刑事フォイル(シーズン1)第15話 隠れ家(前編)
THE FUNK HOLE 前編 プロローグ
1940年10月。ヘイルシャム。
夜。青年たちは車に荷物を次々と運んでいました。
「マシュー。」
レナードはマシューに声をかけ箱を次々と渡しました。
「あといくつ?」
ダンはマシューに聞きました。
「もういっぱいだ。」
マシューはダンに言いました。
「まだ積める。」
レナードは言いました。
「さっさと逃げよう。」
マシューはレナードに言いました。
「怖いのか?」
レナードはマシューに聞きました。
「そりゃ怖いよ。」
マシューはレナードに言いました。
「行こう。また来りゃいい。」
ダンはレナードに言い盗みをやめて車に乗りました。
「もうひとつ積もう。」
レナードはマシューに言いました。
「おい、何をしている。」
巡回していた兵士が青年たちに気づいて近寄ってきました。
「まずい・・・」
マシューがつぶやきました。
「逃げるぞ。」
レナードが命令するとマシューとダンは車の荷台の扉を閉め逃げました。
「とまれ。動くな。撃つぞ。」
ライフルを持った兵士が警告しました。
「行くぞ。」
レナードは運転席に乗り込みました。兵士が発砲するとマシューが撃たれました。
「ああっ・・・・・・。」
マシューは車に乗ろうとして怪我を負いました。
「ダン!」
ダンはマシューを車に乗せようと引っ張りました。
「レナード!撃たれてる!」
ダンは助手席の膝の上にマシューを引っ張り上げました。
「黙ってろ。」
運転して逃げるのに精いっぱいのレナードはダンに怒鳴りました。
「当たったみたいだ。」
兵士たちは言いました。
ロンドン。空襲警報と爆発音。
「きゃあ。」
「あああ。」
防空壕で女性たちが恐怖に怯えて声を上げていました。
「地獄だよ。地獄だよ。誰も助けに来ない。昨夜は四百人も死んだ。炎に焼かれて四百人だよ。高射砲の音がしたか?しないだろ。俺たちは見捨てられたんだ。政治家は何をしている。チャーチルも閣僚も。奴らがはじめた戦争なのに毎晩毎晩苦しむのは俺たち民間人だ。」
太っちょファウラーは防空壕でつぶやきました。
「しっかりしてよ。そう悲観しなくても。きゃあっ。」
ふくよかな中年女性ディアドレは二人の幼い子供を抱きながら向かいに座っているファウラーに言いました。
「イギリスはきっと負ける。イギリスはきっと負ける。ノルウェーとフランスは落ちたしルーマニアはドイツについた。誰にも止められない。和平交渉をしなきゃたたきのめされる。徹底的にやられちまう。」
「もうやめてよ。あんたに何がわかるの。」
悲観的なことばかりを言うファウラーにディアドレは苦情を言いました。
「俺は警察だからわかる。現状を知らされているんだ。」
「そんなこといって厄介なことになったら・・・悪気はないんです。」
ディアドレはファウラーが密告されて捕まることを心配しました。
「扇動罪だぞ。」
「ドイツ野郎の勝ちなんだよ。イギリスは終わりだ。嘘じゃない。政府が隠しているだけだ。イギリスはもう負けたんだ。」
ファウラーは周囲に不安をまき散らしていました。
あらすじ本編
ヘイスティングズ警察署。
サムは戸棚で何かを探していました。
「見つからない?」
ミルナーはサムに声をかけました。
「うん。まだ。絶対この辺に・・・・・・。」
「サ~ム。探してるのはこれ?」
ミルナーは巻いたコードをサムに渡しました。
「ああ、これ。どこにあった?」
「ビスケットの缶の中。」
「ありがと。」
サムが部屋を出て行くと、ミルナーは"SERGEANT PAULMILNE"と書かれた扉を閉めました。
フォイル警視正はバスに乗っていました。そのバスをサムの運転する車が追い越していきました。サムが車を降りるとフォイルがバスから降りてきました。
「結構待ったか?」
フォイルはサムに言いました。
「いえ。二、三分です。車が動かなかったせいです。」
「君が部品を外したからだろ。」
「はい。でも規則でしたから。昨日ディストリビューターキャップをどこにしまったか忘れちゃって。すみません。」
「間に合ったな。」
フォイルはサムの車に乗り込みました。
「空襲で線路がやられたとか。」
サムはフォイルに話しかけました。
「おかげで民家は被害を免れたからよかった。」
フォイルはサムに言いました。
「うん。ロンドンはどうでした?」
「二十五万人が家を失った。でも大工もいなければ資材もないし行政も機能していない。救護施設は満杯。食糧を配るも車も足りない。避難所では三百人に対してトイレが二つしかないありさまだ。」
「支援ボランティアもいないんですか。」
「いやあよくやってくれてる。毎晩五百トンもの爆弾が降ってくるんだからどうしよもあるまい。死傷者が多すぎる。」
「いずれヘイスティングズもそうなるのでしょうか。」
「祈るほかない。」
銃弾を受けたマシューは納屋の干し草の上で苦しんでいました。
「マシューがんばれ。」
ダンは苦しむマシューを励ましました。
「レナードは?」
「さあね。来るって言ってたけど。」
「医者を呼んでよ。」
「レナードが呼んでくれる。具合はどう。」
「感覚がないんだ。」
「よかったじゃないか。痛みを感じなくてすむから。何か食べるか。」
マシューは瀕死で震えていました。
「うっ・・・・・・。」
「缶詰の、サーモンがある。チョコレートもあるぞ。信じられないくらいいろいろ。五十ポンド相当の砂糖も、二百ドルくらいで売れるってレナードが言ってた。アリババの洞窟みたいだな。」
「医者を呼んでくれ・・・・・・。」
「レナードが呼んでくれる。おい俺を見ろ。きっとよくなる。いいな。」
マシューは苦しそうにうなずきました。
ヘイスティングズの警察署。
フォイルとサムが帰ってきました。
「ミルナー。」
「警視正。おかえりなさい。」
「忙しかったか。」
「いえ。それほどでも。墓地に爆弾が落ちまして。死者はゼロ。でも遺体がね・・・。」
「いいところに落としたな。」
「それからヘイルシャムの食糧倉庫に強盗が入りました。国防市民軍が三人組の男に発砲して一人が負傷して・・・。」
「今のは?」
フォイルは廊下ですれ違った男が誰かミルナーに尋ねました。
「ブリストルから珍しい野鳥を見に来た愛好者です。」
「なんで逮捕されたんですか。」
「鳥の肉を売ったんだ。」
「じゃあ普段通りか?」
フォイルは"DCS FOYEL"と書かれた自分の部屋に入りました。
「もう一件。ケイト・ファーリーという女性が来ています。出て行った息子が行方不明だそうです。」
フォイルとミルナーはケイト・ファーリーから事情を聴きました。
「無断外泊だなんて息子らしくありません。いつも前もっていう子です。今朝になっても戻らないから。」
「出かけたのはいつ?」
「私は工場で働いていて帰りが十時なんです。」
「今朝戻らなかった、一日も経っていないのになぜ警察に来たんです?」
「最近悪い友達ができて、このダンって子と息子はいつもつるんでいるんです。ダンはたちの悪い子で巻き込まれるからやめろってマシューにも言ったのに。」
「苗字は?」
「パーカー。ブルックフィールドコートで働いているんです。ご存知?」
「あいにく。」
「村の人で知らない人なんかいませんよ。大きな館を改装して作ったゲストハウスです。よくいえばですけど。」
「悪く言えば?」
「それは口には出せません。あんなところで働かなきゃよかったのに。」
「調べてくれ。」
フォイルはミルナーに命じました。
「まずはゲストハウスから。」
「それがいい。頼むぞ。」
ゲストハウスのテニスコート。二人の男が白い体操服を着てテニスをしていました。
「ふっ・・・・」
「あ~。」
マックスは転んでしまいました。
「もう年だな。」
「なにをおっしゃいます。ついてなかっただけですよ。」
ブレークはマックスに言いました。
「スコアは?」
「サーティーフォーティー。」
軍用飛行機が横に一列に並んで上空を飛んで行きました。
「さあ。サーブして。いつでも来い。」
ブレークはマックスに言いました。
ゲストハウスの庭。
犬がサングラスをかけた栗毛の女性のほうに走って行きました。
「チャーリーおいで。」
金髪の女性ハーディマン夫人は犬を呼びました。
「あっち行って。しっし。犬は嫌いだって言ってなかった?」
犬にまとわりつかれサングラスをした女性がハーディマン夫人に言いました。
「ええ。ルイスさん。聞いています。」
「この世に存在する意義があるとは思えない動物のひとつ。犬がいるって知っていればここへは来なかったのに。」
「そうなさればよかったのに。」
金髪の女性は堂々とサングラスの女性に悪態をつきました。
ゲストハウスの駐車場。
「ここで待っててなんて言わないでね。警視正はいつもそうなんだから。」
サムとミルナーは車から降りました。
「すごいところ。」
サムは豪華な邸宅に感嘆の声をあげました。
「別世界だな。戦時中なのに。」
ミルナーはスーツの前ボタンを留めました。
ゲストハウスの中。
中年と呼ぶには老けた男性はトランプでピラミッドを作っていました。
扉が開き、ミルナーが入ってきました。
「失礼します。」
「しっ。」
ミルナーが挨拶しようとすると男性は黙るように言いました。
男性が手を放すとトランプのピラミッドはあと三枚で完成というところでした。
「誰だ?」
「ヘイスティングズ署から来ました。ミルナーといいます。」
「何の要件でだ。」
ボードリーはミルナーに言いました。
「オーナー夫人に会いに。」
「パウエル夫人なら奥だ。」
「すみません。」
ゲストハウスの離れ
サムは庭に面した窓も扉もない開放的な部屋でタイプライターを打っている栗毛の女性に会いました。
「どうも。執筆中?」
サムは柱をノックするとルイスに声を掛けました。
「そうですよ。見ればわかるわ。忙しいの。」
「あ・・・ごめんなさい。作家ですか?」
「いいえ。ジャーナリスト。雑誌に記事を書いてるの。」
「書くネタが見つからないでしょう。」
「大きな勘違いよ。」
ルイスは文字を打ち始めました。
サムはうつむいて部屋を後にしました。
ゲストハウスのキッチン。
「マシュー・ファーリーならもう二日も見てません。ダン・パーカーも。とっても仲がいいから一人見つけたらきっともう一人も一緒に見いますよ。」
ウェンディは食事の支度をしながらミルナーに言いました。
「ここで仕事を?」
「ええ。時々。ダンのほうはキッチンとか家の中の雑用係でマシューは庭仕事を手伝ってました。」
「庭師が二人?」
「広い庭ですから。マシューは母親とヘイスティングズに住んでいます。ダンと話したいなら村の店に行ってみて。二階に下宿しているから。」
ベルの音がなりました。
「ウェンディ!」
遠くのほうからマルコムがウェンディを呼びました。
「あ。ちょっと失礼。主人が呼んでる。」
ウェンディはエプロンを脱ぎました。
ゲストハウスのマルコムの部屋。
マルコムの机には花瓶に素敵な花が活けられていました。
「誰だ。」
車いすに座っているマルコムはウェンディに言いました。
「警察の方よ。マルコム。お連れしたわ。」
「ヘイスティングズ署のミルナーです。」
「何の用だ。」
「あ。マシュー・ファーリーを探しているんです。行方が分からないとかで。」
ミルナーはマルコムに言いました。
「ダン・パーカーと仲良しの。」
ウェンディは説明を付け足しました。
「あ~パーカーか。あの役立たず。マシューも同じで使えない。」
