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韓国ドラマ推奴(チュノ)全24話の詳しいあらすじと感想、最終回の解釈


チュノ 韓国ドラマ

推奴(チュノ)の全話あらすじ

韓国ドラマ推奴(チュノ)を全話見終わりました。全各話のあらすじとリンクは次のようになっています。この推奴(チュノ)というドラマは本当に面白くて話の解説にも力が入りました。結論から言うと、推奴(チュノ)は感動して泣けるドラマです。本当にたいへん詳しくネタバレしていますので、先に結末を知るとがっかりするので全話見終えてから読んでくださいね。これから視聴される方へ、この推奴(チュノ)というドラマはたいへんな名作で「言葉を使わずに気持ちを表現している」演技が多々登場します。役者さんの表情が何を表しているのか注目しながら見ると、物語を深く味わえます。

推奴(チュノ)の感想(あらすじねたばれあり)

ここからは本当にチュノのあらすじを最終回までネタバレした総合の感想なので、まだ見てない人は絶対に読まないでください。
準備が出来ましたらお先へどうぞ。

*   *   *

書き出しは最終回の感想を少し引用しました。

推奴(チュノ)の全話を見終えました。

最終回は本当に内容が濃いドラマでした。もう感動して涙出ちゃいました。まさかそう来るとは!私はテギルだけじゃなくファン・チョルンは死ぬと思ってたんですよ。テハも、あの様子だとやはり船着き場に行く前に死んでしまったのではないかと思います。でもドラマでは、はっきりとテハが死ぬ場面を描かなかった。テハは朝鮮への愛国心と忠誠を示し、韓国の人々を感動させました(多分)。史実では石堅(ソッキョン)王子は清には行っていないので、ドラマの話ではオンニョンが石堅をしばらく守ったのかな?と思います。その辺は何も描かれていなかったけど。

推奴(チュノ)を私が見たのは2017年です。推奴(チュノ)は2010年の作品で画質も悪いのですが、それでも感動しました。推奴(チュノ)は他の韓国ドラマとは出来栄えが違って素晴らしいです。脚本もイギリスの小説家顔負けの文学的表現も入っていて絶妙な演出で音楽も世界観にとても合っていて最高です!!!


さあて、いったいどこから感想を書きましょうか。

感動が薄れないうちに書いてしまいたいと思います。


テギルについて

テギルの名前は李大吉。推定年齢は26歳〜27歳くらいではないかと思います。大吉というと江戸時代のドラマによく出てくる町人の名前です。朝鮮語の発音では随分と立派に聞こえます。テギルは両班の少なくとも次男以降の生まれで最終回でテギルに最近死んだ実の兄がいたことがわかります。ですので家門自体は滅びておらず、放蕩してゴロツキに混ざり愛する人を捜し続けている両班の若様ということになるでしょう。

テギルは実家の使用人だったオンニョンとその兄クンノム(キム・ソンファン)と同じ家で暮らしていました。テギルはどうってことのない平凡な両班の若様(トリョンニ)でした。テギルが美しいオンニョンに恋をして愛するようになるのは当然といった説得力がドラマにありました。テギルはオンニョンを愛することで心が変化していきます。その時テギルは世の中を変えてオンニョンと結婚できるようにすると彼女に約束しました。テギルの誓いは世間知らずで純粋なものでした。しかしある日、清の兵士が朝鮮を襲いテギルの家も襲われました。その時のテギルは弱弱しく無力な青年とも少年ともいえない年ごろで、演出からは高校生1〜2年生あたりであったと思います。オンニョンを守る力もなくて、やっとのことで清の兵士を刺してしまったものの、窮地に陥りました。その時テギルとオンニョン、イ家の人々を救ったのが当時判官だったソン・テハです。時系列的に本編から10年〜12年程度昔でしょうか。世の中のことを知らないテギルは父にオンニョンとの婚礼の許しを求めてしまい、オンニョンは罰を受け小屋に閉じ込められ、演出はそれほどなかったにせよどこかに売り飛ばされようとされていたことでしょう。クンノムはオンニョンと逃げるためにテギルの父を殺して放火しました。テギルは父を殺したクンノムを憎み推奴(チュノ)となってキム・ヘウォン(オンニョン)を捜しはじめました。テギルが推奴(チュノ)をしていたのは5年だそうですから、どこでチャッキと会い武術を学んだかはよくわかりません。テギルはオンニョンを捜すため推奴(チュノ)師となり汚い世界に自ら関わるようになり力を付けて行きました。テギルはオンニョンのためだけに強くなったのです。大人になったテギルは純粋さを自分の心に閉じ込めるようになりましたが、その気持ちは失われてはいませんでした。

テギルはクンノムに会いに行ったのですが、クンノムもまたクソみたいな人生に嫌気がさしていました。クンノムはテギルの手に持っていた短刀で自分の腹を刺し、自分とテギルが異母兄弟であることを死に際に言い残し世を去りました。最終回でテギルはオンニョンに兄のキム・ソンファンが自分の手にかかって死んだことをどうしてもいう事ができませんでした。


テギルはテハのように兵法を知りませんでした。仕事をしていくうちに人々から恨みを買い、やくざやゴロツキ、汚い両班の世界に慣れて、泥棒も、人身売買も経験していきます。まさにクソみたいな人生ですが、オンニョンだけは死ぬまで愛し続けました。

テギルは逃亡した奴婢などを捕まえて売って稼ぐ一方で、女性と子どもなど一部の逃亡者だけはチャッキのところに送っていたみたいです。でもテギルは生活のために逃亡者を売ることもしていたようで、オッポクから殺意ある恨みを買いました。テギルは最低な人身売買という悪に手を染めつつも、人身売買で手に入れた金でチェ将軍とワンソンに土地と家を買い与えるなど、家族同然の味方には優しい一面もありました。最終的にテギルはテハの事件に巻き込まれ、オンニョンを守るために命を使い果たしました。


