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不滅の恋人(大君~愛を描く) 全話のあらすじと感想 登場人物の結末~心情と歴史の解説~世祖と安平大君と端宗をモチーフとした朝鮮時代の政争恋愛劇-대군

不滅の恋人

不滅の恋人全話のあらすじ

概要

「不滅の恋人」は原題「대군 - 사랑을 그리다 (大君 - 愛を描く)」は2018年の3月3日から5月6日の土日の22時50分からTV朝鮮で放送された全20話の韓国ドラマです。歴史上の人物である首陽大君(スヤンテグン)と安平大君(アンピョンテグン)の権力争いが、実は一人の女性を巡って争われたというコンセプトでラブストーリーが盛り込まれています。視聴率は初回が2.5%、最終回が5.6%、最低視聴率は第6回の1.5%です。

演出:キム・ジョンミン

KBSプロデューサー。ソウル大学독어독문学科卒業。
2010年5月 ニューヨークテレビフェスティバルTV映画部門金賞
2012年4月 第48回百想芸術大賞TV部門演出賞
2012年8月 第7回ソウルドラマアワーズシリアル(ス?)シリーズ最優秀作品賞
2012年12月 アジアのテレビアワードドラマシリーズ部門最優秀賞
2013年4月 第46回ヒューストン国際映画祭ドラマ部門大賞、ニューヨークのテレビフェスティバルミニシリーズ部門賞。
ひとまず走れ(2006年)、憎くても好き(2007年)、千万回愛してます(2009年)、家族の秘密(2010年)、王女の男(2011年)、朝鮮ガンマン(2014年)、私だけのあなた(2014年)、バッドガイす(2014年)、身分を隠せ(2015年)、ウチに住む男(2016年)、愛ぽろぽろ(2016年)、SUITS/スーツ(2018年)。

伝説の故郷(2009年, 映画)、전설의 고향- 기방괴담(2008年、和訳すると、伝説の故郷、妓生怪談、)、전설의 고향- 사진검의 저주(2008年、和訳すると伝説の故郷、四虎剣の呪い、時代劇)

脚本:チュ・ホンギョン(조현경)

イニョプの道(2014年)、三つ葉のクローバー(2015年)

キャスト・登場人物

ユン・シユン / イ・フィ(ウンソン大君)役

イ・フィは朝鮮国の架空の王子(大君)です。イ・ヒャンとイ・ガンという二人の実兄がいます。権力を持ってはいけない社会的地位に生まれたため、帝王学を学んだこともなく、国王への忠誠心厚く、政治権力に関心がありません。幼少より詩画にすぐれており、明国の使臣がチョ・ソンソルの生まれ変わりといって書を持ちかえるほどでした。せめて(死ぬまで無職なら)家庭的な幸せを得たいという願望が強く、趣味を同じくするソン・ジャヒョンに惹かれます。王位継承権三位で美男子でモテるという設定です。イ・フィの名前を漢字で書くと「李徽」です。「徽」という感じの意味は「よい、しるし、美しい、清らか、旗印」という意味です。音読みでは「ビ」、訓読みでは「よい、しるし」です。

ユン・シユン(윤시윤)は1986年生まれの俳優です。ドラマ放送時の2018年の時点で22歳で京畿大学校演技学科の大学生でした。デビュー作は「明日に向かってハイキック(2009年)」。代表作は「製パン王キム・タック(2010年)」。「魔女宝鑑(2016年)」「最高の一発(2017年)」。

チン・セヨン / ソン・ジャヒョン

ソン・ジャヒョンは大提学(テジェハク)ソン・オクの娘です。幼少より美貌で評判の娘であり朝鮮八道から求婚者が列をなすほどだという設定です。兄はソン・ドゥクシクで妹思いです。父ソン・オクと母アン氏夫人は子どもたちをたいへん可愛がっています。身分の区別なく人に接する温かな少女で絵を描くことが趣味です。正義感が強く思ったことをすぐに言ったり、行動に移すタイプで親を困らせています。ソン・ジャヒョンの名前を漢字で書くと「成慈賢」です。人を慈しむ賢い人という意味です。

チン・セヨン(진세연)は1994年生まれの女優です。ドラマ放映時の2018年の時点で24歳でした。「オクニョ(2016年)」で主人公オクニョを演じています。「蒼のピアニスト(2012年)」では当時18歳でホン・ダミを演じています。「感激時代(2014年)」「チャクペ(2011年)」など。

チュ・サンウク / イ・ガン(晋陽大君)役

イ・ガンは兄イ・ヒャンと弟イ・フィの真ん中の兄弟で朝鮮国の架空の王子です。幼い頃より実母のシム氏たちに王宮の外に追放されて叔父のヤンアン大君に育てられました。ヤンアン大君はカンに王座に就くよう吹き込みます。イ・ガンは暴力的な青年に育ち、弟と対立するようになりました。王位継承権二位。努力もせずに才能を開花させ愛される弟に嫉妬しています。イ・ガンの名前を感じで書くと「李剛」です。その文字通り、たくましい人物です。

チュ・サンウク(朱相昱)は1978年生まれの俳優です。「善徳女王(ソンドクニョワン)(2009年)」ではウォルヤ役、「ジャイアント(2010年)」ではチョ・ミヌ役、「神々の晩餐(2012年)」ではチェ・ジェハ役と二番手の男役が多いです。「ファンタスティック(2016年)」と「棘の鳥(2011年)」「美女の誕生(2014年)では主演相当の役を演じています。「TEN(2010年)」では主役を演じています。