マルコムはサングラスを着けました。
「最近は選べないから。どんな仕事の働き手もなかなか見つからないし。」
ウェンディは言いました。
「今は何人のゲストがいるんですか?」
「六名です。ジョーゼフさんご夫妻に、ハーディマンさんご夫妻。作家のアマンダ・ルイスさんに・・・それに一番新しいゲストはボードリーさん。」
「長くいるんですか?」
「六名全員、終戦までです。」
「ではマシューかダンが姿を見せたらご連絡ください。」
「二人ともクズだよ。あんな奴らのために戦ったと思うと泣けてくる。」
マルコムは毒づきました。
ウェンディーはミルナーを見送りました。
「主人は先の大戦で失明したんです。マスタードガスでね。ベルギーで。」
「お気の毒に。」
「先の大戦で戦ったのは二度と戦争を起こさないためだったのに。」
ゲストハウスの花壇。
「こんにちは。ここで働いてるの?」
サムは庭師の青年に声を掛けました。
「そうだけど。」
マークはサムに答えました。
「草むしり?」
「見りゃわかるだろ。君は?」
「サム・スチュワート。警察の者です。行方不明の捜査中でね。」
「行方不明って?」
「家出みたい。マシュー・ファーリーって知ってる?」
「いや。聞いたことない。」
「同じところで働いてるのに?」
「俺は人とは関わらない。そういう主義なんだ。」
「うん・・・ペンステモン。」
「なに?」
「今あなたが抜いたのはペンステモンて花で雑草じゃない。父の趣味が庭いじりなの。牧師だけど。」
「いいお父さんだ。」
ゲストハウスのテニスコート。
「聞いた話じゃ警官なんだって?」
ブレーク・ハーディマンはミルナーに言いました。
「誰からそれを。」
「ここじゃよそ者は人目に付く。」
「テニスをしてましたよね。」
「ああ。してたよ。マックス・ジョーゼフとね。ユダヤ人だけど・・・いいやつだ。ところでここに来た理由は何だ?」
「マシュー・ファーリーを探してるんです。」
「ああ。雑用係か。そういや最近見ていない。それよりもし時間があったらフランク・ボードリーを調べてみたらどうなんだ?リーの綴りはREY。最近ロンドンから来たんんだ。」
「彼の何を調べるんです。」
「それを突き止めるのが警察の仕事だろ?応援してるよ。」
ゲストハウスの駐車場。
サムとミルナーは合流しました。
「皆さんご親切。」
「早く署へ帰ろう。」
「喜んで。」
ゲストハウスのハーディマン夫妻の部屋。
「テニスは勝ったの?」
手鏡で自分の顔を確認しながらハーディマン夫人は夫に言いました。金髪のハーディマン夫人は赤い布地に大きな白の水玉のワンピースを着ていました。
「ああ。サンゼロで。」
「たまには勝たせてあげなさいよ。」
「それは性に合わん。」
「話したよ警察に。」
「来てたのは聞いたけど。」
ハーディマン夫人はブラシで眉を梳かしました。
「ボードリーの周辺を洗ってみろってね。何が出るか楽しみだ。」
ブレーク・ハーディマンは背広を羽織ました。
「そうなの?名案とは思えないけど。」
「金を盗まれたろ。ブランド物のカフスボタンも。」
「彼じゃないかも。」
「ここには場違いな男だ。物がなくなるのも奴が来てからだろ。」
「あなたってほんとうに偉そう。」
ヘイスティングズ警察署。
ミルナーとサムはゲストハウスで調べたことをフォイルに報告しました。
「どうだった?」
フォイルはミルナーに尋ねました。
「隠れ家ですね。」
「同感だ。」
「どういう意味ですか?」
サムは質問しました。
「そりゃ裕福な者が金に飽かせて戦火を免れるために長期滞在する施設のことだ。ブルックフィールドコートみたいなゲストハウスは国中にあって、ドイツがポーランドに侵攻した日に予約を取っていた施設もある。ブルックフィールドコートは広告も載せている。」
フォイルは新聞を取り出しサムに渡しました。
「ブルックフィールドコート。静かで人の来ない場所をお探しの繊細で芸術家肌のあなたに。」
サムは広告文を読み上げました。
「戦火を逃れてか・・・。」
ミルナーはつぶやきました。
「卑怯者。」
サムは罵りました。
「でも罪には問えない。何かわかったかな?」
フォイルはミルナーに尋ねました。
「マシューとダンについては何も。でも客の一人が同じ宿泊客のフランク・ボードリーを調べろと。」
「理由を言ったか。」
「いえ。でもロンドン警視庁に問い合わせてみます。」
「庭師も調べてみたほうがいいですよ。」
サムはフォイルに言いました。
「どうして。」
「だって庭いじりの知識が何もないから。」
「もしかしたらマシューは家に戻ったかもしれない。母親に確認してみろ。」
フォイルはミルナーに言いました。
「わかりました。」
ミルナーは部屋を出ました。
フォイル警視正の机の上の電話が鳴りました。
「どこにいる。すぐに行く。サム。」
サムはフォイルを車に乗せて走りました。
「重体なんですか。」
「それは言ってなかった。」
「生きてはいるんですね。」
「それも言ってなかった。」
フォイルは病院に行きました。
「アンドリュー。」
フォイルは変わり果てた息子と対面しました。
「父さん。」
アンドリューは顔に大けがを負い、腕には包帯が巻かれて車いすに乗っていました。
「大丈夫か。」
「何とか。」
「寝ていなくていいのか。」
「部屋が狭苦しいんだ。」
「怪我の程度は?」
「腕は骨が折れたけど後は傷や打ち身だ。」
「どうしたんだ。」
「霧だ。視界が不良で着陸に失敗した。」
「撃墜じゃないのか。」
「違う。飛行場が見つけられなくて平らな場所を探した。でも降下部隊よけの杭や溝があって。防衛柵だよ。燃料がなくなったので着陸するしかなかった。機体がひっくり返って・・・このザマだ。ある意味ついてた。死んだと思ったから。」
「はっ・・・・・・これからどうする。」
「一週間休暇だ。だから家に帰れそうだ。」
「貴重なお時間をすみません。」
コリアー警部はローズ警視監に言いました。
「まさかあのフォイルがなぁ。信じられないことだ。」
ローズ警視監は言いました。
「まったくです。」
「間違いないのか?」
「もちろん私も最初はそう思いました。徹底的に調査してからこうして伺ったわけでして。」
コリアー警部は言いました。
「誰かに話したか?」
「いいえ。」
「ならいい。フォイルは南部沿岸を統括しているといっても過言ではない。事実ならその衝撃ははかりしれない。」
ローズ警視監は言いました。
「ではつまり・・・この件を闇に葬り去れとおっしゃいますか。」
「もちろんそんなことはできない。フォイルはロンドンに?」
「はい会議に出るために。緊急対策会議です。」
「ああ私も出た。フォイルもいたのか。」
「滞在ホテルはセントポールの近く。例の件が起きた場所のすぐ近くです。」
「公共の避難所だったな。」
「目撃証言も多数あります。全員が詳細な供述をしていて名前を挙げた者もいました。」
コリアー警部が言いました。
「馬鹿馬鹿しい。そんな事私は信じない。」
「警視監。私見ですが・・・。」
「言ってみろ。」
「そんなに深刻なことではないと思います。戦争が人にどんな影響を与えるかは人によって違いますし予測不能です。もちろんフォイル警視正はいい方です。でもドイツが首都ロンドンに加えている激しい爆撃には経験がおありになかったんでしょう。初めて大空襲に遭遇して(フォイル警視正が)パニックに陥ってしまったとしても理解できることです。」
コリアー警部は言いました。
「パニック?そんなことを話しているんじゃないだろコリアー。真実なら扇動罪だ。市民の不安を煽るような言動は国土防衛法違反になる。つい先週もケント州にドイツの落下傘部隊降下したって噂を流した女が二十五ポンドの罰金を科された。でもこれはずっとたちが悪い。」
ローズ警視監はコリアーに言いました。
「どう対処しましょう。」
「フォイルを停職処分とし捜査を開始しろ。」
「それはあまりにも一方的です。」
「一方的?」
「情状酌量の余地があるかもしれません。」
「いやコリアー君もわかっているだろう。特別扱いはできない。」
「でもこの場合は・・・そうすべきだと思います。ヘイスティングズに行って調査させてください。」
「法令に従ってやれよ。」
「もちろん。」
どこかの納屋。
「マシュー。持ってきたぞ。」
ダンは干し草の上で横たわっているマシューに言いました。
マシューは目を開けたまま動きませんでした。
ダンは納屋を飛び出しました。
フォイルの家。
負傷したアンドリューは左手でナイフを持ちパンにマーガリンを塗りました。食事の部屋の壁は赤い色をしていてカーテンも同じ赤でした。テーブルクロスは灰色の下地に白の蔦用、中央にはローソクとティーポットが置かれ、テーブルの隅に紅茶が入れたカップがありました。アンドリューはマーガリンをパンにねじ込んでいました。
「手伝おうか。久しぶりに。」
隣の部屋にいたフォイルは息子に言いました。
「いや。大丈夫。食欲もないし。ごめん。」
「気にするな。」
フォイルはベストのボタンを留めました。
「今日の予定は?」
「考えてない。」
「でもな。家の中でひとりしょんぼりしてても何もいいことないぞ。」
フォイルはスーツの上着を取りました。
「大丈夫。本もあるしラジオもある。」
「腕どうだ。」
「大丈夫。」
「誰か家に呼べよ。ダグラスとか。」
「死んだよ。」
「あ・・・・・。」
「海峡で墜落。」
「すまない。」
「ダグラス。レックス。友達はほとんど死んだ。」
「アンドリュー。」
「心配しないで。自分がみじめなだけだから。それにほんというと、腕がすごく痛い。ふっ・・・。」
「今日は別に出勤しなくていいんだ。一日休んで何かするか。」
「二十年無欠勤なのに。」
「休みもいいもんだ。」
「いや。心配しないで。大丈夫だ。」
サムの運転する車の中。
「大丈夫ですか?」
サムはフォイルを気遣いました。
「・・・・・・いや・・・実は考えてたんだ。」
フォイルは小さく頷きました。
「今夜は暇かな。」
「デートのお誘い?」
「馬鹿を言うな。違うよ。あたしが考えてたのはアンドリューのことだ。」
「元気ですか?」
「いや。本当のところはわからない。でも心配なんだ。事故のせいでいつものあの子らしくない。だから・・・外へ出ればいいんじゃないかって。」
フォイルは眉間に皺を寄せて言いました。
「外出。私とですか。」
「いや。だから。変な意味じゃなく・・・。」
「郊外を車で廻るとかでどうですか。」
「いいね。それはいい。」
「でも燃料は節約しませんと。」
「もちろんそうだ。そんなに遠くじゃなくても。気分転換になれば。」
「楽しみです。」
「ありがと。」
ヘイスティングズのホテルの前。
ホテルの玄関には二人のドアマンがいました。
「ありがと。」
タクシーを降りたコリアーは礼を言いホテルに入りました。
ホテルのフロント。
「こんにちは。」
「いらっしゃいませ。」
フロントの女性がコリアーに言いました。
「ロンドンから電話で予約したジェームズ・コリアーだ。」
コリアーはこぎれいな部屋に案内されました。白い模様入りの壁紙に赤のカーテン。チューリップのような花が描かれたソファ。テーブルランプの傘も赤。枕やクッション、ベッドカバーは薄桃色。部屋にはいくつか小さな絵が飾られていました。
「どうもありがとう。」
コリアーは荷物を持ってくれたボーイに小銭を渡しました。
「ごゆっくり。」
コリアーは革のトランクから妻と娘が写った写真立てをベッドサイドテーブルに置きました。