韓ドラでは人妻となった愛しい人を守る男という話は現在放送中の「師任堂(サイムダン)、色の日記」でも登場します。よくあるパターンのようですね。最終回でテギルはオンニョンのために絹の靴を渡そうと思っていました。テギルは待っても二人が来ないので嫌な予感がして死闘中のテハとファン・チョルンの間に割って入ります。テギルはもう戦えないテハにオンニョンと石堅を連れて逃げるように言い、まともに武術の訓練も受けていないのにファン・チョルンと生き残りの手下の相手をして亡くなります。テギルは最後までオンニョンを愛していました。


テギルはチェ将軍に夢を語っていました。ワンソンとチェ将軍とオンニョンで幸せに暮らすという夢を。両班に絶望し、幸せを夢に描いて汚い仕事に手を染めて。

テギルを演じていたのはチャン・ヒョクという俳優さんです。チャン・ヒョクは「アイリス2」で主役というか、男ヒロインを演じ来世でオンニョン役のイ・ダヘとドラマの中で結ばれていました(笑)チャン・ヒョクは「根の深い木」でも武人カン・チェユンという役を演じています。チャン・ヒョクの演技はどちらかというと、半グレみたいなワンパターンですが、出演作はどれも名作といってもよいでしょう。私が見た中では「推奴(チュノ)」がチャン・ヒョクのベストな作品であるように思います。

主役のイ・テギルは純粋な少年の心と世の中とぶつかり合いながら濁世で形成されたチンピラの人格を持ち合わせたヒーローといえましょう。


テハについて

ソン・テハという人物についてテハの名前は孫太河だったかと思います。推定年齢は33歳〜38歳くらいではないかと思います。テハの素性についてはよくわかりませんが、昔は訓練院(フルリョンウォン)の判官(パングァン)でした。判官(パングァン)は日本では三位ですが朝鮮では従五位と、「ナウリ」と呼ばれる身分です。それより下のファン・チョルンは当時は下級の武官といったところでしょう。訓練院(フルリョンウォン)は兵士の訓練所で、実際にテハのような人物が戦争に出かけていたのか何をしていたのは私は知りませんが、テハは清と戦っていましたね。訓錬都監(フルリョントガム)の中にその部署があるのかな?

テハは一応テギルよりかは何歳か、歳上なのでしょう。かつてテギルの家を襲った清の兵士をファン・チョルンとともに成敗していましたので。

その割にテハはアホそうといいますか(笑)ぼーっとしているところがあって、やっぱり軍のこと以外は何もわからない感じでしたね。

テハは以前清の兵士に妻子を殺されて、イ・ギョンシクに兵糧米を盗んだ罪を着せられ、官奴となりました。その時の拷問で部下のクァク・ハンソムに自分を売って生き残り石堅王子をお守りするように命じました。テハもハンソムも忠義に厚く決して人を裏切ることのない人物です。テハが脱獄するとイ・ギョンシクの命令でファン・チョルンはテハの行く手を次々と阻みます。はじめテハは自分の師を訪ねましたが既にファン・チョルンに殺されていました。そんな行き所の無いテハをチョ先生は利用します。チョ先生は自分が朝廷で官職を得てのし上がるためには王孫を頂戴して一気に権勢を得ようと考えていました。そのためには聞こえの良い大義名分が必要で、綺麗ごとを言いながら同志を増やしていきました。一等功臣になれば左議政領議政も夢ではありません。チョ先生はソン・テハとともに挙兵をするという計画を立てていました。しかしイ・ギョンシクにより計画が挫かれ、チョ先生は形勢が不利になるとイ・ギョンシクに出世したいという本心を見透かされ味方を売り渡しその一味になってしまいます。そんなチョ先生を妓生の女たちは心で軽蔑していました。


昭顕世子(ソヒョンセジャ)亡きテハの心には石堅(ソッキョン)を守るという約束だけが刻まれていました。

テハは逃亡の途中で婚礼から逃亡中のオンニョンと出合い共に済州島へ行きクァク・ハンソムとともに幽閉中の石堅王孫を仁祖から奪回し暗殺に向かったファン・チョルンの凶刃から守ります。キム・ガプス演じる仁祖はドラマではろくでもない人物で密に王孫が殺されてもよいと考えていました。次々に亡くなる昭顕世子(ソヒョンセジャ)の子どもたちから実は王が孫を葬っているというような噂が流れたりしても不思議ではありません。

テハとオンニョンは不思議な縁で結ばれ結婚までしちゃいます。ドラマではこれを運命だと言っていますが・・・どうも釈然としませんね。オンニョンもなぜ逃げてる奴婢と結婚したのか。

テハとキム・ヘウォン(オンニョン)の結婚後、テハはオンニョンが元奴婢であることを知らされ一時動揺します。それはテハも完璧な男じゃなくて人間であることを示しています。しかしテハは終始一貫して「私は奴婢ではありません」を貫いていますから、テハの奴婢階級への差別心も相当なものであり、それが視聴者に悪く思われることなく何度も表現されています。これはテハのドラマ中で見られるソン・テハの一番の醜い心です。テハはポクトンにも「無礼者」と言ってましたから。テハは妻のキム・ヘウォン(オンニョン)を通して差別のない平等な世の中がどのようなものか理解しはじめ心の成長を見せました。このドラマではテハの心の葛藤はほとんど描かれていませんでした。あまり描くとテギルより目立って主役の座を奪われそうになるからでしょう。実のところ、ソン・テハも愛と差別心の間に苦しんだり葛藤していましたが、静かに自力で乗り越えていました。キム・ヘウォン(オンニョン)との身分差のある愛もテハはテギルみたいに激しくならずに乗り越えていたところにテハの心の強さが表れています。兄が死んだため家門も断絶したヘウォンは奴婢に再転落でしょうから、それを承知でテハは本当の夫婦になったのです。でも、お殿様の口癖はラストでも抜けきることはありませんでした。