リュ・ヒョヨン / ユン・ナギョム役

ユン・ナギョムはパピョンユン氏の次女です。兄にユン・ジャジュンがいます。もとより上昇志向でイ・ガンと結婚したことで欲望を膨らませていきます。ソン・ジャヒョンの友達でしたが、王族の妃となることで王妃になりたいという欲望が目覚め、ソン・ジャヒョンと対立していきます。イ・ガンに嫁ぐ際にも本来の候補であった実姉に毒を盛るほどの人物です。

リュ・ヒョヨンは1993年生まれの女優です。

音楽

不滅の恋人OSTでは三曲の歌が挿入されています。キム・ヨンジンが「이렇게 길 따라」という曲を、ソン・スンヨンが「사랑 참 못됐다」という歌を、イム・ジウンが「Viverei」を歌っています。
メインテーマです。Youtubeワーナー公式ミュージックhttps://www.youtube.com/watch?v=9DpPVYQuBNAより。

이렇게 길 따라歌詞の日本語訳

がんばって歌詞をカタカナ語に訳してみました。まだ途中ですが・・・。ちなみに韓国語は文字がやっと読める程度の筆者の訳なので、発音和訳等、当てにしないでください。あまりに美しい歌だったので、どんな感じか訳してみました。こんなにきれいな曲は、聞いたことがありません。「バ・bwa」と発音するところですが、日本語ではマと聞こえるので「マ」と訳しました。といった感じで正式なカナ表現で訳していませんのでご注意ください。日本語訳はオバサンのわたくしが、高校生の乙女になったつもりで少し訳してみました(笑)ほんとうにかわいらしい詩ですね。

より詳細な翻訳と解説は筆者日本語翻訳の「不滅の恋人 主題歌のページ」をご覧ください。
「이렇게 길 따라(イロッケ キル タラ)」
(こうして、道に沿って ※筆者の和訳、歌の題名)

이렇게 길 따라 한없이 걸으면
イロッケ キル タラ ハノプシ コルミョン

그대를 만날 것 같아서 음
クデルル マンナ コッ カッタソ ウン

그림자 하나 둘 셋 지워져 가도록
クリンジャ ハナ トゥル セッ チュウォジョ カトォロン

걷다 보면 저 달을 만나
コッタ プミョン チョ タル マンナ



얼마나 더 기우는걸 또 차오르는걸
オルマンナ ト キウヌンゴル ト チャオルヌンゴル

봐야 알 수 있는지
ファヤ アル ス イヌンジ Ho...

더 못할 것 같아 아무리 탓해도
ト モルタル ゴッ カタ アムリ タッテド

어딜 봐도 내겐 온통 아픈 길
オヌル ファド ネゲ ヌントン アップン キ~ル



가고 싶은 곳도 가야만 할 곳도
カゴ シップン コット カヤマン ハル ゴット
(行きたいところも、行かなくてはならないところも)
어쩌면 영원히 알고 싶지 않아
オチョミョン ヨンウォニ エゴ シプチ アナ Uh...
(もしかしたら、永遠に、知りたくない)
이대로 길 따라 아무도 모르는 곳에
イデロ キル タラ アムド モルヌン ゴセ
(このまま道に沿って誰も知らないところへ)
닿을 때나 그제서야 부르려나
タル タナ クジェソヤ プルリョナ
(着いたら、やっと、呼べるかしら)


그대라고
クデラゴ
("あなた"と)


エレキギターの間奏♪



오늘도 다가가 너에게 다가가
オヌルド タカガ ノエゲ タカガ
(今日も、そばへ、あなたへと、近づく)
언젠가 내게 웃어주길
オンジェンガ ネゲ ウソチュギ~ル Uh...
(いつか、私に微笑んでほしくて)
또 다시 하나 둘 셋 시간은 흘러도
ト ダシ ハナ トゥル セッ シガヌン フロド
(また、またひとつ、ふたつ、みっつ、時間は、過ぎる)
말 못하고 웃을 수 밖에
マル モッタゴ ウソル ス マッケ
(言葉ではうまく言えなくて、微笑むことしかできない)


얼마나 꿈 꿔 왔는지 그려 봤었는지
オルマナ クム クォ ワヌンジ クリョ マッソヌンジ
(どれだけ夢を見続ければいいの? ※幾夜も会えない寂しさを意味していると思います。)
새겨버린 그리움
セギョボリン クリオム Oh...
(恋しさを、胸に刻んで)
난 못 할 것 같아 그 누구의 탓도
ナン モ タル コッ カタ ク ヌグエ タットォ
(私は誰のせいにもできない)
아무것도 하지 못한 나밖에
アムゴト ハジ モタン ナバ~ッケ~
(何もしない、できないの)



가고 싶은 곳도 가야만 할 곳도
カゴ シップン ゴト カヤマン ハル ゴット
(行きたいところも、行かなくてはならないところも)
어쩌면 영원히 알고 싶지 않아
オチョミョン ヨンウォンニ エルゴ シプチ アナ Uh...
(もしかしたら、永遠に、知りたくない)
이대로 길 따라 아무도 모르는 곳에
イデロ キルッタラ アムド モルヌンゴセ
(このまま道に沿って誰も知らないところへ)
닿을 때나 그제서야 부르려나
タル テナ クジェソヤ プルリョナ
(着いたら、やっと、呼べるかしら)


이 길 따라 너를 따라 헤매는 나
イ ゲッ タラ ノルン タラ ヘメヌン ナ~♪
(この道に沿って、あなたを求めてさ迷うの、私は~♪)

ストーリーの概要

時は(架空の)朝鮮時代、国王のイ・ヒャンは病弱で子に恵まれなかったため、権力が安定しませんでした。イ・ヒャンには二人の弟がいて、一人は欲深いイ・ガン、もう一人は無欲なイ・フィがいました。イ・ガンは幼いころより母に冷遇され、母の愛を知らずに王宮の外で育ち、叔父に王位を狙うように吹き込まれて育てられました。イ・フィは無害と見いなされ王宮内で母と兄に愛されて清く正しい青年に育ちました。