ヘイスティングズ警察署のフォイル警視正の部屋。
フォイルは一枚の紙を手に持って読んでいました。
「ヘイムシャルの盗難事件。食糧庫はゲストハウスから近いな。」
フォイルはミルナーに言いました。
「森を出たらすぐです。」
ミルナーは向かいのソファに座っていました。
「偶然か?三人組。一人が撃たれトラックで逃走。」
「マシューは依然行方不明です。今朝母親と話しました。」
「マシューとダンはゲストハウスで働いてたんだな。」
「はい。」
「ダンは村に下宿してるって言ったな。」
「レナード・ホームズが経営する店です。」
「最近は違法だってわかってもみんなこっそり買うからな。」
「食品を盗んで売ってるのかも。」
「あり得るな。」
レナード・ホームズが経営する店。
店には開店前から夫人たちが一列に並んで待っていました。
「みなさーん。順番にお伺いしますのでお待ちください。いやぁついてますねパウエルさん。肉はこのレバーでもう最後です。持ち帰れるように包みますね。」
レナードはパウエル夫人に肉を包んで渡しました。
「ちょっとうそでしょ。」
後ろに並んでいる夫人たちにどよめきが走りました。
「配達にしてもらえないの?」
パウエル夫人はレナードに尋ねました。
「今車が壊れてまして。」
「すみませーん。」
「ファーリーさん。」
「普通のお肉はないの?」
「すみません。もう品切れです。」
「三十分前から並んでたのに。」
「失礼します。」
パウエル夫人は店を出ようとしました。
「ずるいでしょ。私は生まれたときからこの村に住んでいるのに。後から来たあんたが、しかもよそ者のために食べ物を横取り?」
「うちのお客様はこの店に配給登録しています。」
「客?それはよく言えばね。」
「もうやめてください。」
レナードはファーリー夫人に言いました。
「だってみんな卑怯者じゃない。金があるから戦争から逃げて。ねえあんた。自分が恥ずかしくないの?あんな奴らから金もらって。」
「奥さん。まだソーセージがありますから。」
レナードは言いました。
「だったらソーセージをこの人にあげてあたしたちに肉を売ってよ。」
ファーリー夫人はかんかんに怒りました。
「通してください。家に帰らないと。」
パウエル夫人は通せんぼをしているファーリー夫人と村の夫人の間を通り店を出ようとましたがパウエル夫人はファーリー夫人にとどめを刺しました。
「あんたなんか隠れ家にこもっていればいい。戦場で戦ってる兵隊さんに申し訳ないと思わないの?」
パウエル夫人は傷ついた表情で顔をくしゃくしゃにして店を出ました。
「レナード。」
ダンは店の奥からレナードを呼びました。
「何の用だ?」
レナード・ホームズの納屋。
干し草の上に冷たくなったマシューが横たわっていました。
レナードはマシューの首に手の甲を当てました。
「なあ・・・・・・。」
ダンはレナードに言いました。
「死んでるに決まってるだろお前馬鹿か。」
レナードは立ち上がりました。
「嘘だ。」
「ダン。びびるんじゃねぇ。いいな。俺たちは悪くない。撃ったのはあっちだ。」
「でも。一緒にやったのに。」
「俺たちとマシューの繋がりを知ってる人間はいない。」
「わかった。で、どうする。」
「ここに置いとくわけにはいかないし、森に埋めよう。」
「・・・・・・へ?」
「ほかにどうしろってんだ。牧師を呼んで葬式をしろっていうのか。」
「でもお袋さんに知らせてやらなきゃ。」
「しょうがねぇだろ。森に埋めるしかない。」
「撃たれるかもしれないなんて聞いてなかった。」
「俺だって予想外だ。しっかりしろ。取り乱している場合じゃねぇ。鍬を持ってこい。」
ヘイスティングズ警察署。
「報告書に書いた通りで、あれで全部です。三人組でした。警告しましたが逃げようとしたので撃ったのです。」
白髪で小太りの市民防衛軍の男はフォイルとミルナーに供述しました。
「顔は見たか?」
「いえ。はっきりとは。」
「一人に弾が当たったんだって?」
「はい。当たってしまいました。後味悪いです。」
「気にするな。それが職務だ。」
「分かってます。」
「これは命中したぞって思った理由は何だ。」
「そいつが叫んだので。」
「なんて言ったんです?」
ミルナーは男性に質問しました。
「意味はわかりませんが、ダムとかなんとか。」
「ダム?ダンじゃなくて?人の名前の。」
「いや。わかりません。」
ゲストハウス。
パウエル夫人は自転車でレナードの店から帰ってきました。
庭師のマークは仕事の手を休め、パウエル夫人の方を向き、帽子を取りました。
パウエル夫人は無言でマークの傍を通りすぎました。
ゲストハウスのキッチン。
ダンはオーブンの扉を開き、掃除をしていました。
「ダン?何してるの?」
ウェンディ・パウエルはダンに声を掛けました。
ダンは振り返りました。
「オーブンの掃除です。パウエルさん。」
「頼んだのは三日前よ。何してたの?」
「いろいろと。」
「嘘。警察があなたを探してたもの。」
「なんて言ったんです。」
「しばらく姿を見てないって。」
「水曜の夜はいましたよ。」
「いいえ。絶対いなかった。」
「それはパウエルさんの思い違いじゃないですか。俺はここにいましたから。お互い助け合っていきましょうよ。」
「何のことかわからないけど。」
「ここで働くようになってここで二つ三つ気がついたことがあるんです。でも俺は口をつぐんで仕事をしてる。水曜の夜もそうしてました。わかりますよね。」
フォイルの家。
誰かが玄関のドアをノックしました。
アンドリューが扉を開けるとサムがいました。
「サム?」
「こんにちは。」
「父さんはまだ?」
「今日は残業してらっしゃるの。」
「じゃあ。何で?」
「あなたがひとりでおうちにいるって聞いて寄ってみたの。これから食事に行くけど一緒にどうかなって。」
「食事?」
「ええ。車もあるし。」
「ありがと。サム。でも食欲がないんだ。」
「そう。・・・じゃあ。私がもりもり食べるのを見てたら。行きましょうよ。パイロットが一緒だとサービスしてもらえるし。それにね。ひとりは寂しい。」
海の見えるレストランのテラス席。
この店はアンドリューが以前共産主義の映画監督の友人と再会した思い出の店でした。
サムはアンドリューを店に連れてきました。
「サンドイッチ食べる?」
「食欲がない。」
「私ははらぺこ。体重が減っちゃったらどうしようって思う。紅茶に糖蜜を入れると味はまずいけど。色も真っ黒になって見た目も悪い。空軍の食事は?」
「まあまあ。」
「不時着なんて大変だったね。」
「おかげで休暇がもらえた。」
「それもそうだ。変だね。ちゃんと話をするのは初めて。あの彼女とはどうなった?」
「もう別れた。」
「そう。それは残念。ひとりぼっちだ。ほんとに要らない?」
「いらない。」
「このサンドイッチ。具が挟まってればおいしいのに。きっと怖いでしょうね。」
「どうしてそう思う。」
「空中戦の映像を見た者。ラジオも聞いてる。それだけでも怖いもん。あなたたちは国民の誇り。」
「だから誘ってくれたのか?」
「いいえ。あなたがひとりでしょんぼりしてるのが嫌だから。」
「しょんぼり。父もそういってた。父さんに頼まれた?」
「いいえ。そういうわけじゃ。」
「元気づけるのに女の子をよこすなんて。」
「そういう言い方はやめて。それは女の子かもしれないけど。」
「命令に従うだけの運転手だろ。」
「違う。」
「父さんときたら。子ども扱いして。それに君も何の権利があって僕を励まそうとするんだ。」
「言い過ぎじゃない?」
「僕たちは国民の誇り?誇れる仕事じゃない。血まみれだし。死ぬほど怖い。でも僕たちもやるしかないからやってるだけだ。とにかく。僕のことはしばらくほっといてくれ。僕は君にお世話なんかされたくない。そう父さんに言っといてくれ。」
「そんなひどいことよく言えるわね。」
「ここは僕が払う。先に失礼。さっきも言ったけど食欲がない。ひとりで帰れるから。」
ゲストハウスの廊下。
ウェンディ・パウエルは花を生けた花瓶を運び廊下を歩いていました。
「パウエルさん。今ちょっといいですか。」
ボードリーはパウエル夫人に声をかけました。
「ええ。ボードリーさん。」
「実は配給のことなんです。言いたくはないのですが今日の昼食は・・・・・・。」
「精一杯・・・やってるつもりですけど。」
「正直に言わせてもらうと特定の客だけが優遇されていませんか。」
「食糧はすべて細心の注意を払って平等に分けております。」
「しかし平等には見えないんですよね。自分の行政の経験から言っても。」
「ボードリーさん。うちがお気に召さないならどうぞよそへお移りください。失礼します。」
ゲストハウスの部屋。
「どうぞ。」
ブレーク・ハーディマンはマックス・ジョーゼフにウイスキーの入ったコップを渡しました。
「うん。」
ブレークはマックス・ジョーゼフの隣のソファに腰かけました。
「じゃあ乾杯。」
ブレークとマックスはグラスを合わせました。
「私の提案を考えてくれましたか?」
ブレークはマックスに言いました。
「迷ってる。」
「のんびりしている暇はありませんよ。戦争がいつまで続くか。」
「数年先だ。」
「数週間かも。嘘じゃないですよ。織物工場は人手不足でどこも経営が傾いている。今安く買っておけば戦後大儲けできる。」
「考えさせてくれ。」
「でも繊維は渡しの専門だ。あなたの資金力と私の経験。合わせれば無敵だ。」
マックス・ジョーゼフは投資の話に興味を持たず新聞を読んでいました。
ゲストハウスのキッチン。
ウェンディ・パウエルは台所で野菜を切っていました。そこに金髪の青年、庭師のマークが現れました。
「来ちゃだめでしょ。」
「話がある。」
「やめて。」
「聞いてよ。これ以上。何もなかったふりして働けない。」
「いけないのはわかってる。」
「俺を追い払いたい?」
「まさか。一緒にいられるところを見られた。」
「誰に。」
「ダン・パーカーに。見たぞって。脅迫してきた。」
「俺が何とかしてやる。」
「どうやって。」
「わかんないけど。」
「なんでこんなことになったのかしら。」
「俺がここに来たのがいけなかった。来なければよかった。」
「あなたを失うなんてできない。でも近くにいるのに無関心を装うことがつらくて。」
ウェンディ・パウエルとマークは抱き合いました。
「ウェンディ?」
扉が開き、盲目のマルコム・パウエルが台所に入ってきました。
「誰と話してる?」
「誰もいないけど。」
「声がしたぞ。」
「気のせいでしょ。食事をしただけ。」
ゲストハウスの庭。
ハーディマン夫人は犬と散歩していました。
「おいで。チャーリー。食事まであと十分よ。行っておいで。」
ジェーン・ハーディマンはチャーリーの首輪を外しました。
犬は好きな所へ走りました。
その様子を男性(ボードリー)は見ていました。
ゲストハウスの作家の部屋。
「その子はひどいやけどをおっておりその子が住んでいた家からはまだ炎が上がっていた。私はその子の手を握りひどい・・・やけど・・・ひどい・・傷を負い・・・見るも無残な・・・傷をおい・・・。」
「チャーリー。」
ジェーン・ハーディマンが犬を呼ぶ声が聞こえアマンダ・ルイスの集中力が途切れました。
ゲストハウスの庭。
「チャーリー。」
ジェーン・ハーディマンが犬を探していると気にぶら下がった袋がありそれを取りました。
「チャーリー。どこにいるの?」
「わん。わんわん。」
「チャーリー?」
犬は森の中で地面を掘りました。
「チャーリー。」
