韓国ドラマチョン・ドジョン鄭道伝32話のあらすじネタバレ感想
きょうは興味があったので、超~長いです。
あらすじ
朝会で門下待中イ・セク(牧隠)は守門下待中イ・ソンゲを連れて一緒に明に王昌(ワン・チャン)の任命書を受け取りに行こうといいました。考える時間をくださいといったイ・ソンゲをイ・セクは「恥ずかしいとは思わないのか」とイ・ソンゲを重臣たちの前で侮辱しました。
何とか難を乗り切ったイ・ソンゲたちのところに牧隠の手下の士大夫(陶隠、陽村、枝梅堂)が押しかけて理論を武器に明に行くように騒ぎ立てました。口達者なやつらだとイ・ジランは腹を立てました。これははじまりに過ぎないとチョン・ドジョンはいいました。
圃隱(ポウン)チョン・モンジュは牧隠(モグン)イ・セクにこれではあなたの陰謀ですといいました。牧隠はチョン・ドジョンたちが国を揺さぶろうとしているとチョン・モンジュにいいました。牧隠は国を正しくするためにもイ・ソンゲ一派には消えてもらう、そろそろイ・ソンゲとドジョンへの思いを断ち切れと牧隠は圃隱に言いました。その後、チョン・モンジュの前にすぐに現れたチョン・ドジョンは「"イ・セク様"と反対の意見を伝えに来た。イ・セクを抑えてくれないか」とモンジュに頼みました。師匠をイ・セク様と呼ぶドジョンに「もう私には協力を求めないでくれ」道理を無視したドジョンたちにチョン・モンジュは失望して去りました。
大妃と王妃はイ・ソンゲを呼び出し明に行くように頼みました。イ・ソンゲは「きちんと考えてから結論を出します、失礼します」と明言を避けました。
イ・ソンゲは母屋に閉じこもっていました。チョン・ドジョンはイ・バンウォンに意見を求めました。バンウォンは排除するべきだといいました。チョン・ドジョンは明に行って流刑死になった師兄のキム・グヨン(金丘庸)の絶命詩「大理城はどこだ。三韓の地は遠のく。江山に人の顔はやつれ、風月に旅人の魂は消える」を読みました。明に行くということはすなわちイ・ソンゲの死を意味していました。「バンウォン、何を言いたいかもうわかるな?」
イ・バンウォンは父のかわりに明に行くと父と義母カン氏に言いました。朱元璋はイ・ソンゲを天秤にかけるので自分は生きて帰れる可能性があるとバンゥオンはいいました。王様に直談判するといきりたつイ・ソンゲにドジョンは「何かあれば家族は皆殺しです」といいました。政治は戦よりも残酷で家族の命を奪うものですとドジョンはいいました。バンウォンは父に人質となる許しを求めました。
チョン・ドジョンはイ・セクに交渉を持ち掛けました。バンウォンを使臣とすることを認めなければイ・ソンゲは病床に臥せって明に行くことはできないといいました。そうなるとどちらかが命を落とす戦いになるだろうとドジョンはイ・セクを脅しました。そして朝廷の要職3割をイ・セクに渡すといいました。ドジョンは帰省するまで改革は中断しますといいました。イ・セクは自分がいない間に裏切るのではないかと腹を立てました。ドジョンはイ・ソンゲは命よりもかわいバンウォンを差し出すのだからとイ・セクを説得しました。
イ・ソンゲに挨拶をするイ・バンウォンはイ・セクと南京に旅立つのでした。第二婦人のカン氏は徹夜して縫った手縫いの筆袋をバンウォンにあげました。
イ・セク「守待中が残ってくださるので安心です。ご子息は私がお守りします(バンウォンの命は私が預かっています)。」
牧隠とバンウォンが旅立ったその日から、チェ・ヨンを処刑するように山のような上奏がイ・ソンゲに届きました。圃隱は使臣となった牧隠と李芳遠の安全を守るためにも崔瑩の処刑に積極的に賛成しました。
夜、崔瑩は李成桂に会いたいといいました。李成桂は崔瑩のいる牢屋に行きました。
崔瑩「待っていたぞ」