大提学(テジェハク)の令嬢、ソン・ジャヒョンは絵を描くことが趣味で、貴重な青い絵の具を手に入れようとしてイ・フィと出会い、親交を深めて結婚の約束をする仲になりました。イ・ガンは弟が欲しがっているソン・ジャヒョンのことが欲しくなり、二人の邪魔をします。

ソン・ジャヒョンの友人、ユン・ナギョムは王族のイ・ガンに嫁いだことをきっかけに王妃になる野望を抱いてソン・ジャヒョンを陥れるようになりました。

欲深いイ・ガンとユン・ナギョムはあの手この手を使ってイ・フィとソン・ジャヒョンを妨害していきます。

あらすじをざっと述べると、こんな感じで、はじめから意地悪な兄が、無垢な弟を傷つけるという構図が出来上がっています。
ドラマガイドも出版されています。

各話あらすじ

1話から最終回までの詳しい個別のあらすじを解説しています。

視聴感想(序盤~中盤まで)

途中まで見た感想を少し述べたいと思います。正直にいって、このドラマは雰囲気を楽しむためのものであり、ストーリーを楽しむドラマではないと思います。雰囲気は本当にとても明るくて、軽くて、ノンストレスです。「オクニョ」で主人公を演じたチン・セヨンが清く美しいお嬢様を演じています。顔も白くて目も大きくて、刃も白くていう事なしのお嬢様です。イ・フィも、くせのない朝鮮の顔立ちで、容姿も細身で、王族らしく権力に欲を出さない清く正しいお坊ちゃま君です。

イ・ガンは役者さんがおじさんですが(笑)、現代ドラマでは二枚目男優としての地位を確立されている人ですから、安心して見ていられます。

イ・フィのお母さんも「チャングムの誓い」でハン尚宮役に出て来た人で、ドラマに安心感を与えています。

「家族の秘密」を見た人はウンビョルという名前を覚えておられることでしょう。このウンビョルという娘を演じていたのがユン・ナギョムを演じている女優さんなのです。

ストーリー自体はごくありふれたものであり、王座を狙う悪役がいて、それに立ち向かうヒーロー・ヒロインが主人公という構図です。10年前の時代劇では史実通りに王座が奪われてしまうのですが。最近の時代劇は勧善懲悪が流行っているようですね。

お話がすごく単純なので、若い視聴者が主なターゲットなんじゃないかと思います。

あらすじの全容

ウンソン大君ことイ・フィは朝鮮の王子様で国王イ・ヒャンの弟です。絵を描くことや書道の達人でその腕は明国の偉い人が欲しがるほどでした。

一方、チニャン大君こと、イ・ガンは武芸に秀でる行動派。幼い時より父母に冷遇され王宮の外で育ちました。叔父のヤンアン大君はそんなイ・ガンの劣等感を利用して権力を手に入れようと企みます。ヤンアン大君はイ・ガンに国王になるよう吹き込みます。

ある日、イ・ガンは弟のイ・フィを慕っているセンガクシ(宮女見習い)の少女ヨニが「自分の人」になることを拒んだため池に落として殺してしまいました。イ・ガンは自分もヨニに慕われたくて、ヨニに自分の人になることを望んだのです。事件はヨニが自ら池に飛び込んだ事故として処理され、イ・フィとパク・キトゥクはヨニの死をとても悲しみました。イ・ガンはいつでも正しく、そして周りからも愛されているイ・フィに嫉妬していました。

青年になったイ・フィはある日、高貴な両班(兩班、ヤンバン、양반)の令嬢ソン・ジャヒョンのことが好きになり、絵を通じて親交を深めて結婚を誓い合う関係になりました。

イ・フィの性格は国の法律に忠実で、正直で幸福な幼少期を過ごしており、幼い頃より母に愛されて育ちました。イ・フィは長兄の国王イ・ヒャンの遺言に忠実に従いイ・ミョン(李溟)の後ろ盾となっていました。

長兄のイ・ヒャンは国王でありながらも(ヤンアン大君に毒を盛られたため)病弱で、世継ぎの長男イ・ミョンもまだ幼く政権は不安定でした。

兄イ・ガンは弟フィに嫉妬していました。そして、イ・ガンはユン・ナギョムと政略結婚したにも関わらず、チャヒョンを好きになり結婚後も度々言い寄っていました。

風流をライフワークとし、朝廷の政治に関わらない姿勢を持っていたウンソン大君でしたが、兄イ・ガンがチャヒョンに好意を寄せて王座に欲を出したため、政争に巻き込まれていきます。

ヤンアン大君が操る兄イ・ガンに陥れられたイ・フィは女真族の捕虜となり奴隷として三年を過ごしました。イ・フィはその間に知り合ったルシゲ、そして従者のパク・キトゥクとキム・チュの息子キム・グァンと絆を深め、戦いに身を置く中で武芸の腕や生き残る術も磨き、朝鮮人の捕虜を救出しました。

北での厳しい三年間を生き延びたウンソン大君はキム・グァンの犠牲のもと、キトゥクとルシゲと共に朝鮮に帰還し、フィの生存を信じて独身を貫いていたチャヒョンとも再会することができました。しかし朝鮮に戻って来た時、兄イ・ガンは既に国王となっていました。

政局が混乱する中で、イ・ガンはウンソン大君とチャヒョンの婚礼を挙げさせ、結婚式の当日にチョ・ヨギョンが雇った刺客に大臣たちを殺させてその罪をウンソン大君になすりつけました。