犬が地面を掘ると人の手が出てきました。
ヘイスティングズ警察署。
「ゲストハウスの中から遺体が見つかった。」
フォイルはミルナーに言いました。
「マシュー?」
ミルナーはフォイルに言いました。
「背中に銃弾が当たっているようだ。母親に連絡を入れてくれ。」
「フォイルさん。」
「何です?前にどこかで?」
「ええお会いしました。」
「ロンドン警視庁のコリアー警部補・・・。」
「今は警部になりました。」
「ミルナー巡査部長だ。」
フォイルはミルナーをコリアーに紹介しました。
「よろしく。」
「初めまして。」
「今はちょっと都合が悪い。これから現場に出かけるんだ。」
「捜査に行かせることはできません。国土防衛法三十九条違反の捜査が終わるまではあなたを停職処分とします。市民の不安を煽り影響を与えた容疑だ。」
「どういうことだ。」
「それは・・・できれば廊下ではなく内内にお話ししたい。」
「言うことがあればここで言いたまえ。」
「おとといロンドンにいましたね。」
「ああ。」
「違法行為があったのはホワイトチャペル通りにある避難所です。」
「ホワイトチャペルには言ってない。」
「お言葉ですが馬鹿げてます。」
ミルナーはコリアー警部に言いました。
「後にしてくれ。」
「申し訳ない。でも後にはできません。」
ヘイスティングズ警察署の一室。
フォイル警視正はコリアー警部と話していました。
「くだらない。君だって知ってるだろう。ロンドンにはいた。でも警察の用事でだしその避難所には行ってない。そのうえ私が防衛法に違反するはずもない。」
「その言葉を信じたい。でも目撃者の証言も供述書もあるんです。」
「見せてくれ。」
「私が仕切れていれば内内にさっさと捜査を終わらせて容疑を晴らせていたのに。でもローズ警視監がしつこくて。」
「ローズというと・・・サマーズの後任か。」
「ええ。今臨時で内務省に配属になっていて規則通りにやれって。」
「そうだろうな。」
「捜査が終わるまでヘイスティングズの外に出ないでください。今後は署内の人間との接触も禁止します。」
「森の中の遺体と五百ポンド相当の食糧が盗まれた件はどうする?」
「その件はミルナー巡査部長に任せればよいでしょう。異例ですがローズ警視監の許可を得て私があなたの代理を務めることになっていますので。数日間は私が彼に報告してもらうことになってます。」
「数日間も?」
「捜査が終わるまでです。」
サムが運転する車の中。
ミルナーはサムに乗せてもらってました。
「本気で警視正を逮捕するの?」
サムはミルナーに言いました。
「捜査が終わるまで停職処分になる。」
「本気で警視正を逮捕するの?ロンドンで市民を扇動?ほんと馬鹿馬鹿しいったら。ところで扇動って何?」
ゲストハウスの森の中。
ミルナーはマシューの遺体を確認しました。
「背中に一発。」
「こんなに若い子だったのか。止まらないとって言ったんですが。聞かなかったので。」
初老の市民防衛隊の男性は規則通りとはいえマシューを殺してしまったことを悔やみました。
サムも若いマシューの遺体と直面していました。
「母親が確認したのか?」
ミルナーは市民軍の男に言いました。
「はい。さっき。」
ミルナーは現場で泣いているマシューの母のもとへ行きました。
「まだ十九なのに。父親になんていえばいいの。ヨーロッパ中で若者が命を落としているこの戦争で。なのにマシューが命を落としたのが盗みなんて。ダン・パーカーに引き込まれたんです。マシューはいい子なんです。ダンを調べて。ダンのせいでこんな目に。」
レナード・ホームズが経営する店。
ミルナーはレナード・ホームズに質問をしました。
「ダン?出かけてるよ。仕事に。問題でも起こしたのか。」
「ダンの友達のことを知りたいのです。マシュー・ファーリーという。」
「マシュー?二、三回会ったことがある。ダンがここで借りてる部屋によく遊びに来てた。口数の少ないおとなしい子だった。」
「なぜマシューのことを過去形で話すのですか?ホームズさん。」
「最後に見かけたのが二、三週間前だからだ。それって過去だろ。なんだい?マシューになんかあったのか?」
「撃たれました。」
「ほんとか?」
「配達には外のバイクで行くんですか?」
「ああ。バイクで行く。」
「トラックはないんですか。」
「トラックはあるけどガソリンがないから動かないんだ。」
「さっきダンは仕事って・・・。」
「ブルックフィールドコートだ。一時間くらい前に出かけた。」
「ありがと。」
ブルックフィールドコート。
ダンは薪割りをしていました。
「ダン・パーカー?」
ミルナーはダンに声をかけました。
「そうだけど。」
「ヘイスティングズ署のミルナーだ。二日前にも来たんだ。聞きたいことがあって。」
「何の用で?今日は聞きますよ。」
「マシューを知ってるね?」
「知ってます。最近会ってないけど元気かな。」
「亡くなった。」
「そうなんだ。」
「悲しいとは思わない?」
「大勢死んでるからもう慣れました。」
「君は徴兵免除か?」
「偏平足です。あなたは?」
「マシューと最後に会ったのはいつだ?」
「・・・・・・二週間ぐらい前です。」
「母親の証言と違う。」
「ならお袋さんに聞けよ。」
「お前に聞いているんだ。盗んだ食糧も隠し場所も仲間が誰かも突き止めてやる。そうすれば刑務所で重労働だ。いやそれ以前にお前らが押し込んだのは食糧省の倉庫だから死刑になるかもな。よく考えろ。」
ミルナーはダンの襟首を片手で掴み上げました。
フォイルの家。
アンドリューは外で新聞を買って家に入りました。
家の中にはフォイルが引き出しの中の書類を整理していました。
「父さん。どうしたの?」
アンドリューは父に言いました。
フォイルはアンドリューに振り向きました。
「それがな・・・どこかの馬鹿が勘違いしたせいで停職処分になった。」
「何をしたって?」
「避難所で市民を扇動したっていうんだ。もちろんしていない。ロンドン警視庁にいる無能な奴らの大失態だ。」
「じゃあ自宅軟禁?」
「そうじゃない。」
「でも今。外に警官がいたけど。」
「まだいたんだ。」
「じゃあ親子水入らずってわけだ。」
「ああ。すまない。どうして?」
「大歓迎だ。」
「サムから話は聞いた。」
「そうか。だけど・・・あんなことお膳立てされても父さんおせっかいだよ。」
「おせっかい?運転できない私のかわりにお前の気晴らしを頼んだだけだ。食事はサムのアイデアだ。」
「僕は同情なんていらない。」
「よくわかった。でもサムの親切にあの態度はないだろ。お前が大変な経験したのも今の気持ちも理解できる。だからってむやみに人を傷つけていいことにはならない。」
「ええ?傷つける気はなかった。じゃあサムは・・・・・・。」
「傷ついてたぞ。」
「だったらごめん。きっとどうかしてたんだ。」
「お前はいつもそうだ。」
ヘイスティングズ警察署。
ミルナー巡査部長はコリアー警部に報告書を渡しました。
「実によくできた報告書だミルナー。」
コリアー警部はミルナーの報告書を読み褒めました。
「恐縮です。ホームズとパーカーを逮捕すべきかと。」
「逮捕できるほど証拠がないだろう。」
「マシューの背中の弾は市民軍の隊員の銃弾と同じ物ですし、撃たれてダンと叫んだって隊員が証言しています。」
「ダン・パーカーのことか?わからないぞ。ほかの言葉かも。残念だな。いい線を行っていると思う。でもそれだけじゃ。さて。私はそろそろホテルに帰るとしよう。一杯どうだ。」
「喜んで。」
海岸の歩道。
歩道には水色と白のストライプの椅子がいくつも並んでいました。
ミルナーはコリアー警部と歩道をゆっくり歩いていました。
かもめの声が聞こえてきました。
「ここは静かだな。ははは。全然違う。」
コリアー警部はミルナーに言いました。
「ロンドンと?」
「毎晩ドイツ軍の爆撃がある。どこもかしこも被害は凄まじい。波止場はもちろんのこと動物園もロンドン塔もやられ蝋人形館もやられ、かけらがベーカー街中に散らばっている。BBCは二回やられた。先週は自然史博物館もやられた。次はどこなのかねぇ。しかし面白いことに何を落とされてもみんな次の日には仕事に出かける。がれきの山によじ登っても。」
「ご家族はロンドンですか?」
「いや。出征したんだろ?」
「ノルウェーに。」
「時々思うんだ。この戦争の恐ろしいところは終わらないところなんだって。たとえ戦いが終わっても元にはもどらない。これだけ人が死んで街や物が破壊されたのに前と同じでいられるはずがない。」
ホテルの喫茶コーナー。
コリアー警部は深紅のビールを二人分テーブルに置きました。
「ありがとうございます。」
「私こそ付き合ってもらって。君には今の状況はなかなか複雑だろうに。乾杯。」
「乾杯。」
二人はビールを飲みました。
「警視正が有罪だって本気で思ってらっしゃるんですか。」
「もちろん信じたくはない。」
「扇動なんてなさるはずがありません。」
「さすがの忠誠心だな。でもその場にいなかったのになぜわかる?」
「わかりますよ。」
「戦争は人を変えてしまうものだ。さて。ブルックフィールドコートのことだ。」
「何でしょう。」
「そのそばから遺体が発見されたうえ食糧庫からも近くダン・パーカーの職場でもあり君からも客の問い合わせがあった。ロンドン市議会議員のフランク・ボードリー。」
「ああ。ほかの客から調べるように言われまして。」
「そうだったのか。私の見る限りブルックフィールドコートが事件の鍵を握っているようだ。明日私も一緒に行く。調べてみよう。」
「はい。」
「よし。」
翌日のゲストハウス。
二階の廊下。
「ボードリー。」
ブレーク・ハーディマンはフランク・ボードリーを呼び止めました。
「私の部屋に入ったろう。」
「何の話です?」
「昨日の夜、引き出しにしまった純金製のタバコケースが今朝になったらない。今朝に食事に来るのが遅かったな。」
「あなた。やめなさい。」
ジェーン・ハーディマンは夫を止めようとしました。
「なんの話です?」
「カフスボタンと金の次はタバコケースか。あんたが来てから立て続けだ。」
「ハーディマンさん。あんたがどんな人間かジョーゼフさんとどんな仕事をしているか知ってるぞ。それから奥さんの秘密もね。警察を呼んだのはあんただろ。でも望むところだ。私も話がある。」
「なに?」
ミルナーとコリアー警部がゲストハウスに来ました。
マルコム・パウエルの部屋。コリアー警部はマルコムとウェンディに質問しました。
「屋敷をゲストハウスにしようと決めたのはいつ頃でしたか?」
コリアー警部は二人に質問しました。
「二か月前ほどです。ダンケルクの撤退作戦が終わって新聞でそういう活用法を知って。」
「うん。隠れ家にした。」
ウェンディとマルコムは言いました。
「経済的な事情からです。そうしたくてしたのではありません。」
「ここにはご夫婦だけで?」
「息子がおります。」
ウェンディは答えました。
「今は軍に?」
「北アフリカです。」
「徴兵されたんではなく自分から志願した自慢の息子だ。」
マルコムは言いました。
「宿泊客は全部で六人ですねぇ。」
ミルナーは終始黙って部屋を観察していました。写真立てには二人の写真はあっても子供の写真はありませんでした。
「ジョーゼフご夫妻にハーディマンご夫妻。リースさんにボードリーさんです。」
「ボードリーさんは一番後から?」
「そうです。二週間前からです。」
「食材の買い出しは誰が?」
「私です。」