李成桂「いかなる言い訳もしません。理解してくれとも・・・許してくれとも言いません」
崔瑩「お前を咎めるために呼んだのではない。これも天のご意思だ。過去にとらわれるのは男の生き方ではない。お前に頼みがあって呼んだ。私は死んだら高麗を守る亡霊となる。お前は高麗を守る番人になるのだ。そうしてくれぬか?息子のように思っていたお前に残す最後の言葉だ。私の遺言だと思って聞き入れてくれ。」
李成桂「チェ将軍。これだけはお約束します。必ずいいよの中を作ります。」
崔瑩「いい世の中?」
李成桂「はい。いずれあの世でお会いする日が来るでしょう。その時は恥じることのないそんな世の中を作り上げたいと思っています。」
李成桂は崔瑩に拝礼しました。
翌日、崔瑩は遼東征伐を命じて国を危機に陥れた罪、君主を操った罪でチョ・ジュンに死刑を言い渡されました。
崔瑩「生涯一時でも欲を抱いたのなら私の墓に草が生えるでしょう。天に誓って一点の曇りもなければ墓に草は生えないでしょう。大高麗帝国万歳。」
崔瑩は斬首されました。イ・ソンゲは天を向き涙を流していました。民たちも崔瑩の死を悲しんでいました。崔瑩はまさに高麗の忠臣で武将として優れた功績を多数残しておりましたが政治には疎いようで、民に愛された(ている)将軍でした。
ドジョンは李成桂に薬になる食べ物を持ってきました。イ・セクが帰ってくるまでに体調を整えておいてくださいとドジョンはいいました。明へ行った使臣が高麗に帰国した知らせが届きました(1389年)。
(はやっ)
急進派と穏健派の士大夫は田制改革で対立しました。穏健派は一つの田に多くて7人もの地主がいるのでそれを一田一主制に改革しましょうと譲歩しました。私田は国を滅ぼすもとである、井田制を廃すれば15年で国が滅びたと急進派のユン・ソジョンは譲歩案に反対しました。ドジョンたちはイ・セク派の士大夫たちが自分たちに別の疑いを持っていると思いました。穏健派は多数決で決めましょうと提案してきました。
「多数決にしたら勝者も敗者も傷を負うでしょう、一田一主制も一理あります、ここはあなた様が譲歩されては?」チョン・モンジュは李成桂にいいました。地主にイ将軍に頭を下げさせる気かというドジョン。「賢い人には心の中まで筒抜けだ、占い師顔負けだ」とイ・ソンゲはモンジュを褒めました。ドジョンは多数決に応じるようにイ・ソンゲに助言しました。
多数決にしようというイ・セクにチョン・モンジュはそうなれば議論よりも人数の確保に走る政治になるでしょうとチョン・モンジュは反対しました。イ・ソンゲは賛成しましたら、チョン・モンジュは私は棄権しますと部屋を出ていきました。
田制改革についての多数決が行われました。結果はイ・セク派の多数になりました。一田一主制に決まりました。
チョン・ドジョンはイ・セク派を一掃するので内偵に取り掛かれとチョ・ジュンに頼みました。
ウ王はこの話をきいて笑いました。キム・ジョが呼ばれてウ王に会いました。
李成桂は「いい世の中を作りたい」飲んだくれていました。
チョ・ジュンは崔瑩将軍を殺された恨みをどう晴らせばよいのでしょうとウ王に尋ねました。政局は復位の声が高まっていました。チョ・ジュンらはイ・ソンゲからウ王をお守りしますといいました。ウ王は短剣をチョ・ジュンに授けてその剣を私と思い、イ・ソンゲを暗殺してくださいと命じました。
感想
実はあらすじを書いてる途中に手が痺れてきちゃってwしばらくはキッチンでカルボナーラを作ってました。たまたま生クリームとニンニクがあったのでー。とろけるチーズでも十分代用できました。美味しかった!塩のかわりにコンソメを使いましたら酸味がでちゃいました。カルボナーラにはグアンチャーレという豚肉やパンチェッタ、ぺリコーノ・ロマーノというチーズを使いますと本格的になるようです。がんばって物語の解説もしていますので、よかったら見ていってくださいね ^^) _旦~~私も全部は解説できてはいないので、録画もしてないのでリアルタイムで書ききれないところはあるんですが、また読みに来てくださるとうれしいです。