しかしそれを知ったイ・ガンはウンソン大君を殺すため流刑に処して、オ・ウルンに暗殺を命じました。オ・ウルンはト・ジョングクを勧誘してウンソン大君を殺そうとしました。しかしト・ジョングクはそれよりも早くウンソン大君を父の仇と思い、暗殺しようとしたところをその人柄に惹かれ、誤解も解けたためウンソン大君のもとに下りました。

チャヒョンもまたイ・ガンの側室になる振りをして、酒に毒を盛った挙句、簪でイ・ガンを殺そうとしたため、ユン・ナギョムに拷問された挙句に尼寺に送られることになりました。

流刑地から逃亡したイ・フィは尼寺に到着する前にチャヒョンを救出します。再会した二人は仲間との絆を深めてイ・ガンの打倒に討って出ました。

軍人の長、ト・ジョングクという大きな駒を手に入れたイ・フィはチョ・ヨギョンも味方に引き入れ奸臣の不正の証拠を手に入れ、上王ますミョンを救出します。

イ・フィはヤンアン大君を罠にはめてイ・ガンの信頼を失わせます。イ・ガンはヤンアン大君が上王の復位をもくろんでいると誤解して賜死を命じます。ヤンアン大君が服薬を拒んだため、イ・フィはト・ジョングクに引導を渡すよう命じました。

そして最終回です。

イ・ガンは初代国王の墓参りに行く予定でした。

イ・フィはイ・ガンが王宮を出て河原に差し掛かったところを襲うつもりでしたが、シム・ジョンがチャン尚宮の様子が怪しいことに気が付いたため、イ・ガンは影武者を用意して自らは王宮に籠城していました。

イ・フィたちはそうとも知らずにチャヒョンとキトゥクに上王を王宮に連れて行くように指示し、自らはイ・ガンを討つつもりでいました。

しかし国王の行列は影武者であり、兵曹判書のユン・ジャジュンが援軍に駆け付けたため、義勇軍は敗走し、ルシゲはオ・ウルンに捕らえられ元捕虜だった民兵も死んでしまいました。

王宮ではイ・ガンがチャヒョンとキトゥク、上王を捕らえました。

イ・フィは第一の作戦が失敗したため、ト・ジョングクとともに中央軍を率いて直接王宮に乗り込んでチャヒョンたちを救出してイ・ガンとユン・ナギョムを部屋に軟禁しました。その際に、ルシゲがユン・ジャジュンに斬られて亡くなります。

部屋に閉じ込められたイ・ガンとユン・ナギョムを救出するために、側近のユン・ジャジュンとオ・ウルンは救出に向かいます。ユン・ジャジュンは妹のユン・ジャジュンを逃がしたところでト・ジョングクに倒されます。
観念したイ・ガンは最後を迎えるべく、正殿に弟のイ・フィを呼び出し、対決しました。イ・ガンは流刑になる恥辱を味わうくらいなら死んだほうがマシだと思っていました。しかし弟は兄の気持ちに気づくはずなく、欲を出すなと説教します。イ・ガンはイ・フィに刀で襲い掛かりました。イ・フィはやむなく抵抗しましたが、兄を斬ることはできません。そこでオ・ウルンが主人の本懐を遂げさせてあげました。イ・ガンは死ぬ間際に「私の愛する人が、すべて、ここにいる・・・。」と言って事切れました。本当はイ・ガンはみんなのことがとても好きだったのです。

イ・ガンの死に、叱ってばかりではなくもっと愛していることを示せばよかったと後悔する母のシム氏。シム氏はイ・ガンのことも愛していました。
上王のイ・ミョンは再び国王に正式に即位しました。ウンソン大君は母から摂政をするように命じられ、十年間摂政を務め、イ・ミョンを補佐しました。ルシゲを失ったパク・キトゥクは心の傷を癒すべく、旅に出ました。ウンソン大君は正式にソン・オクの婿養子となりました。
十年後、ウンソン大君とソン・ジャヒョンの間には息子と娘がいました。クッタンも結婚しており、ソン・ドゥクシクはクッタンを愛しながらも科挙に合格するまで十年もかかり愛は成就しませんでした。ソン家で宴が開かれたその日に、ユン・ナギョムはイ・ガンとの間に生まれた娘を、チャヒョンたちに託します。同じ日に、パク・キトゥクが戻って来ました。

イ・フィとチャヒョンは、イ・ガンとユン・ナギョムの娘ソファを連れて、イ・ガンの墓参りをします。数日前には逃亡の身であるユン・ナギョムが参拝に来ていました。イ・フィは養女にしたソファに、お父さんは勇敢な人だったと語ります。

景色の美しい山でイ・フィとチャヒョンが一緒に絵を描いて、摂政を辞職して地方で静かに暮らそうという話をしているところで物語は終わります。

各登場人物の結末とその後

話をまとめると、各登場人物の結末は次の通りです。

イ・フィとソン・ジャヒョンの結末

イ・フィはその後、ソン・オクの婿となり、イ・ミョンの摂政に任命されて、十年間国王の政治を補佐する地位に就き幼い国王を導いてきました。ソン・ジャヒョンは男の子と女の子を出産して幸せな家庭生活を過ごしています。

ソン・ジャヒョンはこのドラマの中で、一番大きな精神的変化を遂げています。純粋で幸福に育ったチャヒョン。結婚相手も見つかって幸せいっぱいで不幸を知りません。自分自身に災いが降りかかるまでは。チャヒョンは苦難を経て精神的に強くならざるを得なくなりました。もとともと前向きな性格なので、イ・ガンの誘惑をきっぱり断り、苦しいことにも泣いたりもしましたが、それでもそこで心変わりすることなく愛を貫きます。生き延びるためには精神的に強くならざるを得ないことが描かれています。このドラマの終盤に登場するチャヒョンは、もう最初の頃のチャヒョンではありません。辛いことも、乗り越えるチャヒョンです。