「じゃあ村へ買い出しに行かれますね。村にはレナード・ホームズが経営する食料品店がある。そこで買ってます?」
「そうです。お客様の配給もそこで受け取ってます。」
「闇取引してません?」
「してるはずないでしょう!」
「いくらなんでも言い過ぎでしょうコリアーさん!」
マルコムは怒り立ち上がりました。
「そうでしょうか。ロンドンでは横行していますからこちらでもあるのではないですか?」
「私は闇取引していないし取引を持ち掛けられたこともありませんし手を染めたこともありません。どうぞお気が済むまで屋敷を調べてくださって結構です。」
ウェンディはマルコムの手を握りました。
「ありがとうございます。そうさせていただきます。」
コナー警部は部下にゲストハウスを調べさせました。
「もう我慢できない。上官と話をさせてもらおう。」
ブレーク・ハーディマンは怒りました。犬は怯えてジェーンの膝の上に抱かれていました。
コナー警部はキッチンから緑色に染色された肉を取り出しました。
「ハーディマン夫人の犬にあげる馬肉です。人間が間違えて食べないように着色して売ってるんです。」
ウェンディーはコナー警部に言いました。ウェンディーは肘を組んでいました。
「作家のリースはどこにいる?」
コナー警部はミルナーに聞きました。
「庭の離れでしょう。執筆のため。」
「そうか。」
コナー警部はボードリーがトランプを積んで塔を作っているのを見て立ち止まりました。
「あなたは?」
「ボードリー。フランク・ボードリーだが。なぜ家宅捜索を?」
「不正入手した食糧を探しに来たのです。何かご存じじゃありませんか。」
「知らないね。」
「あなたは一番新しい客だそうですね。ロンドンから?」
「そうだ。」
「ロンドンの住所は?」
「コダードロード十三番。」
「配給手帳をお持ちですか。」
「パウエル夫人に預けてある。」
「いつまで滞在予定ですか。」
「それはまだ決めてない。」
「結構。それでは失礼。」
コナー警部は玄関を出ようとしました。
「警部。」
警官はコナー警部を呼び止めました。
袋が見つかりました。
コナー警部が袋を開けると缶詰が転がり出てきました。
「なぜハムの缶詰を寝室に隠してたんですか。」
コナー警部はハーディマン夫妻に質問しました。
「戸棚に入れておいただけ。隠してませんよ。チャーリーの餌です。」
ジェーン・ハーディマンが毅然と答えました。
「犬?あなたはハムを?缶詰のハムを犬にやるのか?どこで買いました?」
「それはロンドンから買ってきたものだ。」
ブレーク・ハーディマンは腕を組んで言いました。
「嘘ですね。レナード・ホームズから買ったものでしょ。」
「何を言うんだ!」
「ハーディマンさん。あなたのしていることは捜査妨害です。」
「逮捕してもいい。」
ブレークは開き直りました。
コナー警部はミルナーをちらりと見ました。
「それがいい。」
ミルナーは一言も話しませんでした。
警官が戻ってきました。
「何かあったか?」
「ありません。」
「よく探せ。」
ゲストハウスの駐車場。
「何か見つかった?」
サムはミルナーに言いました。
「見つからない。」
「警視正ならこんなやり方・・・・・・。」
「サム。」
コナー警部が戻ってきました。
「上の階はどうでした?」
「いや。何もなかった。」
「残念ですね。時間と労力の無駄だったようで。」
サムはコナー警部に皮肉を言いました。
「そう思うか?君は・・・。」
「シュチュアート。まあ確かにな。君の言う通りかもしれない。なぜその制服を着ているんだ。」
「これですか?」
「そう。それだ。
「私は陸軍輸送部隊です。」
「陸軍輸送部隊?じゃあ警察の人間じゃないのか。」
「転属になったんです。フォイル警視正の運転手に。」
「人手不足なので。」
「で?前はどこにいたんだ?」
「ここヘイスティングズです。上官はブラッドリーっていう怖い人で。転属できてよかったです。」
「じゃ。またそこへ戻ってもらおう。」
「え?」
「悪く思わないでくれ。私には運転手はいらない。しかも外部の人間ならなおさらだ。」
「でも。」
「今ここで君の任務を解く。もちろん帰りの運転だけは頼む。ははは。その後はもとの輸送部隊に戻ってもらう。以上だ。」
ミルナーとサムは顔をしかめました。
コナー警部は先に車に乗り込みました。
ゲストハウスの離れ
サムは庭に面した窓も扉もない開放的な部屋でタイプライターを打っている栗毛の女性に会いました。
「どうも。執筆中?」
サムは柱をノックするとルイスに声を掛けました。
「そうですよ。見ればわかるわ。忙しいの。」
「あ・・・ごめんなさい。作家ですか?」
「いいえ。ジャーナリスト。雑誌に記事を書いてるの。」
「書くネタが見つからないでしょう。」
「大きな勘違いよ。」
ルイスは文字を打ち始めました。
サムはうつむいて部屋を後にしました。
ゲストハウスのキッチン。
「マシュー・ファーリーならもう二日も見てません。ダン・パーカーも。とっても仲がいいから一人見つけたらきっともう一人も一緒に見いますよ。」
ウェンディは食事の支度をしながらミルナーに言いました。
「ここで仕事を?」
「ええ。時々。ダンのほうはキッチンとか家の中の雑用係でマシューは庭仕事を手伝ってました。」
「庭師が二人?」
「広い庭ですから。マシューは母親とヘイスティングズに住んでいます。ダンと話したいなら村の店に行ってみて。二階に下宿しているから。」
ベルの音がなりました。
「ウェンディ!」
遠くのほうからマルコムがウェンディを呼びました。
「あ。ちょっと失礼。主人が呼んでる。」
ウェンディはエプロンを脱ぎました。
ゲストハウスのマルコムの部屋。
マルコムの机には花瓶に素敵な花が活けられていました。
「誰だ。」
車いすに座っているマルコムはウェンディに言いました。
「警察の方よ。マルコム。お連れしたわ。」
「ヘイスティングズ署のミルナーです。」
「何の用だ。」
「あ。マシュー・ファーリーを探しているんです。行方が分からないとかで。」
ミルナーはマルコムに言いました。
「ダン・パーカーと仲良しの。」
ウェンディは説明を付け足しました。
「あ~パーカーか。あの役立たず。マシューも同じで使えない。」
マルコムはサングラスを着けました。
「最近は選べないから。どんな仕事の働き手もなかなか見つからないし。」
ウェンディは言いました。
「今は何人のゲストがいるんですか?」
「六名です。ジョーゼフさんご夫妻に、ハーディマンさんご夫妻。作家のアマンダ・ルイスさんに・・・それに一番新しいゲストはボードリーさん。」
「長くいるんですか?」
「六名全員、終戦までです。」
「ではマシューかダンが姿を見せたらご連絡ください。」
「二人ともクズだよ。あんな奴らのために戦ったと思うと泣けてくる。」
マルコムは毒づきました。
ウェンディーはミルナーを見送りました。
「主人は先の大戦で失明したんです。マスタードガスでね。ベルギーで。」
「お気の毒に。」
「先の大戦で戦ったのは二度と戦争を起こさないためだったのに。」
ゲストハウスの花壇。
「こんにちは。ここで働いてるの?」
サムは庭師の青年に声を掛けました。
「そうだけど。」
マークはサムに答えました。
「草むしり?」
「見りゃわかるだろ。君は?」
「サム・スチュワート。警察の者です。行方不明の捜査中でね。」
「行方不明って?」
「家出みたい。マシュー・ファーリーって知ってる?」
「いや。聞いたことない。」
「同じところで働いてるのに?」
「俺は人とは関わらない。そういう主義なんだ。」
「うん・・・ペンステモン。」
「なに?」
「今あなたが抜いたのはペンステモンて花で雑草じゃない。父の趣味が庭いじりなの。牧師だけど。」
「いいお父さんだ。」
ゲストハウスのテニスコート。
「聞いた話じゃ警官なんだって?」
ブレーク・ハーディマンはミルナーに言いました。
「誰からそれを。」
「ここじゃよそ者は人目に付く。」
「テニスをしてましたよね。」
「ああ。してたよ。マックス・ジョーゼフとね。ユダヤ人だけど・・・いいやつだ。ところでここに来た理由は何だ?」
「マシュー・ファーリーを探してるんです。」
「ああ。雑用係か。そういや最近見ていない。それよりもし時間があったらフランク・ボードリーを調べてみたらどうなんだ?リーの綴りはREY。最近ロンドンから来たんんだ。」
「彼の何を調べるんです。」
「それを突き止めるのが警察の仕事だろ?応援してるよ。」
ゲストハウスの駐車場。
サムとミルナーは合流しました。
「皆さんご親切。」
「早く署へ帰ろう。」
「喜んで。」
ゲストハウスのハーディマン夫妻の部屋。
「テニスは勝ったの?」
手鏡で自分の顔を確認しながらハーディマン夫人は夫に言いました。金髪のハーディマン夫人は赤い布地に大きな白の水玉のワンピースを着ていました。
「ああ。サンゼロで。」
「たまには勝たせてあげなさいよ。」
「それは性に合わん。」
「話したよ警察に。」
「来てたのは聞いたけど。」
ハーディマン夫人はブラシで眉を梳かしました。
「ボードリーの周辺を洗ってみろってね。何が出るか楽しみだ。」
ブレーク・ハーディマンは背広を羽織ました。
「そうなの?名案とは思えないけど。」
「金を盗まれたろ。ブランド物のカフスボタンも。」
「彼じゃないかも。」
「ここには場違いな男だ。物がなくなるのも奴が来てからだろ。」
「あなたってほんとうに偉そう。」
ヘイスティングズ警察署。
ミルナーとサムはゲストハウスで調べたことをフォイルに報告しました。
「どうだった?」
フォイルはミルナーに尋ねました。
「隠れ家ですね。」
「同感だ。」
「どういう意味ですか?」
サムは質問しました。
「そりゃ裕福な者が金に飽かせて戦火を免れるために長期滞在する施設のことだ。ブルックフィールドコートみたいなゲストハウスは国中にあって、ドイツがポーランドに侵攻した日に予約を取っていた施設もある。ブルックフィールドコートは広告も載せている。」
フォイルは新聞を取り出しサムに渡しました。
「ブルックフィールドコート。静かで人の来ない場所をお探しの繊細で芸術家肌のあなたに。」
サムは広告文を読み上げました。
「戦火を逃れてか・・・。」
ミルナーはつぶやきました。
「卑怯者。」
サムは罵りました。
「でも罪には問えない。何かわかったかな?」
フォイルはミルナーに尋ねました。
「マシューとダンについては何も。でも客の一人が同じ宿泊客のフランク・ボードリーを調べろと。」
「理由を言ったか。」
「いえ。でもロンドン警視庁に問い合わせてみます。」
「庭師も調べてみたほうがいいですよ。」
サムはフォイルに言いました。
「どうして。」
「だって庭いじりの知識が何もないから。」
「もしかしたらマシューは家に戻ったかもしれない。母親に確認してみろ。」
フォイルはミルナーに言いました。
「わかりました。」
ミルナーは部屋を出ました。
フォイル警視正の机の上の電話が鳴りました。
「どこにいる。すぐに行く。サム。」
サムはフォイルを車に乗せて走りました。
「重体なんですか。」
「それは言ってなかった。」
「生きてはいるんですね。」
「それも言ってなかった。」
フォイルは病院に行きました。
「アンドリュー。」
フォイルは変わり果てた息子と対面しました。
「父さん。」
アンドリューは顔に大けがを負い、腕には包帯が巻かれて車いすに乗っていました。
「大丈夫か。」
「何とか。」
「寝ていなくていいのか。」