テハには師がいたことから幼いころは詩経について学んでいたことがわかります。梅の絵も描いてましたから、両班としての学問をそれなりに身に着けていることがわかります。テハの教養がどの程度のものかわかりませんが、人徳があり、忠義に厚く、命をかけて自分の主君とその子どもを守り部下にも優しいという武人の理想を備えていました。言葉数が少ないのは武人は警備もしないといけないのでむやみやたらとしゃべることが許されない職業だったことも影響していたことでしょう。武術の腕前も強くて妻子を心底愛するよき夫、よき父親という理想像をドラマでは描いていました。

それにしても推奴(チュノ)でのソン・テハ(Song Tae Ha)の武術の立ち回りは見事でした。カッコいいというほかありません。「イニョプの道」のオ・ジホ演じたキャラよりも随分と男前に見えます(笑)

ソン・テハは韓国の人の理想のヒーロー像を演じていたと言ったも良いでしょう。


オンニョン(キム・ヘウォン)について

オンニョンという元奴婢は兄のキム・ソンファンが両班の族譜を金で手に入れたことで両班のキム・ヘウォンという女性になりました。オンニョンは心優しい娘で、キム・ソンファンは妹一筋だったようでオンニョンに読み書きや両班の女性としての振る舞いの教育をしたようです。オンニョンはソン・テハと結ばれてもまだ心のどこかでテギルを愛していましたが、石堅と出合ったことやテハを理解するにつれてテハの妻として生きる覚悟を決めました。おそらくオンニョンはテギルもテハも両方愛していたように思います。

最初からちょっと言わせてもらいますけど、オンニョン(キム・ヘウォン)の狙ったような演技はエロすぎて不快でした。何度か胸をはだけるシーンがあって目のやり場に困るし、お演技がいやらしかったです・・・。民放ではエロビデオよろしく胸にモザイクかかってました(笑)男の視聴者の楽しみと思えばどうでもいいですけどね。真面目なテーマを扱ってるのに・・・。女性がチェ将軍の沐浴シーンで喜ぶのと同じと思えば男性の喜ぶ気持ちはわからなくもないです(笑)テハもテギルも見た目が魅力的でゆったりと振る舞い心も穏やかで優しいけどその他は特に魅力が無いオンニョンを嫁にしたいと思うのでしょう。確かにその辺の女性はもっとトゲトゲしいですからね!オンニョンの年齢は大体26歳から27歳くらいではないかと思います。

美人のオンニョンが両班のクソ爺の息子との婚礼から逃げ出して、体は他人の所有物となり心は傷つきを重ね続ける人生だったとしても裕福になれそうだった運命が狂い始めました。オンニョンは最終回までテギルを「若様(トリョンニ)」と呼んでいました。さすがにその呼び方は不自然です(後でよく考えると意味があってそう呼んでいました)。再会してテギルがやくざ者になっていた時に、オンニョンは生きていてくれてありがとうございます。と仏に何度も感謝しました。やはり不思議に思うのは、テギルが妙なゴロツキの姿になっているのに、何の疑問も湧かないオンニョン。そこまで心が仏のように広いのか、テギルが両班の身分を失っていない(かもしれない)ことを知っていたのかシーンがカットされていた放送を見ていたのでわかりません。テギルが今も自分を愛して追いかけてきたことは当然わかったようですが、それに対しオンニョンは・・・ただ感謝を繰り返すばかりです。「ここまで来てくれて感謝しています。」もしもオンニョンが賢い女性であったならばこのセリフは少々納得いきません(私が未熟なせいでもあります)。危険な旅にテギルが参加しているのですから(笑)オンニョンは都合よく作者に合わせた演出のみの出演であり、ソルファみたいに自分の意志で自律的に何か行動したというわけではないので(婚礼から逃げ出した以外は特に流されるまま)、オンニョンについての解釈は実のところ私にもよくわかりません。ヒロインとしての役回りと、ドラマの飾り物としての役割、これがオンニョンの立ち位置なのでしょう。この扱いはちょっと残念です。

オンニョンはドラマの中の数少ない台詞で心情の変化を語っています。最終回で野宿するテギル一行でオンニョンはテハに「もう私を一人にしないでください」と言いました。これはテハが自分とテギルとの関係を気遣って席を外したということを意味しています。つまり「もう私とテギルとの関係についてお気遣いなさらないでください」と同じ意味で言い換えることができます。そこにはオンニョンの心が定まったことが現れていて、以降はテハのことを「ナウリ(ご主人様、下の身分の者が目上の両班を呼ぶ呼称)」ではなく「サバンニ(旦那様、妻が夫を呼ぶ正式名称)」と呼んでいます。それに対し、テハはその場ですぐに返事はしていません。テハがオンニョンの言葉に返事をするのはラストです。「そろそろ私の考えに従ってくれぬか?」それに対し、オンニョンはそうしますと返しています。これはつまり、テハとヘウォンが元妻や元恋人との苦しくも切ない縁を乗り越え、二人で夫婦として人生を歩み出す決意の会話です。テハもまた元妻を心底愛していたとドラマの中で描かれていましたから、テハの元妻への想いはたったそれだけのシーンで以降は描かれなくても極めて強い情があったことが想像できます。