苦労知らずのウンソン大君は死地でサバイバルしたときからイ・ガンにも劣らないたくましい武人に成長しました。やはり人は苦難なくしては成長しないんだなと思います。苦難やストレスは成長する機会であり、その出来事に対し自分の知力が少々足りないという状況だと思います。やはり賢さというものはストレスを克服してこそ得られるものなのだと私は思います。だから嫌なこと、嫌な気持ちから逃げ回っていては成長がありません。

イ・ガンの結末

イ・ガンは残念ながら、プライドを守るために死んでしまいました。

イ・ガンは勇猛果敢で、目の前に障害があれば、力で乗り越えるタイプの豪傑でした。しかし精神的には弱さを抱えていて、その原因は母の愛情が不足していたことにありました。幼少期に心の傷を抱えると、克服することの難しさが描かれています。なぜなら幼いころの記憶は脳にしっかりと定着しているため、頻繁に回想することができるので逃れようがないからです。実はウンソン大君よりもとても繊細な人なのです。

イ・ガンを見ていればわかるように、ストレスに対し暴力で反応する人は、強いというイメージがある一方で、精神的に弱いといえましょう。この手のタイプの人と過ごしていても、精神的な幸福を得ることは難しいかもしれません。世の中にはいろんな人がいますし、誰と一緒になることが幸せかは人それぞれですね。

ルシゲの結末

19話で斬られて倒れたルシゲでしたが、最終回では愛するイ・フィの手のひらに徽と書いて、最後までイ・フィへの愛を貫いて亡くなりました。

パク・キトゥクの結末

最愛のルシゲを亡くしたパク・キトゥクは十年間旅に出た後に、ウンソン大君に仕えるべくして戻って来ました。

ユン・ナギョムの結末

ユン・ナギョムは逃亡しました。イ・ガンとの間に出来た娘を出産しました。しかしあまりに貧しかったため、ソン家の門前に娘を置き去りにしていきました。お付きのパク尚宮や侍女のプドゥルは傍に仕えていなかったので逃亡中に死んだものと思われます。

クッタンとソン・ドゥクシクの結末

もともとソン・ドゥクシクの求愛を明確に拒絶していた私奴婢のクッタンは、三年後に結婚していました。クッタンの結婚相手はソン・ドゥクシクではなく、同じ身分の奴婢でした。ソン・ドゥクシクは十年後に科挙に及第して就職が決まりましたが、クッタンは相変わらずソン・ドゥクシクの愛を受け入れるつもりはありませんでした。クッタンは現実的な女性で、生き延びるために恋愛をしないタイプの女性だったといえます。

上王イ・ミョンの結末

イ・ミョンはイ・ガンの死後復位し、国王になりました。その後十年を独身で過ごした後、叔父から結婚の話を持ち出され、妻は自分で決めると言って自分の意思を見せました。そんなイ・ミョンをウンソン大君は「私たち三兄弟によく似てる」と言いました。ちなみにイ・ミョンの父イ・ヒャンはヤンアン(陽安)大君に毒殺されています。ヤンアン大君の漢字を見てみると、歴史上の実在の人物である首陽大君(スヤンテグン)と安平大君(アンピョンテグン)から一文字ずつとっていると考えられます。

視聴感想(中盤から最終回まで)

全話見終えた感想です。正直いって、面白いかというと、NHKが放送しているから面白いのだろうと思うものの、私個人としては、あまり面白くなく、感情を揺さぶられるようなこともありませんでした。チュ・サンウク(イ・ガン役)やヤン・ミギョン(大王大妃シム氏役)の心の細かいところまで心情を表現している演技は素晴らしいと思います。イ・ガンの寂しそうな表情や(笑)、シム氏の毅然とした態度は並みの役者さんにはできないと思います。せっかく素晴らしい俳優さんや、オクニョを演じていた、チン・セヨンという新人で非の打ちどころのないような若い女性が出ているのに、肝心のストーリーが単純すぎるといいますか・・・悪党が暴れて、主人公とヒロインが復讐心を燃え上がらせて復讐するという、韓ドラの定番ですね、あのパターンにはまりすぎていて、直線的といいますか、凝り固まった価値観の中での演出に面白さを見出せませんでした。

話のモデルは世祖(セジョ)こと首陽大君(スヤンテグン)が、もしも悪党としてやられていたら、という仮定に基づいているのは明らかです。大王世宗(セジョン)の息子安平大君(アンピョンテグン)がイ・フィのモデルらしいですね。史実では端宗(タンジョン)と安平大君(アンピョンテグン)は世祖に殺されてしまいます。


最終回ではユン・ジャジュンとオ・ウルン率いる官軍は宮殿の外にいることになっています。その隙にト・ジョングク率いる中央軍が入場して、クーデターを成功させるわけです。簡単に事が成就したようですが、ユン・ジャジュンの軍とオ・ウルンの軍はどの程度のものだったのでしょうかね。中央軍が宮殿を占拠してイ・ガンを人質にとってしまえば、もう手出しができないのでしょうか。戦のことはよくわかりません。

ドラマの中ではしつこいほど主題歌が挿入されていました。決して悪くはないのですが、あの曲が頭にこびりついてしまい、迷惑なほどでした。大好きなあの人と一緒になりたいのに、命が危うくなるほどの苦難があるという心情を優しいメロディーで歌ったこの歌。どうすることもできない状況なのに、メロディーはちっとも悲しくなくて、癒し系という相反する矛盾があります。穏やかで親しみのあるメロディーでつらい気持ちを歌うという曲に慣れていないせいか、旋律がもたらす感情に反して過激な詩という組み合わせは、ちょっと違和感がありますが、そこは文化の違いなのかもしれませんね。どうせなら歌詞も優しいものであってほしかったです。