さて、いよいよ高麗王朝と貴族の利権を守る最後の壁「士大夫(サデブ)」というインテリ集団です。これまでは権勢門下という権力者の親玉、そして武人の親玉という2枚の大砦をひっぺがしたら最後に残っていたのはずるがしこい頭脳集団でした(笑)。当たり前といえば当たり前ですが、高麗王朝を構成していたのは、貴族の頭>武人の頭>インテリの頭が三位一体となって王権を守っていましたから地方の武人にとってはさぞや壁はぶ厚かっただろうと思います。ひとつひとつの岩を取り除くたびに仲間が増えていき、最後に残ったずる賢いサルを倒すには、チョン・ドジョンのような士大夫の策士が必要だったのでした。
今回は明らかにチョン・モンジュが浮いてきましたね。ぷかぷかと浮かび上がって綿菓子のようです。なめると甘い(笑)。甘い言葉を出すのでみんなから愛されて日本の武士にも尊敬されていたチョン・モンジュ。彼は政治的中立という細い蜘蛛の糸の上を歩いています。政治的に中立の立場で政治の中枢にいるということは実は危険なことのようですね。どちらからみても危うい人物にしか見えませんから、ドジョンみたいに助けてくれる人がいないとすぐに踏みつぶされてしまうのです。
ここで田制改革についてちょっと見てきましょう。イ・セク派の士大夫が主張した一田一主制度とは何なのでしょう。それまでの一田三~七主制とはいったい何なのでしょうか?私にもさっぱりわかりません(笑)ちょっと調べてみたら中国語か韓国語で書いてあるページがありました。もちろん中身は読めませんw
まぢで調べました。
それと、チョン・モンジュが議論して決めないと多数決では議論を深めるよりも頭数をそろえるだけで中身のない政治になってしまうといって多数決に反対していたところは、ほんとうに現代もその通りだと思いましたw自分の考えなんかなくても味方の言う通りにしようぜ!という「頭からっぽで考えなくても決められる」バカな政治家を量産するやり方がよいはずがありません。
王権と結託した権勢家は大規模な土地を自分たちのものとしたのですから、田柴科制(田と燃料用の土地を貴族に与えて税を自由に貴族がもらう制度)は崩壊しました。
(なんというおかしな制度wwwこれでは国に税が入ってこない、与える地面がなくなって不満分子の反乱がおきるのは当然ですね)
田柴科制の崩壊は国家体制の崩壊でもあり、土地が荒廃したり権勢門家の支配となり、公田と民田が少なくなり官僚たちに与える俸禄も少なくなりました。こうして高麗末期には田主の農民による奴隷的支配がはびこったのでありました。かくして田主が7~8人になり税を集める時期が年に数回になるという農民にとっては「餓死しろや」といわんばかりの状況になっていたそうですよ。農民たちは高利貸しから金を借りても返せませんで、子供を売ったりもしていたそうです。倭寇の侵入でも高麗の国土は荒廃したそうです。農民層は没落していきました。(ひえーっ。農民もできなくなったら、それって死んじゃうってことですかね。)
(なんだか非生産的ですよね。これでは農民が死んでしまい自分たちの食べる分もなくなってしまうという考えはなかったのでしょうか。複数の田主wちょっと意味不明ですね。いくら貴族でも複数人で分け合いっこしたら食い扶持減るんじゃないですか。)
そこで14世紀には改革案が出されるようになりました。しかしこれらの制度改革は農民のためではなく自分たち権勢門家の権力の確保と維持のために行われそれらのほとんどが実効性がないか持続性のないものとなっておりました。