「部屋が狭苦しいんだ。」
「怪我の程度は?」
「腕は骨が折れたけど後は傷や打ち身だ。」
「どうしたんだ。」
「霧だ。視界が不良で着陸に失敗した。」
「撃墜じゃないのか。」
「違う。飛行場が見つけられなくて平らな場所を探した。でも降下部隊よけの杭や溝があって。防衛柵だよ。燃料がなくなったので着陸するしかなかった。機体がひっくり返って・・・このザマだ。ある意味ついてた。死んだと思ったから。」
「はっ・・・・・・これからどうする。」
「一週間休暇だ。だから家に帰れそうだ。」
「貴重なお時間をすみません。」
コリアー警部はローズ警視監に言いました。
「まさかあのフォイルがなぁ。信じられないことだ。」
ローズ警視監は言いました。
「まったくです。」
「間違いないのか?」
「もちろん私も最初はそう思いました。徹底的に調査してからこうして伺ったわけでして。」
コリアー警部は言いました。
「誰かに話したか?」
「いいえ。」
「ならいい。フォイルは南部沿岸を統括しているといっても過言ではない。事実ならその衝撃ははかりしれない。」
ローズ警視監は言いました。
「ではつまり・・・この件を闇に葬り去れとおっしゃいますか。」
「もちろんそんなことはできない。フォイルはロンドンに?」
「はい会議に出るために。緊急対策会議です。」
「ああ私も出た。フォイルもいたのか。」
「滞在ホテルはセントポールの近く。例の件が起きた場所のすぐ近くです。」
「公共の避難所だったな。」
「目撃証言も多数あります。全員が詳細な供述をしていて名前を挙げた者もいました。」
コリアー警部が言いました。
「馬鹿馬鹿しい。そんな事私は信じない。」
「警視監。私見ですが・・・。」
「言ってみろ。」
「そんなに深刻なことではないと思います。戦争が人にどんな影響を与えるかは人によって違いますし予測不能です。もちろんフォイル警視正はいい方です。でもドイツが首都ロンドンに加えている激しい爆撃には経験がおありになかったんでしょう。初めて大空襲に遭遇して(フォイル警視正が)パニックに陥ってしまったとしても理解できることです。」
コリアー警部は言いました。
「パニック?そんなことを話しているんじゃないだろコリアー。真実なら扇動罪だ。市民の不安を煽るような言動は国土防衛法違反になる。つい先週もケント州にドイツの落下傘部隊降下したって噂を流した女が二十五ポンドの罰金を科された。でもこれはずっとたちが悪い。」
ローズ警視監はコリアーに言いました。
「どう対処しましょう。」
「フォイルを停職処分とし捜査を開始しろ。」
「それはあまりにも一方的です。」
「一方的?」
「情状酌量の余地があるかもしれません。」
「いやコリアー君もわかっているだろう。特別扱いはできない。」
「でもこの場合は・・・そうすべきだと思います。ヘイスティングズに行って調査させてください。」
「法令に従ってやれよ。」
「もちろん。」
どこかの納屋。
「マシュー。持ってきたぞ。」
ダンは干し草の上で横たわっているマシューに言いました。
マシューは目を開けたまま動きませんでした。
ダンは納屋を飛び出しました。
フォイルの家。
負傷したアンドリューは左手でナイフを持ちパンにマーガリンを塗りました。食事の部屋の壁は赤い色をしていてカーテンも同じ赤でした。テーブルクロスは灰色の下地に白の蔦用、中央にはローソクとティーポットが置かれ、テーブルの隅に紅茶が入れたカップがありました。アンドリューはマーガリンをパンにねじ込んでいました。
「手伝おうか。久しぶりに。」
隣の部屋にいたフォイルは息子に言いました。
「いや。大丈夫。食欲もないし。ごめん。」
「気にするな。」
フォイルはベストのボタンを留めました。
「今日の予定は?」
「考えてない。」
「でもな。家の中でひとりしょんぼりしてても何もいいことないぞ。」
フォイルはスーツの上着を取りました。
「大丈夫。本もあるしラジオもある。」
「腕どうだ。」
「大丈夫。」
「誰か家に呼べよ。ダグラスとか。」
「死んだよ。」
「あ・・・・・。」
「海峡で墜落。」
「すまない。」
「ダグラス。レックス。友達はほとんど死んだ。」
「アンドリュー。」
「心配しないで。自分がみじめなだけだから。それにほんというと、腕がすごく痛い。ふっ・・・。」
「今日は別に出勤しなくていいんだ。一日休んで何かするか。」
「二十年無欠勤なのに。」
「休みもいいもんだ。」
「いや。心配しないで。大丈夫だ。」
サムの運転する車の中。
「大丈夫ですか?」
サムはフォイルを気遣いました。
「・・・・・・いや・・・実は考えてたんだ。」
フォイルは小さく頷きました。
「今夜は暇かな。」
「デートのお誘い?」
「馬鹿を言うな。違うよ。あたしが考えてたのはアンドリューのことだ。」
「元気ですか?」
「いや。本当のところはわからない。でも心配なんだ。事故のせいでいつものあの子らしくない。だから・・・外へ出ればいいんじゃないかって。」
フォイルは眉間に皺を寄せて言いました。
「外出。私とですか。」
「いや。だから。変な意味じゃなく・・・。」
「郊外を車で廻るとかでどうですか。」
「いいね。それはいい。」
「でも燃料は節約しませんと。」
「もちろんそうだ。そんなに遠くじゃなくても。気分転換になれば。」
「楽しみです。」
「ありがと。」
ヘイスティングズのホテルの前。
ホテルの玄関には二人のドアマンがいました。
「ありがと。」
タクシーを降りたコリアーは礼を言いホテルに入りました。
ホテルのフロント。
「こんにちは。」
「いらっしゃいませ。」
フロントの女性がコリアーに言いました。
「ロンドンから電話で予約したジェームズ・コリアーだ。」
コリアーはこぎれいな部屋に案内されました。白い模様入りの壁紙に赤のカーテン。チューリップのような花が描かれたソファ。テーブルランプの傘も赤。枕やクッション、ベッドカバーは薄桃色。部屋にはいくつか小さな絵が飾られていました。
「どうもありがとう。」
コリアーは荷物を持ってくれたボーイに小銭を渡しました。
「ごゆっくり。」
コリアーは革のトランクから妻と娘が写った写真立てをベッドサイドテーブルに置きました。
ヘイスティングズ警察署のフォイル警視正の部屋。
フォイルは一枚の紙を手に持って読んでいました。
「ヘイムシャルの盗難事件。食糧庫はゲストハウスから近いな。」
フォイルはミルナーに言いました。
「森を出たらすぐです。」
ミルナーは向かいのソファに座っていました。
「偶然か?三人組。一人が撃たれトラックで逃走。」
「マシューは依然行方不明です。今朝母親と話しました。」
「マシューとダンはゲストハウスで働いてたんだな。」
「はい。」
「ダンは村に下宿してるって言ったな。」
「レナード・ホームズが経営する店です。」
「最近は違法だってわかってもみんなこっそり買うからな。」
「食品を盗んで売ってるのかも。」
「あり得るな。」
レナード・ホームズが経営する店。
店には開店前から夫人たちが一列に並んで待っていました。
「みなさーん。順番にお伺いしますのでお待ちください。いやぁついてますねパウエルさん。肉はこのレバーでもう最後です。持ち帰れるように包みますね。」
レナードはパウエル夫人に肉を包んで渡しました。
「ちょっとうそでしょ。」
後ろに並んでいる夫人たちにどよめきが走りました。
「配達にしてもらえないの?」
パウエル夫人はレナードに尋ねました。
「今車が壊れてまして。」
「すみませーん。」
「ファーリーさん。」
「普通のお肉はないの?」
「すみません。もう品切れです。」
「三十分前から並んでたのに。」
「失礼します。」
パウエル夫人は店を出ようとしました。
「ずるいでしょ。私は生まれたときからこの村に住んでいるのに。後から来たあんたが、しかもよそ者のために食べ物を横取り?」
「うちのお客様はこの店に配給登録しています。」
「客?それはよく言えばね。」
「もうやめてください。」
レナードはファーリー夫人に言いました。
「だってみんな卑怯者じゃない。金があるから戦争から逃げて。ねえあんた。自分が恥ずかしくないの?あんな奴らから金もらって。」
「奥さん。まだソーセージがありますから。」
レナードは言いました。
「だったらソーセージをこの人にあげてあたしたちに肉を売ってよ。」
ファーリー夫人はかんかんに怒りました。
「通してください。家に帰らないと。」
パウエル夫人は通せんぼをしているファーリー夫人と村の夫人の間を通り店を出ようとましたがパウエル夫人はファーリー夫人にとどめを刺しました。
「あんたなんか隠れ家にこもっていればいい。戦場で戦ってる兵隊さんに申し訳ないと思わないの?」
パウエル夫人は傷ついた表情で顔をくしゃくしゃにして店を出ました。
「レナード。」
ダンは店の奥からレナードを呼びました。
「何の用だ?」
レナード・ホームズの納屋。
干し草の上に冷たくなったマシューが横たわっていました。
レナードはマシューの首に手の甲を当てました。
「なあ・・・・・・。」
ダンはレナードに言いました。
「死んでるに決まってるだろお前馬鹿か。」
レナードは立ち上がりました。
「嘘だ。」
「ダン。びびるんじゃねぇ。いいな。俺たちは悪くない。撃ったのはあっちだ。」
「でも。一緒にやったのに。」
「俺たちとマシューの繋がりを知ってる人間はいない。」
「わかった。で、どうする。」
「ここに置いとくわけにはいかないし、森に埋めよう。」
「・・・・・・へ?」
「ほかにどうしろってんだ。牧師を呼んで葬式をしろっていうのか。」
「でもお袋さんに知らせてやらなきゃ。」
「しょうがねぇだろ。森に埋めるしかない。」
「撃たれるかもしれないなんて聞いてなかった。」
「俺だって予想外だ。しっかりしろ。取り乱している場合じゃねぇ。鍬を持ってこい。」
ヘイスティングズ警察署。
「報告書に書いた通りで、あれで全部です。三人組でした。警告しましたが逃げようとしたので撃ったのです。」
白髪で小太りの市民防衛軍の男はフォイルとミルナーに供述しました。
「顔は見たか?」
「いえ。はっきりとは。」
「一人に弾が当たったんだって?」
「はい。当たってしまいました。後味悪いです。」
「気にするな。それが職務だ。」
「分かってます。」
「これは命中したぞって思った理由は何だ。」
「そいつが叫んだので。」
「なんて言ったんです?」
ミルナーは男性に質問しました。
「意味はわかりませんが、ダムとかなんとか。」
「ダム?ダンじゃなくて?人の名前の。」
「いや。わかりません。」
ゲストハウス。
パウエル夫人は自転車でレナードの店から帰ってきました。
庭師のマークは仕事の手を休め、パウエル夫人の方を向き、帽子を取りました。
パウエル夫人は無言でマークの傍を通りすぎました。
ゲストハウスのキッチン。
ダンはオーブンの扉を開き、掃除をしていました。
「ダン?何してるの?」
ウェンディ・パウエルはダンに声を掛けました。
ダンは振り返りました。
「オーブンの掃除です。パウエルさん。」
「頼んだのは三日前よ。何してたの?」
「いろいろと。」
「嘘。警察があなたを探してたもの。」
「なんて言ったんです。」
「しばらく姿を見てないって。」
「水曜の夜はいましたよ。」
「いいえ。絶対いなかった。」
「それはパウエルさんの思い違いじゃないですか。俺はここにいましたから。お互い助け合っていきましょうよ。」
「何のことかわからないけど。」