このドラマの見せどころというのは、二度、三度ほどの、ウンソン大君とソン・ジャヒョンが愛を確かめる場面です。確か、幕舎で一夜を共にしたスリリングな場面、そして18話で身も心も一つになり初夜を過ごした場面です。あとは再会して抱き合う場面とか、馬の絵を描いてデートする場面、結婚式など。正直いって私にはどうでもいい場面でしたが・・・ウンソン大君かチャヒョンになり切れている人にとっては、本当に幸福な場面だと思います。心底愛し合っていれば・・・という感じですね。そんな濃密な関係がテーマになるというからには、現実にはそこまでの関係ではない人たちが世の中には大勢いらっしゃる(イ・ガンとユン・ナギョムのような関係)という寂しい現実が・・・。突っ込みどころがありますが、ここはあえてスルーしたいと思います。

最期までわからなかったのは、イ・フィとソン・ジャヒョン、イ・ガンの誰が主人公なの?というところです。商業的には三本立ての主人公だとは思いますが、イ・フィはあまり存在感が無かったので、バランスを欠いたような印象を受けました。イ・ガンが一番輝いてましたね。

視聴感想(最終回)

最終回は完全にネタバレしますので、まだ見ていない人は読まないほうがよいと思います。

ラストでは晋陽大君(チニャンテグン)ことイ・ガンが側近の内禁衛将オ・ウルンによって斬られて亡くなります。チュ・サンウクのファンの人はショックだったと思います。実はイ・ガンはオ・ウルンに、ウンソン大君がもし自分を斬れない場合は、自分を殺してくれと命じていました。イ・ガンの気持ちをよく知っているオ・ウルンは忠実に従います。

そして、お母さんの大王大妃シム氏は息子のカンに対して冷たく遠ざけていたことをたいへん後悔していました。カンを叱るよりも愛していることを示せばよかったと。この場面では子育てに失敗した母の取返しの付かない後悔の念と苦しみが示されています。厳しく息子をしつけるのではなく、慈しんだほうが教育上よかったという反省と作者の意図が現れています。母にとって一番の心配は子どもたちがまともで幸福な人生を歩めるかどうかだと思います。残念ながら、世の中では子どものわがままが正されず、子育てがうまくいかない場合もある程度ありますので、その苦労を象徴的に描いているようにも思います。

イ・ガンはまた、チャヒョンのことが好きでした。しかし好意を素直に表現することができず、その原因はウンソン大君の愛する人だったからだと思います。親が決めた妻がいるのに、他の女性を心から好きになってしまった。人間にはどうしようもない背徳感がイ・ガンを苦しめます。イ・ガンがチャヒョンに見せる「悲しい目」というのは、イ・ガンの本心を表しています。イ・ガンは心に深い悲しみを抱いていましたが、妻のユン・ナギョムはそのことに気づくことはありませんでした。イ・ガンはチャヒョンにその悲しみを癒して欲しかったのだと思います。母に愛されなかった悲しみや、官職を得てはいけない悲しみ、男として社会的に成功してはいけないという悲しみです。

イ・ガンにとって、父母から遠ざけられて、兄と弟ばかりが愛されていることは、かなりの劣等感と甘えられない苦しみ、幸福感を得られない苦しみはウンソン大君の明るい人生と比べたら、かなりのストレス、絶望だったと思います。男にとって、その社会で一生無職というのは、たとえお金があったとしても屈辱で、一生持続する大きなストレスがあると思います。作者サイドではそのことについては直接触れていませんでしたが、イ・ガンを演じているチュ・サンウクはイ・ガンの気持ちをよく知っていて、正しく表現できています。チュ・サンウクという俳優さんは従来の恋愛ドラマの二番手という役柄を、より深く掘り下げて演じておられるので本当に偉いと思います。

それに対し、主人公のウンソン大君とソン・ジャヒョンは「被害者」を演じていて「復讐」するとう役割を与えられています。チニャン大君よりも十歳くらいか、それ以上年下なので、イ・ガンの心情を理解できないのも当然です。ウンソン大君は兄が欲を抱いたことを叱責するばかりで、その深い悲しみに対しては理解がありませんでした。チャヒョンもまた同様に、イ・ガンがどうして乱暴に振舞うのか知る由もありません。イ・ガンや母のシム氏という役に比べたら、ウンソン大君とソン・ジャヒョンという役柄は底が浅いキャラクターです。

ウンソン大君ことイ・フィは幼少より母に愛され幸福な人生を送ってきたため、素直で明るく、自分の社会的役割に対して何の抵抗もなく受け入れるかわりに、趣味の世界に没頭している人物です。趣味といっても、書画は社会に認められている遊びで人間にとって必要不可欠な芸であるため、職業としてある程度成り立ちますので、社会的な承認を得たいという欲求を満たすことができます。世の中では官僚か武官となるか、商人となるしか金銭を稼ぐ道がありませんので、椅子取りゲームで残ってる席が無い状態で生きることは現代でも極めて厳しいといえましょう。趣味の世界というものは、人の暮らしに安らぎをもたらしてうれるもので人類には欠かせない業界ですが、政治や商業など世の中を動かす分野とは直接関係がありません。

社会とは直接関係のない趣味の業界でも、人の心を扱いますから心に影響を与えることができます。イ・フィはその業界で花開き、家庭生活を楽しむことを人生の目的にしていました。そこに兄が混乱をもたらしたため、仕方なく立ち上がらずを得なくなり、結果として政治と軍において顕著な功績、一等功臣になって後の領議政の婿になったので、子どもたちの出世も確定して社会的にも成功したという構図です。無欲でいたからこそ、自分や家族が政治の世界で最高の活躍ができて名声も得たということが描かれています。現実の世界とは正反対ですね。

