「大王世宗(テワンセジョン)」(全86話) 第69話 朝鮮の夢の国境 あらすじとネタバレ感想
69話 朝鮮の夢 あらすじ
女真族の棟梁イ・マンジュはトン・メンガ(吾都里族の族長)の裏切りを知りました。
ワン・ジンはトン・メンガを利用して定界碑を破壊させようとしていました。
ドン・メンガはイ・スとタミたちを皆殺しにするように命じました。イ・スたちは戦いました。トン・メンガは戦に敗れて悔しがりました。ヘ・スは吾都里族の将軍を蹴飛ばして怒りました。ワン・ジンは「腰抜けどもめ」と怒りました。
イ・スは石碑を守るように部下とタミに頼みました。
イ・チョンは世宗に火薬となる硝石が明から手に入らないと報告しました。
ワン・ジンは武芸の達人のヤン・グァにイ・スを暗殺するように命令しました。
イ・スは黄海道海州の宿屋にひとりたどり着きました。イ・スはおかみに酒と汁飯を頼みました。馬が危険を察知して悲鳴を上げて逃げました。イ・スは毒を盛られて気を失ってしまいました。そこにヤン・グァたち刺客が現れイ・スを捕まえました。イ・スは刺客に腹をけられてぐったりしました。
ヘ・ス「そなたは毒を飲んだ。定界碑の場所を言えば解毒剤をやる。早く地図を渡せ。」
イ・ス「あきらめろ。お前の望みはかなわない。」
イ・スは敵の覆面を取ると刺客はヘ・スでした。イ・スは命より祖国が大事だとヘ・スに言いました。
イ・ス「人の命を心配する暇があるならそなたの国、明の品位を守ることかどういうことかを考えたほうがよい。」
イ・スは意識を失いました。
イ・スは森の中に捨てられました。イ・スは犯人がヘ・スであることを示す証拠を握っていました。
ヘ・スはイ・スが間もなく死ぬので兵判を殺してはまずいと焦りました。
逃げた馬がイ・スのところに戻ってきました。イ・スは馬にしがみつきました。「天の恵みだな。」イ・スは馬の背に乗り「出発した場所に、もどってくれ。」と馬に命令しました。
「今度失敗したら命はないと思え」ワン・ジンはヘ・スを脅しました。
気を失ったイ・スを乗せた馬が王宮の前にとぼとぼと戻ってきました。
キム・ジョンソたちは地面に落ちたイ・スを見つけました。世宗は変わり果てたイ・スと再開しました。
イ・ス「海州の広照寺に行ってください。そこに朝鮮の夢を埋めておきました。殿下になら簡単に見つけられるでしょう。最後のお別れに、このような無礼な姿でお許しを・・・」
世宗「別れとはなんです。なぜそのようなことを。せっかく戻ったのです。飲みましょう。戻ってから飲み明かす約束ではありませんか。しっかりしてください師匠。」
イ・ス「王様はこれから先もずっとご苦労なさるでしょう。しかし今までのように、必ず、打ち勝っていけるはずです。」
イ・スはユン・フェを見つめて世宗を頼むと言いたげに微笑み息絶えました。ユン・フェは涙を流していました。「目を開けてください。私に言いたいことがあるでしょう。きっとたくさんあるはずです。聞かせてください。なぜこんなことに・・・大監。兵判大監。」
世宗とキム・ジョンソ、ユン・フェ、そして内官のオム・ジャチはイ・スを囲んで泣きました。
世宗とユン・フェはイ・スの言っていた海州の広照寺に行きました。
勇士不忘喪其元(孟子)
義のためには命を懸けねばならぬ。世宗はイ・スとの思い出の木に彫られたイ・スの文字を見つけました。穴を掘ると古地図と拓本が出てきました。世宗はひざまずいてイ・スとの幼少よりの思い出を思い出して泣きました。「こんな未熟な私でもいいですか。それでも許されるなら、王子様のおそばに仕え、お守りします。」世宗にとってイ・スは優しい父のようでもありました。
ヘ・ス「出迎えもないとは、礼儀を忘れたのか。」
ユン・フェ「殿下は明の使臣に対し何の儀式もしないそうです。」
ヘ・ス「明を侮辱するとは。無事でいられるとでも。」
ユン・フェ「王様は悲しみに暮れています。国葬に準ずる出来事が起きたのです。王様はワン・ジン様の弔問を望んでおられます。」