オンニョンが決して自己主張しなかったのは当時の時代背景や奴婢として両班の女性としての振る舞いをリアルに考慮してのことかもしれません。でもオンニョンはドラマの中で言葉少なくとも表情で多くの気持ちを語っていました。台詞が無くても話しているかのごとく、思いを語ることができるのですね。それはファン・チョルンの夫人も同じで言葉が無くても実はたくさんしゃべっていたことに皆さんお気づきだったでしょうか?ファン・チョルンの母も含めて両班の夫人が言葉少なくとも思いを明確に表現していることはこのドラマの重要な表現です。このドラマには言葉で表現しない表現がたくさん描かれています。それがオッポクとチョボクの愛についてです。

オッポクについて

まずはオッポクの結末についてです。オッポクは江原道(カンウォンド)猟師をしていた奴婢です。性格はキレやすく、年齢は40代ではないかと思います。税を払えなかったのか、逃亡してテギルに捕まったことにより奴婢として両班の家で奴隷としてこき使われていました。オッポクは自分を捕まえて捕校(ポギョ)に売り渡したテギルを殺したいほど憎んでいました。オッポクは「あのお方」と言う悪党イ・ギョンシクの部下に「奴婢が集結して蜂起して王宮を襲い奴婢が両班を奴隷とする世の中をつくる」と騙され知り合いの奴婢のクッポンやケノムおじさんたちと一緒にイ・ギョンシクが気に入らない両班や水牛の角を持っている両班を殺して力と自信を付けていきました。オッポクたちはイ・ギョンシクとあのお方に騙されついに宣恵庁(ソネチョン)を襲撃して炎上させました。しかしそれはイ・ギョンシクが水牛の角という朝鮮の特産品を買い占め、奴婢を北方へ追いやる隔離政策を推進し奴婢をこき使い城壁を建築させ、あるいは人間の盾として清国と戦争を起こして水牛の角の価格を釣り上げて金儲けするためでした。

イ・ギョンシクは7話で水牛の角についてこう言いました。

「清国は朝鮮の角牛の威力を恐れている。角牛を作るには水牛が必要だが清国の使臣が水牛の角の交易を禁止するだろう。世子邸下が王になられたら北伐が行われるだろう。その時最も売れる物が水牛の角だ。それさえあれば世の中を手中に収められる。すべては皆の利益のためだ。」
私も忘れてましたが、角牛が武器なのか何なのかは、思い出しました。戦争が起きた時に水牛の角は角弓(かくきゅう)の武器になると13話で描かれていました。

つまりイ・ギョンシクは金儲けのために水牛の角を人を殺してその息子を騙すなどして集める一方で、奴婢に反乱を起こさせ北に送る口実をあのお方を使って工作していました。奴婢が両班を殺して王宮の役所を襲ったとなれば仁祖(王様)はイ・ギョンシクの上奏を拒めなくなります。清と戦争を起こすためにはヨンゴルテや清の国と親しい昭顕世子(ソヒョンセジャ)はもちろんのこと、その子どもの王孫石堅とソン・テハが邪魔になります。イ・ギョンシクはチョ先生を騙して一味を滅ぼしました。

オッポクに何度も暗に求愛していたのがチョボクです。はじめからオッポクとチョボクに注目した視聴者はほとんどいないと思いますが、チョボクは1話の時点でオッポクのことが相当好きであることが描かれています。こんなオヤジを若い娘が好きになるはずがないとオッポクは思い込んでいました。理由をつけてオッポクに抱き着くチョボクの求愛は明確さを増していきました。

オッポクは最終回で逮捕され殺されることはありませんでしたが、おそらくは酷い拷問を受けて酷い殺され方になるのでしょう。オッポクは最後にチョボクが待っているから無駄死にはしないと言いましたが・・・言動と行動が一致していません(すみません、一矢報いると言ったシーンがカットされていたようです)。作者にとってはオッポクが悪党への復讐を遂げたので意味ある死だったのかもしれません・・・。ラストのオッポクの立ち回りと存在感は男らしくて見事でした。偶然左議政たちが表に出てきたのは出来すぎですね。

テギルを殺したがっているオッポクを好きな人はあまりいないようですが、オッポクのあのオドオドとした振る舞いは「奴婢」という身分に由来していることを作者は意図して描いています。オッポクのいいところ、誰よりも正義感が強く勇ましいところや射撃の名人であるところはチョボクが知っています。でもその勇ましさや正義は奴婢という身分制度があるため普段は表に出すことを禁じられておどおどとせざるを得ないことが描かれていました。オッポクがテギルに殺意を覚えたのもその正義感ゆえと思います。オッポクはラスト手前で革命を起こすという期待感もあるためか、とうとう愛するチョボクを性奴隷(嫁)に出した主人を殺してしまいます。オッポクはチョボクと一緒になって幸せに暮らすという選択肢もありましたが・・・勇敢なオッポクは偶然あのお方への復讐を遂げました。

オッポクもまた主人公のひとりです。オッポクが主人にこき使われ恨みや怒りを溜めていく様子はまさに現代の大多数の我々の姿そのものです。イケメンのテギルとテハが容姿で視聴者の視線を集める華々しい主人公であるのに対し、オッポクは平凡な容姿で下流の市民を代表する主人公でもあるように表現されていて監督もインタビューでそう言っていたそうです。平凡で貧しい誰もが、高い身分で威張って欲深い人間に一矢報いることなど絶対にしない現実ですが、勇気あるオッポクだけは物語中でやってのけました。両班殺しは時事的に際どい表現でしたけどね。そうじゃないとオッポクという下流のヒーローは描けなかったでしょうし、必要だったでしょう。

オッポクが主人公だというと、日本人の視聴者は納得いかないかもしれません。しかしそれこそが「スティグマ」だと監督は最後までオッポクに気を遣っていました。テギルを殺そうとするからオッポクは主人公の敵だと視聴者は烙印を押してしまいオッポクを嫌ってしまうのです。虐げられているせいでおどおどせざるを得ないオッポクを、ただそれだけで嫌ってしまうのです。若い女から求婚されることに嫌悪を抱く人もいるでしょう。それこそがドラマの主要サウンドトラックでしょっちゅう流れていたスティグマです。