ウンソン大君はどうして欲を我慢しないのだと最終回で兄を叱ります。それに対し、イ・ガンは努力すれば弟の女でも何でも手に入ると思っていたと答えます。イ・ガンは叶わぬ夢も、必死で努力すれば叶うと信じており、そのためには家族が死んでも・・・と思っていたかどうかはわかりませんが、誰でも目の前に、手が届く場所に「富と権力」があったら、どうするかは実際にその立場になってみないとわからないと思います。しかし欲をかいてそれを得たとしても、評判は悪くなりますから、幸福ではなく、いつも他者からの不信感を身に感じるので、それを排除するために強硬な手段に出たくなるのす。

またまたイ・ガンの話になりますが、イ・ガンは自分に反対する者のことをストレスに感じていました。イ・ガンが常日頃から抱いているストレスに加え、周りからの評判の悪さは、かなりのストレスだったはずです。

暴君イ・ガンが死んで、上王(サンワン)だったイ・ミョンが正式に王に復位しました。ウンソン大君は母の頼みで摂政(せっしょう)に任命され、甥を補佐します。母のシム氏は叔父が甥を支えた例は、周の周公を例になぞらえ、礼法に詳しいシム・ジョンを説得しています。王室や大臣の最低限の教養に中国の歴史が必須であることがわかりますね。


その後、十年が経ちソン・オクの婿となったウンソン大君と妻のチャヒョンは一男一女をもうけて、私奴婢のクッタンも奴婢同士で結婚しています。そんドゥクシクは科挙の及第まで十年かかり、クッタンにどうして待っていてくれなかったのだと言いました。しかし両班と奴婢の子が両班になれることはありません。クッタンはその現実を受け入れドゥクシクの二番目の女になり子どもが「半分」などといじめられてイ・ガンよりも酷い目に遭うよりは、他の男の正妻のほうがマシだと思っています。芸妓のチョ・ヨギョンもまた、今回の反正で免賤(ミョンチョン、身分を開放)されたとしても、その後の人生がうまくいくとは限らないと思い、身分の解放を望みませんでした。チョ・ヨギョンは妓楼の芸妓として既に花開いて或る意味成功しています。それが平民か中人か何かに昇格したとしても、その世界で生きていくためには、成功もゼロとなり、一からやり直さねばなりません。要するに、生まれ育った環境と身分を現世では超えることができないという作者の意図が現れています。貧しい家庭に生まれた子どもがお金持ちにはなることがなれないという韓国の。世界の現実です。

ウンソン大君とソン・ジャヒョンが幸福でいられるのは、高貴な家庭に生まれたという以外に理由がありません。クッタンもまた、高貴で心優しい主人に仕えていたから幸福だということです。つまるところ、お金持ちの家庭に生まれるか、まともなお金持ちの側近になることが一番の幸せであると、このドラマでは描かれています。このドラマでは幸福の定義はこのことに加えて、子を持ち楽しく暮らすことだと表現されています。


チョ・ヨギョンは「人生は儚くむなしい」と言っています。確かこのセリフは「ファン・ジニ」にも出て来たと思います。「ファン・ジニ」に登場するペンムという師匠は弟子の優秀さに嫉妬して心を乱して自害するという、欲に負け、人生にも絶望した役柄を演じていますが、本質的には誰もがむなしい人生を送っているので嫉妬する必要すらなかったのです。チョ・ヨギョンは人生の本質について理解を示しており、人間の一生そのものがむなしいものだと知っています。私たちが感じる人生の空しさは、何も貧しい人生を送っているからではなく、誰もが感じるむなしさなのです。日本ではそのむなしさのことを「心にぽっかりと穴が開いた」と表現します。そしてその穴を埋めるものは自分や他者への愛情であったり、感謝の気持ちのようなポジティブな感情であると思っています。イ・ガンには不幸なことにその穴を埋めて気分を紛らわすための愛が得られなかったのです。虚しさや孤独というものは誰にでもありますが、あまりに不遇な人生ですと、そのつらさに飲み込まれてしまいます。このドラマが私的に高評価と言えるのは、イ・ガンを通じてこのことを描いているからだと言えます。人生は儚くむなしいのだから、その現実を受け入れて、どうするかが重要なのです。イ・ガンは死ぬ間際までそのことについて苦しみ、惑い、手に入れたら満たされると勘違いしていたのです。物を得たとしても、この苦から逃れることは誰にもできません。我々人間にできることは、せいぜい、自分や他者を慈しんで、小さな幸福を感じる回数を増やすことくらいなのです。

要するに、暴力を振るっても、心にぽっかりと空いた穴を埋めることはできないのです。欲求不満だったとしても、暴れても満たされることはできないのです。なぜなら「それ」は常に付きまとっていますから、逃げようが無いのです。例えばですね・・・日本のアニメの「ゲド戦記」ではそれから逃げようとして、どうしようもない罪を犯す王子が描かれています。叫んでも何をしても、人生の本質からは誰一人として逃れることはできません。このことについて無知で死ぬまで意識したことの無い人は幸福で羨ましいなとは思いますが。どんな高貴な人でも、この苦しみからは逃れられないのです。大体、思春期頃からですかね、気づきはじめるのは。明確に自覚する時期は、人それぞれですが、親が老いたりしてからですかね。