「ここで働くようになってここで二つ三つ気がついたことがあるんです。でも俺は口をつぐんで仕事をしてる。水曜の夜もそうしてました。わかりますよね。」
フォイルの家。
誰かが玄関のドアをノックしました。
アンドリューが扉を開けるとサムがいました。
「サム?」
「こんにちは。」
「父さんはまだ?」
「今日は残業してらっしゃるの。」
「じゃあ。何で?」
「あなたがひとりでおうちにいるって聞いて寄ってみたの。これから食事に行くけど一緒にどうかなって。」
「食事?」
「ええ。車もあるし。」
「ありがと。サム。でも食欲がないんだ。」
「そう。・・・じゃあ。私がもりもり食べるのを見てたら。行きましょうよ。パイロットが一緒だとサービスしてもらえるし。それにね。ひとりは寂しい。」
海の見えるレストランのテラス席。
この店はアンドリューが以前共産主義の映画監督の友人と再会した思い出の店でした。
サムはアンドリューを店に連れてきました。
「サンドイッチ食べる?」
「食欲がない。」
「私ははらぺこ。体重が減っちゃったらどうしようって思う。紅茶に糖蜜を入れると味はまずいけど。色も真っ黒になって見た目も悪い。空軍の食事は?」
「まあまあ。」
「不時着なんて大変だったね。」
「おかげで休暇がもらえた。」
「それもそうだ。変だね。ちゃんと話をするのは初めて。あの彼女とはどうなった?」
「もう別れた。」
「そう。それは残念。ひとりぼっちだ。ほんとに要らない?」
「いらない。」
「このサンドイッチ。具が挟まってればおいしいのに。きっと怖いでしょうね。」
「どうしてそう思う。」
「空中戦の映像を見た者。ラジオも聞いてる。それだけでも怖いもん。あなたたちは国民の誇り。」
「だから誘ってくれたのか?」
「いいえ。あなたがひとりでしょんぼりしてるのが嫌だから。」
「しょんぼり。父もそういってた。父さんに頼まれた?」
「いいえ。そういうわけじゃ。」
「元気づけるのに女の子をよこすなんて。」
「そういう言い方はやめて。それは女の子かもしれないけど。」
「命令に従うだけの運転手だろ。」
「違う。」
「父さんときたら。子ども扱いして。それに君も何の権利があって僕を励まそうとするんだ。」
「言い過ぎじゃない?」
「僕たちは国民の誇り?誇れる仕事じゃない。血まみれだし。死ぬほど怖い。でも僕たちもやるしかないからやってるだけだ。とにかく。僕のことはしばらくほっといてくれ。僕は君にお世話なんかされたくない。そう父さんに言っといてくれ。」
「そんなひどいことよく言えるわね。」
「ここは僕が払う。先に失礼。さっきも言ったけど食欲がない。ひとりで帰れるから。」
ゲストハウスの廊下。
ウェンディ・パウエルは花を生けた花瓶を運び廊下を歩いていました。
「パウエルさん。今ちょっといいですか。」
ボードリーはパウエル夫人に声をかけました。
「ええ。ボードリーさん。」
「実は配給のことなんです。言いたくはないのですが今日の昼食は・・・・・・。」
「精一杯・・・やってるつもりですけど。」
「正直に言わせてもらうと特定の客だけが優遇されていませんか。」
「食糧はすべて細心の注意を払って平等に分けております。」
「しかし平等には見えないんですよね。自分の行政の経験から言っても。」
「ボードリーさん。うちがお気に召さないならどうぞよそへお移りください。失礼します。」
ゲストハウスの部屋。
「どうぞ。」
ブレーク・ハーディマンはマックス・ジョーゼフにウイスキーの入ったコップを渡しました。
「うん。」
ブレークはマックス・ジョーゼフの隣のソファに腰かけました。
「じゃあ乾杯。」
ブレークとマックスはグラスを合わせました。
「私の提案を考えてくれましたか?」
ブレークはマックスに言いました。
「迷ってる。」
「のんびりしている暇はありませんよ。戦争がいつまで続くか。」
「数年先だ。」
「数週間かも。嘘じゃないですよ。織物工場は人手不足でどこも経営が傾いている。今安く買っておけば戦後大儲けできる。」
「考えさせてくれ。」
「でも繊維は渡しの専門だ。あなたの資金力と私の経験。合わせれば無敵だ。」
マックス・ジョーゼフは投資の話に興味を持たず新聞を読んでいました。
ゲストハウスのキッチン。
ウェンディ・パウエルは台所で野菜を切っていました。そこに金髪の青年、庭師のマークが現れました。
「来ちゃだめでしょ。」
「話がある。」
「やめて。」
「聞いてよ。これ以上。何もなかったふりして働けない。」
「いけないのはわかってる。」
「俺を追い払いたい?」
「まさか。一緒にいられるところを見られた。」
「誰に。」
「ダン・パーカーに。見たぞって。脅迫してきた。」
「俺が何とかしてやる。」
「どうやって。」
「わかんないけど。」
「なんでこんなことになったのかしら。」
「俺がここに来たのがいけなかった。来なければよかった。」
「あなたを失うなんてできない。でも近くにいるのに無関心を装うことがつらくて。」
ウェンディ・パウエルとマークは抱き合いました。
「ウェンディ?」
扉が開き、盲目のマルコム・パウエルが台所に入ってきました。
「誰と話してる?」
「誰もいないけど。」
「声がしたぞ。」
「気のせいでしょ。食事をしただけ。」
ゲストハウスの庭。
ハーディマン夫人は犬と散歩していました。
「おいで。チャーリー。食事まであと十分よ。行っておいで。」
ジェーン・ハーディマンはチャーリーの首輪を外しました。
犬は好きな所へ走りました。
その様子を男性(ボードリー)は見ていました。
ゲストハウスの作家の部屋。
「その子はひどいやけどをおっておりその子が住んでいた家からはまだ炎が上がっていた。私はその子の手を握りひどい・・・やけど・・・ひどい・・傷を負い・・・見るも無残な・・・傷をおい・・・。」
「チャーリー。」
ジェーン・ハーディマンが犬を呼ぶ声が聞こえアマンダ・ルイスの集中力が途切れました。
ゲストハウスの庭。
「チャーリー。」
ジェーン・ハーディマンが犬を探していると気にぶら下がった袋がありそれを取りました。
「チャーリー。どこにいるの?」
「わん。わんわん。」
「チャーリー?」
犬は森の中で地面を掘りました。
「チャーリー。」
犬が地面を掘ると人の手が出てきました。
ヘイスティングズ警察署。
「ゲストハウスの中から遺体が見つかった。」
フォイルはミルナーに言いました。
「マシュー?」
ミルナーはフォイルに言いました。
「背中に銃弾が当たっているようだ。母親に連絡を入れてくれ。」
「フォイルさん。」
「何です?前にどこかで?」
「ええお会いしました。」
「ロンドン警視庁のコリアー警部補・・・。」
「今は警部になりました。」
「ミルナー巡査部長だ。」
フォイルはミルナーをコリアーに紹介しました。
「よろしく。」
「初めまして。」
「今はちょっと都合が悪い。これから現場に出かけるんだ。」
「捜査に行かせることはできません。国土防衛法三十九条違反の捜査が終わるまではあなたを停職処分とします。市民の不安を煽り影響を与えた容疑だ。」
「どういうことだ。」
「それは・・・できれば廊下ではなく内内にお話ししたい。」
「言うことがあればここで言いたまえ。」
「おとといロンドンにいましたね。」
「ああ。」
「違法行為があったのはホワイトチャペル通りにある避難所です。」
「ホワイトチャペルには言ってない。」
「お言葉ですが馬鹿げてます。」
ミルナーはコリアー警部に言いました。
「後にしてくれ。」
「申し訳ない。でも後にはできません。」
ヘイスティングズ警察署の一室。
フォイル警視正はコリアー警部と話していました。
「くだらない。君だって知ってるだろう。ロンドンにはいた。でも警察の用事でだしその避難所には行ってない。そのうえ私が防衛法に違反するはずもない。」
「その言葉を信じたい。でも目撃者の証言も供述書もあるんです。」
「見せてくれ。」
「私が仕切れていれば内内にさっさと捜査を終わらせて容疑を晴らせていたのに。でもローズ警視監がしつこくて。」
「ローズというと・・・サマーズの後任か。」
「ええ。今臨時で内務省に配属になっていて規則通りにやれって。」
「そうだろうな。」
「捜査が終わるまでヘイスティングズの外に出ないでください。今後は署内の人間との接触も禁止します。」
「森の中の遺体と五百ポンド相当の食糧が盗まれた件はどうする?」
「その件はミルナー巡査部長に任せればよいでしょう。異例ですがローズ警視監の許可を得て私があなたの代理を務めることになっていますので。数日間は私が彼に報告してもらうことになってます。」
「数日間も?」
「捜査が終わるまでです。」
サムが運転する車の中。
ミルナーはサムに乗せてもらってました。
「本気で警視正を逮捕するの?」
サムはミルナーに言いました。
「捜査が終わるまで停職処分になる。」
「本気で警視正を逮捕するの?ロンドンで市民を扇動?ほんと馬鹿馬鹿しいったら。ところで扇動って何?」
ゲストハウスの森の中。
ミルナーはマシューの遺体を確認しました。
「背中に一発。」
「こんなに若い子だったのか。止まらないとって言ったんですが。聞かなかったので。」
初老の市民防衛隊の男性は規則通りとはいえマシューを殺してしまったことを悔やみました。
サムも若いマシューの遺体と直面していました。
「母親が確認したのか?」
ミルナーは市民軍の男に言いました。
「はい。さっき。」
ミルナーは現場で泣いているマシューの母のもとへ行きました。
「まだ十九なのに。父親になんていえばいいの。ヨーロッパ中で若者が命を落としているこの戦争で。なのにマシューが命を落としたのが盗みなんて。ダン・パーカーに引き込まれたんです。マシューはいい子なんです。ダンを調べて。ダンのせいでこんな目に。」
レナード・ホームズが経営する店。
ミルナーはレナード・ホームズに質問をしました。
「ダン?出かけてるよ。仕事に。問題でも起こしたのか。」
「ダンの友達のことを知りたいのです。マシュー・ファーリーという。」
「マシュー?二、三回会ったことがある。ダンがここで借りてる部屋によく遊びに来てた。口数の少ないおとなしい子だった。」
「なぜマシューのことを過去形で話すのですか?ホームズさん。」
「最後に見かけたのが二、三週間前だからだ。それって過去だろ。なんだい?マシューになんかあったのか?」
「撃たれました。」
「ほんとか?」
「配達には外のバイクで行くんですか?」
「ああ。バイクで行く。」
「トラックはないんですか。」
「トラックはあるけどガソリンがないから動かないんだ。」
「さっきダンは仕事って・・・。」
「ブルックフィールドコートだ。一時間くらい前に出かけた。」
「ありがと。」
ブルックフィールドコート。
ダンは薪割りをしていました。
「ダン・パーカー?」
ミルナーはダンに声をかけました。
「そうだけど。」
「ヘイスティングズ署のミルナーだ。二日前にも来たんだ。聞きたいことがあって。」
「何の用で?今日は聞きますよ。」
「マシューを知ってるね?」
「知ってます。最近会ってないけど元気かな。」
「亡くなった。」
「そうなんだ。」
「悲しいとは思わない?」
「大勢死んでるからもう慣れました。」
「君は徴兵免除か?」
「偏平足です。あなたは?」
「マシューと最後に会ったのはいつだ?」
「・・・・・・二週間ぐらい前です。」
「母親の証言と違う。」
「ならお袋さんに聞けよ。」