チェ将軍とワンソンについて

テギルとチェ将軍とワンソンの出会いは11話で描かれていました。
五、六年前。チェ将軍は武科を控えていてワンソンは安城(アンソン)でスリに励んでいました。みすぼらしい両班の身なりをし酒を飲み終えて店を出たところをワンソンに懐をすられてしまいました。テギルはワンソンを「捕盗庁の者だ」と呼び止め号牌を見せるよう命じました。ワンソンはテギルに襲い掛かり、雪を投げて逃げました。財布がない事に気づいたチェ将軍はワンソンを見つけました。チェ将軍は荷物を降ろすとワンソンを蹴り倒し地面にねじ伏せて財布を取り戻そうとしました。そこにテギルが現れチェ将軍の財布を奪いました。怒ったチェ将軍は財布を盗もうとするテギルとワンソンと闘いました。
それ以来、三人は仲間というか、家族同然の仲になりました。

テギルとチェ将軍の身分は両班のままだと思います。最終回にテギルは自分の兄が死んだことについて話していましたから、テギルの父が殺されても兄が生きていて家門が断絶したわけではないことがわかります。

ワンソンは何歳なのかはわかりませんが、言動がクソったれです。最終回でワンソンはテギルが自分の心配をして可愛がってくれていたことに泣きました。

チェ将軍が女将の求婚を受け入れるかは謎ですね。チェ将軍と女将との間に生まれた子どもは両班になれるのでしょうか。

最終回でチェ将軍とワンソンは戦いに参加しませんでした。テギルは利川(イチョン)へ行けと、自分の行く方向とは別の場所に行くように指示していますから、二人とソルファを死なせたくなかったことがわかります。チェ将軍はそれほど賢くないみたいで最後まで気が付かなかったようですね。テギルを愛しているソルファのほうが、テギルの優しさを理解していました。

チェ将軍とワンソンの商業的な立ち位置は序盤のマッチョで視聴者を引き付け、ドラマを愉快にし、家庭的な平凡さで視聴者を安心させる役回りでしょう。最初はテギルの相棒役でしたが、終盤では安全圏にとどまり家族的な役割となり、テハに相棒の役割を譲りましたね。

ソルファについて

ソルファはいわば性奴隷として生きてきた女性です。ソルファは17歳と名乗っており振る舞いが子どもっぽく演じられています。大人にならないうちから男の相手を強いられてきた可哀そうな女性です。オンニョン一筋のテギルはソルファを哀れむことはなくうっとおしいと常に突き放していました。終盤でソルファはテギルに強く告白し、最終回でテギルはソルファの一途な気持ちを汲んでやりました。想い叶わずとも愛しい人を愛する気持ちはテギルも同じですから。ソルファの白丁(ペクチョン)という身分は変わることはないでしょう。ラストでテギルをソルファが埋葬する場面、ソルファは本当に可哀そうな女性でした。

ソルファの商業的な立ち位置は物語に客観性と明るさを添える花でしょう。主人公であるテギルに求愛することで、テギルとオンニョンの魅力を引き立たせています。テギルがソルファを拒絶することによりキム・ヘウォン(オンニョン)一筋である男の貞節や、オンニョンを恋しく思う気持ちを表現することができるのです。ソルファが積極的な求愛を演じ主人公に遠ざけられることで、オンニョンの控え目な美しさを引き立たせています。また、現代型ペルソナのソルファが登場するたびに視聴者の目線はニュートラルに戻されます。ソルファはいわば、日本アニメの女性主人公と同じ性格(明るい、ひたむき、行動的)です。法律の制限もあるでしょうが、役者が設定上のキャラの年齢と同等ならば完璧にその役割を演じることができたでしょう。お姉さんが少女を演じるには無理がありましたね。視聴者がテギルとソルファが一緒になったほうが幸せになれると思えるほどの魅力が不足していました。


ファン・チョルンについて

貧しい両班の家に生まれたファン・チョルンは真面目で向上心が強く本来は母思いの優しい若者で自分には優れた武術の力があるにも関わらず、ソン・テハの友人であり部下として出世できず苦い汁を飲んでいると思い込んでいました。そして人として尊敬と信頼を集めるソン・テハに嫉妬していました。かつて清が朝鮮を襲って来た時にテハはファン・チョルンの命を助けています。ファン・チョルンはこの恩は命で返すと武士らしくテハに言ったものの、いつも綺麗に立ち回る立派なテハにどこか釈然としない感情とテハのように心から大義を信じることのできない劣等感が渦巻いていました。ファン・チョルンはテハに対抗心と嫉妬心を募らせていき、出世するために左議政の婿となりイ・ギョンシクの手先となることでソン・テハを倒すことに生きがいともいえる執念を見出します。テハが本当の忠誠を見せるもチョルンはその反対を行き仁祖とギョンシクに忠誠を見せテハに逆らいます。やがてギョンシクはテハに罪を着せて奴婢に落とします。チョルンは何の疑問も持たず奴婢のテハを見下し踏みつけました。ファン・チョルンは左議政の娘を障がいがあって醜いと嫌っていました。左議政の娘は優しい女性でいつもファン・チョルンを案じ夜も寝ずに主人の帰りを待ちとても愛しているものの、心には障がいがなくとも口が思うように動かず気持ちを伝えられませんでした。ファン・チョルンはその様子を知りながら良心を閉ざし、最終回で家に帰るまでいつも自分を想ってくれている夫人の気持ちまでは理解していませんでした。