新興士大夫らと武人(武装勢力)は高麗の特権階級に対抗するために結託してはじめて改革案を朝廷に出せるようになりました。
高麗前朝は、苗裔田。役分田。功蔭田。登科田と軍田。閑人田を置き、そこから税を徴収する制度となっておりました。新たに開墾する土地について官は関与しませんでしたので、権力者が民たちに開墾させて、半分は自分のものとしておりました。そのため貧しい人はさらに貧しく、金持ちはより金持ちになっていきました。最終的には民は自分で生きていくための農作物の生産がができなくなり、土地を放棄して浮浪したり、末端の仕事に従事して身分を落としていき没落していったのでありました。(ひえーっ)
土地の所有には制限はなかったようですよ。だから子分が多い権力者はよりたくさんの富を得ることができた、それが高麗末期の朝鮮だったということです。
鄭道傳(チョン・ドジョン)、趙浚(ちょ・じゅん)、尹紹宗、李行、黃順常、趙仁沃、許應などは田制改革を訴えました。改革しなければ民生が疲弊して、風俗が乱れるというのでした。
昌王元年4月都評議使司の議論で事前改革に賛成したのは李成桂、趙浚、鄭道傳、尹昭宗4人であり、李穡は、事前に廃止する上で舊法を軽く固定することは不可としながら反対したが、異色の意見に同調したこれら李琳、禹玄寶、邊安烈、權近、柳伯濡など6人であり、鄭夢周(チョン・モンジュ)だけ躊躇し態度を留保しました。
「突然すべてを改革することはできない」と皆を惑わして、当時士大夫として土地を持つ者たちが同聲に應にした(一致団結)のでありました。
まさに本日のドラマの回の出来事のことです。
さて、いよいよ高麗王朝と貴族の利権を守る最後の壁「士大夫(サデブ)」というインテリ集団です。これまでは権勢門下という権力者の親玉、そして武人の親玉という2枚の大砦をひっぺがしたら最後に残っていたのはずるがしこい頭脳集団でした(笑)。当たり前といえば当たり前ですが、高麗王朝を構成していたのは、貴族の頭>武人の頭>インテリの頭が三位一体となって王権を守っていましたから地方の武人にとってはさぞや壁はぶ厚かっただろうと思います。ひとつひとつの岩を取り除くたびに仲間が増えていき、最後に残ったずる賢いサルを倒すには、チョン・ドジョンのような士大夫の策士が必要だったのでした。
今回は明らかにチョン・モンジュが浮いてきましたね。ぷかぷかと浮かび上がって綿菓子のようです。なめると甘い(笑)。甘い言葉を出すのでみんなから愛されて日本の武士にも尊敬されていたチョン・モンジュ。彼は政治的中立という細い蜘蛛の糸の上を歩いています。政治的に中立の立場で政治の中枢にいるということは実は危険なことのようですね。どちらからみても危うい人物にしか見えませんから、ドジョンみたいに助けてくれる人がいないとすぐに踏みつぶされてしまうのです。
ここで田制改革についてちょっと見てきましょう。イ・セク派の士大夫が主張した一田一主制度とは何なのでしょう。それまでの一田三~七主制とはいったい何なのでしょうか?私にもさっぱりわかりません(笑)ちょっと調べてみたら中国語か韓国語で書いてあるページがありました。もちろん中身は読めませんw
まぢで調べました。
それと、チョン・モンジュが議論して決めないと多数決では議論を深めるよりも頭数をそろえるだけで中身のない政治になってしまうといって多数決に反対していたところは、ほんとうに現代もその通りだと思いましたw自分の考えなんかなくても味方の言う通りにしようぜ!という「頭からっぽで考えなくても決められる」バカな政治家を量産するやり方がよいはずがありません。
高麗王朝末期の田柴科制
