閣)で自決しようとしたが、ソン・サンムが制しした」このように「燃藜室(ヨルリョシル、朝鮮時代の外史の叢書)記述」は記録している。だた「実録」にあるように忠清道(チュンチョンド)観察使だった彼が都にいたはずがない。「燃藜室記述」の記録は「死六臣」の忠節を際立たせるために誇張されたものだろう。だからといって彼らの忠節が色あせるわけではない。要するに、ねつ造・・・(´・ω・`)
パク・ペンニョンはソン・サンムンの家をたずねました。
パク・ペンニョン「譲位に手を貸すくらいなら死んだほうがマシだ。首陽大君が怖かったのか?」
ソン・サンムン「私がやってよかったのだ。ハン・ミョンフェなどが運んだら上王様の恥辱になるだろう。だから私の手で渡したのだ。おおいにののしるがよい。」
パク・ペンニョン「これは血の涙だ。」
ソン・サンムン「泣くな。いくら憤慨して涙しても上王様のためにならぬ。」
ソン・サンムンも涙を流していました。
ソン・サンムン「学者は原則のためなら死をも恐れぬもの。だが私は原則を守れなかった。」
パク・ペンニョン「サンムン、そなたの本心が分かった。」
ソン・サンムン「原則を守るために死ねるならそれが私の本望だ。」
パク・ペンニョン「すまぬ。そなたを誤解していた首陽大君に玉璽を渡したときもつらかっただろうな。すまないサンムン。」
ソン・スン。号は赤谷。出身地は昌寧(チャンニョン)であり、ソン・サンムンの父親だ。武科の試験に及第し都聰管(トチョングァン)にまで昇った。ソン・スンは死六臣の精神的な支えだった。行動派の真の武人だった。端宗は寿康宮に移ることになりました。情勢に疎いホン淑儀は今頃首陽大君は酷いを言い始めました。
ハン・ミョンフェ「図々しい。譲位したら康寧殿(カンニョンジョン)を明け渡さねば!」
シン・スクチュ「放っておけ、彼ももどかしいのだろう。」
クォン・ラム「上王様がみすぼらしい寿康宮へお移りになられば殿下への非難の声が高まります。」
じじいのくせに子供に酷い言いようである(´・ω・`)
重臣たちは首陽大君の家が宮殿だと言い、首陽大君の屋敷に毎日出勤していました。
首陽大君は自宅から平服で宮殿に向かいました。
重臣は正装で行くべきだと諭しました。首陽大君は朝晩上王様に挨拶に行くので正装では民に迷惑がかかると言いました。重臣たちは「すぐにまんがかうにだちゅーなー」と言いました。
首陽大君は宮殿で正装し、端宗を訪問していました。端宗は無邪気にも楽しそうに朝食を食べてていました。
端宗「朝の挨拶なんてとんでもない。一緒に食べましょう叔父上。何をしているのだ。叔父上にも菓子の用意を。」
首陽大君は楽しそうな端宗と王妃と側室たちを意味ありげに見つめていました。
(内心ではさんざん苦しめたはずが楽しそうなので殺す!と思っていたのでしょうね。)
ハン・ミョンフェは「もう寛容をお示しになられぬほうが・・・」と首陽大君に助言しました。
首陽大君はパク・ペンニョンを兵曹参判(儀礼・学問機関の次官)、ソン・サンムンを礼曹参議(儀礼・学問機関の高官)、ハ・ウィジは礼曹参判・・・に任命しました。
ハン・ミョンフェ「どうして集賢殿の学士を重用されるのですか。」
首陽大君「はっはっはっは。そなたは嫉妬深いな。科挙に落ちたからと、集賢殿の学者らをねたんではならんぞ。はっはっはっは」
首陽大君の罠かも(´・ω・`)
首陽大君はソン・ヒョンスを判敦寧府事(パントンニョンブサ、名ばかりの職で勲旧大臣に次ぐ地位)に任命しました。娘は首陽大君は父を抱き込むつもりだと言いました。ソン・ヒョンスは当分は端宗殿下を害さないということでしょうと楽観視しました。
ハン・ミョンフェは寛容を示す首陽大君を理解できずに飲んだくれて怒っていました。ホン・ユンソンは「兄貴」とご機嫌取りに苦労しました。ホン・ユンソンはオム・ジャチを流刑地につく前に殺すと約束しました。
首陽大君は「おいおい片づければよいではありませんか。はっはっはっは。」と譲寧大君に言いました。
首陽大君「やはり、殺すべきでしょうね。」
譲寧大君「そうです。」
(さんざん痛めつけられ傷つけられても端宗が無理して虚勢を張って楽しくしている様子が憎かったのですね。それだけで殺すとは・・・話の流れとして酷いですね。)
オム・ジャチは牛車に押送されていました。ホン・ユンソンの命を受けた兵士は役人を人払いをしてオム・ジャチを檻から落としました。そしてオム・ジャチを殴り暗殺しました。
実録にはオム・ジャチが押送中に絶命したとだけ書かれていました。
桃源君夫人ハン氏は世子妃となりました。世子妃ハン氏はヒャンイたちに囲まれて喜びあいました。一方で王妃ユン氏は王妃の服を着るつもりはないわと尚宮に言いました。
世子妃「とうとう私の願いが叶ったわ。私の尽力のおかげでそなたは王の孫よ。そうですとも。そなたは王位を継承するのよ。」
感想
朝鮮は悪がのさばる世の中となりましたね。これからどうなるのでしょうか。きっと世祖の世は世の中は腐敗していくのでしょうね。