「お前に聞いているんだ。盗んだ食糧も隠し場所も仲間が誰かも突き止めてやる。そうすれば刑務所で重労働だ。いやそれ以前にお前らが押し込んだのは食糧省の倉庫だから死刑になるかもな。よく考えろ。」
ミルナーはダンの襟首を片手で掴み上げました。
フォイルの家。
アンドリューは外で新聞を買って家に入りました。
家の中にはフォイルが引き出しの中の書類を整理していました。
「父さん。どうしたの?」
アンドリューは父に言いました。
フォイルはアンドリューに振り向きました。
「それがな・・・どこかの馬鹿が勘違いしたせいで停職処分になった。」
「何をしたって?」
「避難所で市民を扇動したっていうんだ。もちろんしていない。ロンドン警視庁にいる無能な奴らの大失態だ。」
「じゃあ自宅軟禁?」
「そうじゃない。」
「でも今。外に警官がいたけど。」
「まだいたんだ。」
「じゃあ親子水入らずってわけだ。」
「ああ。すまない。どうして?」
「大歓迎だ。」
「サムから話は聞いた。」
「そうか。だけど・・・あんなことお膳立てされても父さんおせっかいだよ。」
「おせっかい?運転できない私のかわりにお前の気晴らしを頼んだだけだ。食事はサムのアイデアだ。」
「僕は同情なんていらない。」
「よくわかった。でもサムの親切にあの態度はないだろ。お前が大変な経験したのも今の気持ちも理解できる。だからってむやみに人を傷つけていいことにはならない。」
「ええ?傷つける気はなかった。じゃあサムは・・・・・・。」
「傷ついてたぞ。」
「だったらごめん。きっとどうかしてたんだ。」
「お前はいつもそうだ。」
ヘイスティングズ警察署。
ミルナー巡査部長はコリアー警部に報告書を渡しました。
「実によくできた報告書だミルナー。」
コリアー警部はミルナーの報告書を読み褒めました。
「恐縮です。ホームズとパーカーを逮捕すべきかと。」
「逮捕できるほど証拠がないだろう。」
「マシューの背中の弾は市民軍の隊員の銃弾と同じ物ですし、撃たれてダンと叫んだって隊員が証言しています。」
「ダン・パーカーのことか?わからないぞ。ほかの言葉かも。残念だな。いい線を行っていると思う。でもそれだけじゃ。さて。私はそろそろホテルに帰るとしよう。一杯どうだ。」
「喜んで。」
海岸の歩道。
歩道には水色と白のストライプの椅子がいくつも並んでいました。
ミルナーはコリアー警部と歩道をゆっくり歩いていました。
かもめの声が聞こえてきました。
「ここは静かだな。ははは。全然違う。」
コリアー警部はミルナーに言いました。
「ロンドンと?」
「毎晩ドイツ軍の爆撃がある。どこもかしこも被害は凄まじい。波止場はもちろんのこと動物園もロンドン塔もやられ蝋人形館もやられ、かけらがベーカー街中に散らばっている。BBCは二回やられた。先週は自然史博物館もやられた。次はどこなのかねぇ。しかし面白いことに何を落とされてもみんな次の日には仕事に出かける。がれきの山によじ登っても。」
「ご家族はロンドンですか?」
「いや。出征したんだろ?」
「ノルウェーに。」
「時々思うんだ。この戦争の恐ろしいところは終わらないところなんだって。たとえ戦いが終わっても元にはもどらない。これだけ人が死んで街や物が破壊されたのに前と同じでいられるはずがない。」
ホテルの喫茶コーナー。
コリアー警部は深紅のビールを二人分テーブルに置きました。
「ありがとうございます。」
「私こそ付き合ってもらって。君には今の状況はなかなか複雑だろうに。乾杯。」
「乾杯。」
二人はビールを飲みました。
「警視正が有罪だって本気で思ってらっしゃるんですか。」
「もちろん信じたくはない。」
「扇動なんてなさるはずがありません。」
「さすがの忠誠心だな。でもその場にいなかったのになぜわかる?」
「わかりますよ。」
「戦争は人を変えてしまうものだ。さて。ブルックフィールドコートのことだ。」
「何でしょう。」
「そのそばから遺体が発見されたうえ食糧庫からも近くダン・パーカーの職場でもあり君からも客の問い合わせがあった。ロンドン市議会議員のフランク・ボードリー。」
「ああ。ほかの客から調べるように言われまして。」
「そうだったのか。私の見る限りブルックフィールドコートが事件の鍵を握っているようだ。明日私も一緒に行く。調べてみよう。」
「はい。」
「よし。」
翌日のゲストハウス。
二階の廊下。
「ボードリー。」
ブレーク・ハーディマンはフランク・ボードリーを呼び止めました。
「私の部屋に入ったろう。」
「何の話です?」
「昨日の夜、引き出しにしまった純金製のタバコケースが今朝になったらない。今朝に食事に来るのが遅かったな。」
「あなた。やめなさい。」
ジェーン・ハーディマンは夫を止めようとしました。
「なんの話です?」
「カフスボタンと金の次はタバコケースか。あんたが来てから立て続けだ。」
「ハーディマンさん。あんたがどんな人間かジョーゼフさんとどんな仕事をしているか知ってるぞ。それから奥さんの秘密もね。警察を呼んだのはあんただろ。でも望むところだ。私も話がある。」
「なに?」
ミルナーとコリアー警部がゲストハウスに来ました。
マルコム・パウエルの部屋。コリアー警部はマルコムとウェンディに質問しました。
「屋敷をゲストハウスにしようと決めたのはいつ頃でしたか?」
コリアー警部は二人に質問しました。
「二か月前ほどです。ダンケルクの撤退作戦が終わって新聞でそういう活用法を知って。」
「うん。隠れ家にした。」
ウェンディとマルコムは言いました。
「経済的な事情からです。そうしたくてしたのではありません。」
「ここにはご夫婦だけで?」
「息子がおります。」
ウェンディは答えました。
「今は軍に?」
「北アフリカです。」
「徴兵されたんではなく自分から志願した自慢の息子だ。」
マルコムは言いました。
「宿泊客は全部で六人ですねぇ。」
ミルナーは終始黙って部屋を観察していました。写真立てには二人の写真はあっても子供の写真はありませんでした。
「ジョーゼフご夫妻にハーディマンご夫妻。リースさんにボードリーさんです。」
「ボードリーさんは一番後から?」
「そうです。二週間前からです。」
「食材の買い出しは誰が?」
「私です。」
「じゃあ村へ買い出しに行かれますね。村にはレナード・ホームズが経営する食料品店がある。そこで買ってます?」
「そうです。お客様の配給もそこで受け取ってます。」
「闇取引してません?」
「してるはずないでしょう!」
「いくらなんでも言い過ぎでしょうコリアーさん!」
マルコムは怒り立ち上がりました。
「そうでしょうか。ロンドンでは横行していますからこちらでもあるのではないですか?」
「私は闇取引していないし取引を持ち掛けられたこともありませんし手を染めたこともありません。どうぞお気が済むまで屋敷を調べてくださって結構です。」
ウェンディはマルコムの手を握りました。
「ありがとうございます。そうさせていただきます。」
コナー警部は部下にゲストハウスを調べさせました。
「もう我慢できない。上官と話をさせてもらおう。」
ブレーク・ハーディマンは怒りました。犬は怯えてジェーンの膝の上に抱かれていました。
コナー警部はキッチンから緑色に染色された肉を取り出しました。
「ハーディマン夫人の犬にあげる馬肉です。人間が間違えて食べないように着色して売ってるんです。」
ウェンディーはコナー警部に言いました。ウェンディーは肘を組んでいました。
「作家のリースはどこにいる?」
コナー警部はミルナーに聞きました。
「庭の離れでしょう。執筆のため。」
「そうか。」
コナー警部はボードリーがトランプを積んで塔を作っているのを見て立ち止まりました。
「あなたは?」
「ボードリー。フランク・ボードリーだが。なぜ家宅捜索を?」
「不正入手した食糧を探しに来たのです。何かご存じじゃありませんか。」
「知らないね。」
「あなたは一番新しい客だそうですね。ロンドンから?」
「そうだ。」
「ロンドンの住所は?」
「コダードロード十三番。」
「配給手帳をお持ちですか。」
「パウエル夫人に預けてある。」
「いつまで滞在予定ですか。」
「それはまだ決めてない。」
「結構。それでは失礼。」
コナー警部は玄関を出ようとしました。
「警部。」
警官はコナー警部を呼び止めました。
袋が見つかりました。
コナー警部が袋を開けると缶詰が転がり出てきました。
「なぜハムの缶詰を寝室に隠してたんですか。」
コナー警部はハーディマン夫妻に質問しました。
「戸棚に入れておいただけ。隠してませんよ。チャーリーの餌です。」
ジェーン・ハーディマンが毅然と答えました。
「犬?あなたはハムを?缶詰のハムを犬にやるのか?どこで買いました?」
「それはロンドンから買ってきたものだ。」
ブレーク・ハーディマンは腕を組んで言いました。
「嘘ですね。レナード・ホームズから買ったものでしょ。」
「何を言うんだ!」
「ハーディマンさん。あなたのしていることは捜査妨害です。」
「逮捕してもいい。」
ブレークは開き直りました。
コナー警部はミルナーをちらりと見ました。
「それがいい。」
ミルナーは一言も話しませんでした。
警官が戻ってきました。
「何かあったか?」
「ありません。」
「よく探せ。」
ゲストハウスの駐車場。
「何か見つかった?」
サムはミルナーに言いました。
「見つからない。」
「警視正ならこんなやり方・・・・・・。」
「サム。」
コナー警部が戻ってきました。
「上の階はどうでした?」
「いや。何もなかった。」
「残念ですね。時間と労力の無駄だったようで。」
サムはコナー警部に皮肉を言いました。
「そう思うか?君は・・・。」
「シュチュアート。まあ確かにな。君の言う通りかもしれない。なぜその制服を着ているんだ。」
「これですか?」
「そう。それだ。
「私は陸軍輸送部隊です。」
「陸軍輸送部隊?じゃあ警察の人間じゃないのか。」
「転属になったんです。フォイル警視正の運転手に。」
「人手不足なので。」
「で?前はどこにいたんだ?」
「ここヘイスティングズです。上官はブラッドリーっていう怖い人で。転属できてよかったです。」
「じゃ。またそこへ戻ってもらおう。」
「え?」
「悪く思わないでくれ。私には運転手はいらない。しかも外部の人間ならなおさらだ。」
「でも。」
「今ここで君の任務を解く。もちろん帰りの運転だけは頼む。ははは。その後はもとの輸送部隊に戻ってもらう。以上だ。」
ミルナーとサムは顔をしかめました。
コナー警部は先に車に乗り込みました。
感想
なんか腹立つ(笑)コナー警部には何か特別な狙いがあるようですね。コナー警部がとても怪しいです。捜査もむちゃくちゃで論理的ではないし。勝手に罪をでっちあげてるところを見ると冤罪をもいとわない性格のようです。フォイル警視正に何か恨みでもあるんじゃないかというくらいに。そして今回の話はややこしい。パウエル夫妻にも不審な点があります。息子みたいな青年とウェンディ・パウエルが台所で抱きああってましたね。でも写真立てには夫婦の写真しかなかった。ハーディマン夫妻という人はまず怪しい仕事をしているようですね。ダンとマシューとレナードはギャング、小悪党ですね。金持ちだけ安全な場所に避難してという庶民の憎しみの表現。そしてフォイルが謎の企みに巻き込まれての失権。戸棚から出てきた緑肉はさすがに毒々しくて食べ物じゃない冗談でしょう。さて。後半は解決編となりますが、どうなるか楽しみです。