ファン・チョルンはイ・ギョンシクに娘の婚礼と判官の地位を与えられました。その後、ソン・テハと石堅の直接の暗殺を一旦断ると、テハの逃亡を許したことでイ・ギョンシクに投獄されました。ファン・チョルンはしばらくは屈辱に耐え弱弱しい意志の力で恩人であるテハへの義理を貫き武人らしく牢獄で耐えていましたが、とうとう官職を失い牢暮らしに耐えられなくなり出世という欲望に負けて自らがテハと王孫と関係者の暗殺を請け負いました。チョルンがギョンシクの犬となって以来、ファン・チョルンはソン・テハと石堅を殺すべく先回りしてイム・ヨンホ、シン将軍たちを殺していきます。しかし済州島でテハと石堅を逃したことでイ・ギョンシクの信頼を失いました。婿としても武人としても居場所がなくなりかけたファン・チョルンは12話で一度実家に帰りましたが官職(その当時は一時的に無職)や安泰といった土産のない自分は母に会うことはできず、この時を契機としてイ・ギョンシクの命令を無視してチョルンはがむしゃらにテハを追いかけだします。この時点でファン・チョルンはギョンシクからしくじれば居場所はないと脅されています。ギョンシクの命令を無視するほど焦ったファン・チョルンは自分の学問の師でさえ「私はもう殺人鬼だ」と殺してしまいます。イ・ギョンシクはチョルンだけではテハと石堅を暗殺できないと判断しチョ先生を懐柔し別の手を講じはじめます。17話ではイ・ギョンシクにもう石堅を殺す必要が無いと言われ、それでもファン・チョルンは自らの意志でテハを殺そうと思ったところを認められイ・ギョンシクに判官という地位を再び与えられチョルンは18話から自律的にテハと石堅暗殺に向けて行動しはじめました。19話でファン・チョルンはイ・ギョンシクが「水原(スウォン)にいるイ・ジェジュンを見張りに行け」と言った命令を無視してテハを追いかけ続け、ラストに至ります。

イ・ギョンシクの下での日々の暮らしに安らぎの無いファン・チョルンは次第にソン・テハを追い詰め殺すことに夢中になっていきました。その気持ち(男の嫉妬心や一線を越えて理性での抑制が効かなくなる心)は残念ながら私には理解できないものなので説明し難いのですが、テハに負けたくないという強い意志と、自分の空っぽの虚しい心を埋めてくれるものがテハを追い詰めるということだったので目標を見つけて満たされた気持ちになったと錯覚したことが冷徹非道なターミネーターとなれた理由のひとつかもしれません。テハさえ倒せばイ・ギョンシクの言いなりになる苦痛からも解放されると。ファン・チョルンが唯一感情をぶつけられるのがソン・テハでした、それが醜い感情だとしても。ファン・チョルンがイ・ギョンシクの手中から逃れる方法はギョンシクの死以外にないと視聴者の誰もが考えたことでしょう。イ・ギョンシクはファン・チョルンの官職を奪い、彼を焦らせ自分と同じ悪の道を行くように婿であっても厳しく躾けて家督を継がせるため導こうとしていました。母や自分の生活を楽にしたいと出世の誘惑に負けたチョルンは婿となってしまったのでギョンシクの命令を拒むことはファン・チョルンにとって社会的な死を意味していました。信念よりも豊かさへの誘惑に負け悪の道に自ら入り込んでしまったファン・チョルンは疲れて母に会いに行こうとするも、自分を飾り母を安堵させるための官職がないので会えませんでした。ファン・チョルンはソン・テハや彼の仲間たちのように忠義や正義のために命を捧げて生きることのできない人物であり、それらの目に見えない心が何かをラストまで「なぜだ」と自ら問うまで知ろうともしませんでした。ファン・チョルンは己の出世のためにひたすら手を血で染めました。権力と豊かさという実利を求めるファン・チョルンにとって褒美も貰えないのにテハとその妻のキム・ヘウォン(オンニョン)、石堅を守ろうとするテギルが不思議に思えたのでした。金と権力に目がくらんでじるチョルンにはテギルやテハたちの心が理解できませんでした。見えない心(愛とか正義とか忠誠心)のために命を懸けて戦うなど「御恩と奉公(金と権力)」しか頭になかったチョルンには理解できずラストまで無視して生きてきました。

(設定上ドラマに悪役が必要でそうせざるを得ないので)ファン・チョルンはかなりしつこくテギルとテハを死ぬまで追いかけます。

ファン・チョルンの刀で生き残った人物といえばクァク・ハンソムです。私は弁慶のような頼もしいクァク・ハンソムが気に入りまして(笑)死んじゃったのは残念でした。

ファン・チョルンはテハとテギルと何度か刃を交えました。武人は刀でしかわかり合えないというのはよくある漫画の表現手法そのもので、ファン・チョルンは最終回には刀でテハとテギルを理解し涙しました。ファン・チョルンはなぜそこまでしてゴロツキのテギルが石堅とオンニョンを守ろうとするのかと言いました。テギルはテハたちが世の中を変えてくれると、言いました。ファン・チョルンにはテハたちがどのように世を変えるかなど知る由もありませんが、少なくともよい方向への変化の希望を持っているということは伝わったでしょう。ファン・チョルンにとって単なる義理や報酬のためではなく希望のために命がけで戦う男は衝撃的でした。ファン・チョルンはこれまで殺した男たちやテハも自分の利益よりもテギルと同じく金にならないこと(世の中をよくしようという希望や本物の忠誠や仲間を守りたいと言う愛のため)に命がけで戦って散っていったことに気が付きました。ファン・チョルンは最終的にテギルと戦うことで己とテギルたちの戦う目的の違いと明確な心の貴賎に気づきました。

これは私の主観なんですが、かつての同僚や部下、自分の先生や友の先生まで殺しておいて「なぜかようにも虚しいのだろう」と言っている時点でファン・チョルンはそれで人生が楽になると思ってたらアホかと思います(笑)もはやまともじゃなくなって心乱れているようです。しかし道端に遺体が転がってるなど残酷なことが平然と周囲で起きていた時代ですから、そんな心の認識は無くて当たり前の時代だったのかもしれません。