世宗はイ・スの位牌の前に座っていました。ワン・ジンが部屋に通されました。
世宗「故人となった兵判は余にとって心の父だったのです。」
ワン・ジン「非業の死を遂げたそうですね。」
世宗「さすが、東廠(トンチャン、とうしょう)の長ですね。兵判の死の詳細については極秘にしていたのですが、明の情報機関であるトンチャンはご存じなのですね。」
ワン・ジン「我々がその気になれば王様の毛髪の数も数えられます。それがトンチャンなのです。」
世宗「その技術を、余に教えていただきたい。師匠を殺した犯人を捕まえたいのです。」
ワン・ジン「努力しましょう。」
世宗「お約束していただき気が楽になりました。やっと公式任務も再開できそうです。」
ワン・ジンは扇子を開き、仰ぎました。その扇子にはイ・スが持っていた物と同じ紋章がありました。
ユン・フェ「よく我慢なさいました。」
世宗「持ち駒を一度にすべて見せるな。そなたの教えだ。彼らに見せてよい駒から出してくれ。」
ユン・フェはワン・ジンに定界碑を見せました。ユン・フェは次にワン・ジンを石碑のある場所まで案内しました。イ・スが見つけた石碑は誇らしげに立て直されていました。1107年高麗のユンが建てた石碑を認めるのかとユン・フェはワン・ジンに言いました。「貴国は女真族に国境を守らせないのであれば大国とはいえません。」
怒れる明の皇帝はワン・ジンに最後の機会を与えました。
ファン・ヒはこれでいいのか?とユン・フェに問いました。ユン・フェは「憤るべきときは憤る。これこそ賢明です。兵判の死から教えられました。」と答えました。
ワン・ジンはイ・マンジュに火薬を与えました。女真族はキム・セという明で最高の火薬技術者の指導のもとで、大砲を作っていました。ユン・フェはその様子を世宗に報告しました。イ・チョンは基地を破壊しなければいけないといいました。ヨンシルはそのためには新たな火薬が必要ですと世宗に言いました。
感想
朝鮮にとって中国(中原の覇者)は上国というよりは本質的には敵なんですね。ずーーーーーーーーっと覇王の顔色を伺う日々はどんなものだったのでしょうか。永遠とも思える時間を朝鮮の人々は屈辱に耐えて生きていたのでしょうか。それともそんなことすら忘れて料理に舌鼓を打ち、大事なことは政敵に任せて貴族たちは人生を謳歌していたのでしょうか。イ・スの死の場面は感動的で涙する人もいるのではないでしょうか。少なくとも私の家族は涙を吹くティッシュが必要なようでした(笑)しかし調べてみるとイ・スはヘ・スに殺されたわけではないようですね。
李隨 (イ・ス이수 1374年~1430年)
本貫は鳳山。号は深隱または寬谷。諡号は文靖。字は擇之。1412年に宗廟署主簿、1414年から典祀主簿・共助正郎・礼曹正郎を歴任を歴任し、1417年に典祀少尹を勤めた。1418年世宗が即位すると司宰監正と左軍同知摠制、1422年 黄海道 観察使を経て告訃副使にされ明に行く。1423年芸文館提学・吏曹参判、1425年中軍都摠制、議政府事を勤めた。1427年に辞職。1429年芸文館大提学・吏曹判書に再登用。1430年兵曹判書に任命されるも酔って落馬して命を落とす。四人の息子がいた。
ついでにチェ・ユンドクは国境に築城して築城古参と呼ばれたそうですよ。14歳からは陽村(ヤンチョン)クォン・グン(チョン・ドジョンの政敵)に師事していました。チェ・ユンドクの生家は文化財に指定されているようです。ユンドクにはいくつかのエピソードがあり、慕われていたことが伺われます。
ついでにチェ・ユンドクは国境に築城して築城古参と呼ばれたそうですよ。14歳からは陽村(ヤンチョン)クォン・グン(チョン・ドジョンの政敵)に師事していました。チェ・ユンドクの生家は文化財に指定されているようです。ユンドクにはいくつかのエピソードがあり、慕われていたことが伺われます。
(機械翻訳からの筆者の覚書で正しいかどうかはわかりません。)