高麗末期の私田の拡大は高麗王室の外戚の李資謙(不明~1126没)の時代までさかのぼるそうで武人政権のときに拡大していったらしいす(私の機械翻訳は怪しいので信用しないでくださいねww)。その頻繁な政権交代のときに高麗が回収した土地を、賜田という形で再分配していたようです。頻繁な政権交代のたびに権勢門家に土地を与えていくものですから、高麗は土地を支配する力を失い高麗王室は弱体化したのでありました。その結果、高麗の王朝まで税金が上がってこなくなり、役口之分と戶別之丁(意味わかんないですが、察するに誰が土地を所有しているかということかなぁ)の把握が事実上不可能になる結果になりました。王権と結託した権勢家は大規模な土地を自分たちのものとしたのですから、田柴科制(田と燃料用の土地を貴族に与えて税を自由に貴族がもらう制度)は崩壊しました。
(なんというおかしな制度wwwこれでは国に税が入ってこない、与える地面がなくなって不満分子の反乱がおきるのは当然ですね)
田柴科制の崩壊は国家体制の崩壊でもあり、土地が荒廃したり権勢門家の支配となり、公田と民田が少なくなり官僚たちに与える俸禄も少なくなりました。こうして高麗末期には田主の農民による奴隷的支配がはびこったのでありました。かくして田主が7~8人になり税を集める時期が年に数回になるという農民にとっては「餓死しろや」といわんばかりの状況になっていたそうですよ。農民たちは高利貸しから金を借りても返せませんで、子供を売ったりもしていたそうです。倭寇の侵入でも高麗の国土は荒廃したそうです。農民層は没落していきました。(ひえーっ。農民もできなくなったら、それって死んじゃうってことですかね。)
(なんだか非生産的ですよね。これでは農民が死んでしまい自分たちの食べる分もなくなってしまうという考えはなかったのでしょうか。複数の田主wちょっと意味不明ですね。いくら貴族でも複数人で分け合いっこしたら食い扶持減るんじゃないですか。)
そこで14世紀には改革案が出されるようになりました。しかしこれらの制度改革は農民のためではなく自分たち権勢門家の権力の確保と維持のために行われそれらのほとんどが実効性がないか持続性のないものとなっておりました。
新興士大夫らと武人(武装勢力)は高麗の特権階級に対抗するために結託してはじめて改革案を朝廷に出せるようになりました。
高麗前朝は、苗裔田。役分田。功蔭田。登科田と軍田。閑人田を置き、そこから税を徴収する制度となっておりました。新たに開墾する土地について官は関与しませんでしたので、権力者が民たちに開墾させて、半分は自分のものとしておりました。そのため貧しい人はさらに貧しく、金持ちはより金持ちになっていきました。最終的には民は自分で生きていくための農作物の生産がができなくなり、土地を放棄して浮浪したり、末端の仕事に従事して身分を落としていき没落していったのでありました。(ひえーっ)
土地の所有には制限はなかったようですよ。だから子分が多い権力者はよりたくさんの富を得ることができた、それが高麗末期の朝鮮だったということです。
鄭道傳(チョン・ドジョン)、趙浚(ちょ・じゅん)、尹紹宗、李行、黃順常、趙仁沃、許應などは田制改革を訴えました。改革しなければ民生が疲弊して、風俗が乱れるというのでした。
昌王元年4月都評議使司の議論で事前改革に賛成したのは李成桂、趙浚、鄭道傳、尹昭宗4人であり、李穡は、事前に廃止する上で舊法を軽く固定することは不可としながら反対したが、異色の意見に同調したこれら李琳、禹玄寶、邊安烈、權近、柳伯濡など6人であり、鄭夢周(チョン・モンジュ)だけ躊躇し態度を留保しました。
「突然すべてを改革することはできない」と皆を惑わして、当時士大夫として土地を持つ者たちが同聲に應にした(一致団結)のでありました。
まさに本日のドラマの回の出来事のことです。
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