「もうよい(ソン・テハを追うな)。私が(ソン・テハに)勝った」ファン・チョルンは部下にそう命じた時、テギルはまだ死んでませんでした。確かその直前テギルは捕盗庁(ポドチョン)の武官の方向に突進していった気がするのですが?民放なので他のシーンがカットされていたのかもしれません。なぜテギルが少々生き延びられたかは映像がなかったのでわかりません。部下が「死んだのですか?」と言ったのはおそらくテギルのことでしょう。それに対して「終わった。行くぞ(都城に戻るぞ)。」と言い刀を投げたので、部下にはテギルと目標の人物ソン・テハがそこで死んだと思わせたかったのでしょう。もしもその時点でファン・チョルンがテハに執着していたら、このセリフは出てこなかったと思いますし、深手を負ったテハと王孫を追いかけて捕らえることなど容易であったと思います。とにかくファン・チョルンはテハと王孫を逃がしてテギルにとどめを刺しませんでした。この「私が勝った」と言いファン・チョルンが武人として大切な刀を投げたことにどんな理由があったのでしょうか。改心して悟ったとしか思えません。ファン・チョルンは王孫を確保できておらず、政治的な意味では何も成し遂げていないかもしれませんが、この惨状では少なくとも敵を全滅させたと嘘をつくことも可能でしょう。もしかしたらその後、ファン・チョルンは王孫を取り戻したのでしょうか?しかしそうなるとソン・テハは処刑されなければなりませんし、ファン・チョルンが王孫を逃がしたとバレたら彼自身が罪を問われます。ですからファン・チョルンが王孫を追わずに都に帰ると部下に命じたのは、明らかにテハたちを逃がす意思があったとしか思えません。最もマシな結末は、テハとオンニョンが6年間王孫を隠し通す場合です。そこまではあらすじは描かれていませんでした。少なくともファン・チョルンは最終回でテハを追って殺せる立場にあったのに追いかけませんでした。ですから「私が勝った」というセリフは自分と同じようにクソな部下を騙すためのものであったとも考えられます。

家に帰ったファン・チョルンは夫人の膝で泣きました。

このことからファン・チョルンはテギルとテハを心から理解し彼らが何のために戦っていたか理解したと私は思いたかったのですが、ファン・チョルンはどうして泣いていたのか、ドラマでは具体的な説明はありませんでした。しかし演出からファン・チョルンの心情を推察することが可能でした。夫人は左議政である父が死んで部屋で悲しみ討伐に出かけて帰らぬ夫の実を案じていました。夫人はファン・チョルンも自分と同じように左議政が死んで悲しくて泣いているものと思ったのかもしれませんが、前にやくざのチョン・ジホが夫人に夫は人殺しと言ったのでその解釈はあり得ません。夫人の精神的なレベルはここに出てくる登場人物よりも上で、一応まともで教養高く精神的に成熟したレディです。夫人は賢い人なのでファン・チョルンが出世のためにやってきた非道な人殺しをしてきた愚かな自分を悔いている嘆きが判ったのだと思います。

忘れてならないのがファン・チョルンの夫人がチョン・ジホに自分を殺して欲しいと頼む場面です。夫が殺人鬼であることにショックを受けた夫人の台詞です。夫人はファン・チョルンが父と同じ道に行くことにずっと心を痛めていました。

一応夫人は毎回登場するたびに書を読んでいましたので、知性には障がいの無い賢く心優しい女性であることがわかります(動きに気を取られてこの表現は見過ごしがちですが)。ファン・チョルンが拘縮した夫人の手に(ドラマの中では)初めて触れたことで、彼の大きな心境の変化とチョルン自身が招いた過ちで出世のために嫌々殺戮者となり師を殺し友に深手を負わせて生き方が間違っていたと悟った深い悲しみに、夫人は詳細は知らないまでも愛しているが故にファン・チョルンの悲しみがわかり一緒に泣きました。

実はファン・チョルンが改心して泣いたシーンでは私も感動しました。ここに差別というこのドラマの大きなテーマがあり、その未来を示唆するものが夫人の手を繋いだという象徴だからです。クソみたいな解釈をするともしかしたら長かった戦いが終わってテハも左議政もいなくなって悪事を命じられ心を鬼にして殺戮を続けたつらさからの解放感から泣いたと思う人もいそうですが、それは絶対にありません。愛とか仲間を大切に思う心だとか、テハもテギルもそういった心を何よりも尊んでそのために命を懸けていたことをファン・チョルンはわかったと思います。だから自分はクソみたいなこだわりのために戦っていたことを恥じて自分は本当の武人ですら無いと判り武士の魂ともいえる大事な刀を河原に投げ捨てました。チョルンが武人として大切な刀を投げ捨てるという表現はまさに武人と思い込んでいた自分を否定し自分は武人ですらない、ただのクソだと思ったことが表されています。もしも改心していなかったら刀を捨てずに家に持ち帰ったことでしょう。チョルンは悪事に加担してでも早く出世して母の暮らしを楽にさせたかった(23話で暗に表現されています)ファン・チョルンの生き方や考え方そのものがみじめな気持ちになる理由であることをファン・チョルンはわかったと思います。ファン・チョルンが嫌悪していた障がい者の妻の手を握り嗚咽するシーン。自分が嫌悪していたもの(友情、愛情、忠誠、仁義など自分が綺麗ごとだと思って信じていなかったこと)が本当は身近にいつもあり、それらが大切で空っぽの心を満たしてくれることに気づいたファン・チョルンでありました。