しかし自分の死や人生の本質に気づかないと成長できませんから、何も知ることは苦しいだけではなく前向きになる原動力にもなります。気づいて慣れてしまえば苦に病むことはありませんが、気づかない人は混乱して苦しいはずです。大体、妻のほうが夫よりも長生きな現代では、女性のほうが孤独になりやすいですからね。女性は精神的に強くならざるを得ないのです。孤独から逃れるために早々に結婚して子どもを産んだとしても、幸運な一握りの人を除いては、誰一人として苦から逃れることはできないと思います。

もう一度述べさせてもらいますが、このドラマの評価を上げる原因は、イ・ガンとその母を通じて人生の苦しみを描いているからです。

レビュー

上記のレビューから、私の評価は五段階で次の通りになりました。

泣ける:★★★★★
恋愛:★★★★
チャンバラ:★★★
面白さ:★★★★
奥深さ:★★★★★
主人公の魅力:★★
悪役の魅力:★★★★★
明るさ:★★★★★
テンポ:★★★★★
爽やかさ:★★★★★
チュ・サンウク:★★★★★★
総合:★★★★★
このドラマを振り返ってみると、恋愛面でも面白かったと思います。イ・フィの気持ちを中心にしてみると、なかなかいいと思いますよ。このドラマはどうしてもイ・ガンのほうが目立ってましたから、もう一度視聴して、今度は別の登場人物の心情に主眼を置いてみてはどうでしょうか?

首陽大君(スヤンテグン)とイ・ガン

おまけといいますか、ここは述べざるを得ないなと思います。

首陽大君(スヤンテグン)は大王世宗(セジョン)の次男です。このドラマのイ・ガンも次男です。世宗(セジョン)という国王は朝鮮にとって文字をもたらしたという意味では偉大な国王です。そのような偉人の次男に生まれた首陽(スヤン)大君は、世宗(セジョン)とは対照的に乱暴な人物で幼い端宗(タンジョン)を殺して王位を簒奪しました。端宗(タンジョン)の父、文宗(ムンジョン)は病弱であったところは、このドラマの国王イ・ヒャンも同じです。

首陽大君(スヤンテグン)は国王になると、反対派をことごとく粛正していきます。残ったのは側近で策士のハン・ミョンフェなどで、彼らは栄華を享受しましたが、たいへん恨まれていました。首陽大君(スヤンテグン)こと世祖(セジョ)は、ハンセン病になり、息子に王位を譲って亡くなりましたが、睿宗も在位一年で崩御し、王位は仁粋大妃の息子成宗に受け継がれましたが、成宗もまた女癖が悪く、仁粋大妃の孫である燕山君が暴政を働き、政治は混乱しました。要するに世祖の栄華の影で、息子と孫は苦労を知らない、あるいは苦労が嫌でたまらないダメな子だったということです。

世祖の功績は、自らの血統がこの国を支配できるようにする制度を整えることでした。いわゆる「俺様の国」であり、臣下たちはそのための道具です。そうはいっても国王と王室が永続的に栄華を継続するためには、その国の富をある程度手に入れなければいけません。しかし残念なことに朝鮮には王室だけが持てる富よりも、豪族の長が持ってる富のほうが多いのです。その原因は朝鮮半島には黄金のような資源が無いということに尽きると思います。このような資源の少ない環境で王権を維持するためには、厳しい制度が必要です。人を管理するための法(経国大典)がそれに当たります。この経国大典は現在の韓国の文化となっており、世祖が果たした功績(影響)は大きいといえましょう。ですから世祖のことを無能と呼ぶことはできず、他の王と比べたら有能であったといえます。この経国大典の欠点は明の法律を参考にしているため、時代の影響に極めて脆いといえます。

二代目三代目がダメだという話はよくあることです。栄華に溺れて、栄華を持続するためには先祖に劣らぬ苦労が必要だということが、子孫にはわからないのです。何となく身分にふさわしくない未熟な自分自身の能力のせいでストレスは感じているでしょうが、そのストレスは克服すべきものであり、拒絶するものではないと、二代目三代目の子どもたちは知らないのです。ストレスを拒絶すると、混乱が待っています。人間の運命として、ストレスというものは乗り越えないと、成功はあり得ないということです。つまり、社会で上の地位にいようと思ったら、賢さと忍耐力が必要なのです。二代目三代目とはいえ、自力で力をつけていかないとダメなのです。栄華を求め、それを持続させようと思うと、苦しい人生は必須なのです。お金持ちが心から笑っていないのは、これらのストレスのせいだといえます。明るく楽しい人生は、二代目三代目や子孫には、なかなか望めないのでございます。なぜなら努力し続けないと没落していくからです。ですからお金持ちだからといって決して幸福ということではなく、家門のために、誰よりも頭脳を酷使して働き続けることが求められるのです。それは苦行そのものです。世の中を見ていると、ヤンキーのように感情のおもむくままに生きている人たちは幸せそうに見えますよね。それは野生のまま生きているからであって、精神的に自由だからです。ですから、そこそこ儲けようと思うと、言葉を操る能力や感情を乱さない能力というものが、より重要になってきます。

イ・ガンは栄華を求めて悪いことをしてきましたが、そこに精神的な幸福はありませんし望みようがないのです。ユン・ナギョムもまたそのまま中殿(チュンジョン)の座にいれば、側室たちから王子の命を狙われるでしょうから、安心できる日が無いのです。ですからイ・ガンが本当に幸せになるためには、権力を求めてはならなかったのです。不幸な王座と、無職でも中流(没落したユン家)の人生、どっちがいいですかね?後者なら、イ・ガンは多くのものを捨てて、随分下から息子を這い上がらなければいけませんから、可哀そうですね。

実のところ、5話においてユン・ナギョムを郡夫人(グブイン)と言っている誤りがあります。実は府夫人です(ブブイン)。他にも官軍が千歳というべきところを万歳といっている場面があります。

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