ラスト手前の23話の途中、都での暴動(オッポクたちの宣恵庁襲撃)で息子の身の安全を心配して来たファン・チョルンの母が野で摘んできた花を息子に贈りました。野の花、雑草ですが、ファン・チョルンの母はその薬草でこの頃沙汰の無い息子の変化に会わずとも気づき、心身を労わりました(母に会おうとして会わなかったシーンがありました)。ファン・チョルンは貧しい母を哀れに思い裕福に暮らさせてやりたいと思い出世に励んで来たことでしょう。ふつうは母を宿泊させて妻に会わせてもてなすところをチョルンは部下に送らせます。母はその花を捜すために風邪をひくほど野を歩き回ったのです。そのことにファン・チョルンは23話の時点で涙していました。実のところ、絹を買えないほど貧しくみすぼらしい姿のファン・チョルンの母が左議政の家を訪ねるなど「よほどのこと」だと思います。母はファン・チョルンが貧しさから抜け出すために日々頑張っていることは会わなくても知ってます。両班としての価値観があればあのような服装で左議政の家を貧しい両班の母が尋ねるなどあり得ないと私は思います。それでも母がファン・チョルンを訪ねて来たのは、よほどの心配と想いがあってのことなのだと思います。宣恵庁(ソネチョン)襲撃は単に母がチョルンを訪ねる口実にすぎません。母は息子が貧しい家門のせいで息苦しい思いをしながら生きていることを心配して来たのではないかと。この場面でファン・チョルンは極悪非道な殺戮者である一方で母を想う温かい心のある人物であることが表現されています。このことは視聴者のファン・チョルンに対する見方を大いに戸惑わせました。

私はファン・チョルンが差別していた障がい者の妻の手を彼が初めて(?)握ったというところに大きな心の変化があったのは間違いなく、もしかしたらテギルやテハを、理解する心を得たのではないかと思います。得たというよりは、「なぜだ」と問い、自らわかろうとした。逆に言うとそれまでは出世工作で忙しいから知ろうともしなかったんですね。もしもファン・チョルンがこれまで通りテハを嫉妬心から目の敵にしてそれをただ倒しただけというなら、妻の手を握ることなどあり得なかったと思うからです。ファン・チョルンのもともとの性格は母を思いやれる人であったのだと、母のために出世を焦って頑張りたかっただけなのに左議政に気持ちを読まれて唆されて悪事に手を染め、左議政を嫌悪しつつも、影響されて道を外して友人のテハを深く傷つけてしまったのだと・・・私はそう解釈したいです。なぜならイ・ギョンシクがファン・チョルンに金儲けのために水牛の角を買いあさり人まで殺していることまでは教えていないからです。左議政がファン・チョルンにそれを教えなかったということは、ファン・チョルンにはまだ武人として潔く清いところがあり、命令で人を斬ることに武人として迷いはなくても、とんでもない悪事を働き銭儲けをすることは承諾しないとわかっていたからでしょう。

ファン・チョルンのみじめな気持ちを埋めたのは、まさしく愛であろうと思います。本当は愛を尊び幸せに生きたいのに心が弱くて生じた左議政の政敵ソン・テハへの嫉妬心や出世欲を利用され出世を餌に殺人ばかり請け負わされる。ファン・チョルンはソン・テハに勝つために出世したいという欲望がかなり強いことが描かれていました。チョルンの妻からの愛が自分の空虚な心を満たした時、自分がどうして心虚しかったか、それは自分のせいなのだと判る賢さがファン・チョルンにあったかどうかはわかりませんが、少なくとも心のぽっかり感はあの時の悲しみで満たされていたと思います。最初は命令で、次は自分の意志で同僚も師匠も縁者も殺しまくってただただ悲しい。悲しみは自分の心を満たしてくれ愛を喚起する。改心すると妻の気持ちもすんなりわかるようになってますから、家に帰るといつも自分を心配してくれていた妻の愛がわかるようになり気持ちを受け取った。それがファン・チョルンが妻の手に触れた理由だと思います。その瞬間テハやハンソムが必死で王孫を守る気持ちもテギルの気持ちも自分が殺しきた志ある師の気持ちもすべてが一度に堰を切るようにわかるようになり嗚咽した。ファン・チョルンは他者へ与える愛を学習したことで、悲しみの気持ちで他者を愛する気持ちがあれば虚ろな心が満たされることに気が付きました。ファン・チョルンが今までしてきたことは忠義を尽くす忠臣を、愛する大切な人のために戦う人を、左議政の婿になり出世してテハに勝って楽になるはずのために殺してきたことでした(結局苦しみが増しただけでした)。ファン・チョルンは愛どころか武人としての忠誠心や悪なき処で生じる本物の信頼や自己犠牲の心など改心するまでわからなかったというよりわかろうとせず無視してきました。わかろうとしたのは最終決戦の時の「なぜだ」という瞬間です。ファン・チョルンは今まで虚しかったのは自分も他人も愛さなかったからだと、気づいたかどうか、なにせ朝鮮時代ですからわかりません(苦笑)

ファン・チョルンはドラマの中で残忍な強敵を演じてはいましたが、心そのものは現代に生きる私たちとは変わりません。テハのように最初から持っているように輝いている人間を羨ましく憎く思うことは私でもよくあります。いい会社に就職してSNSで自慢している人を憎らしく思うこともよくあります。どうして自分の父母は貧しいのかと思うことや、貧しいせいで恥をかいたこと、そういうことと自分が重なりファン・チョルンが人間らしいと思えて出世のために嫌なことを我慢して上の言いなりになる彼の苦しみや焦りがよくわかり、理不尽な命令に従い続けることで苦しみが増して、そうじゃない人々の生きざまを理解した時に最終回の深い悲しみと嗚咽に共感して泣けるのです。

彼が焦っていたのは出世して幸せになるためであることは物語で描かれていました。出世して幸せになりたいために手を血で染めて戦っているのにみじめな気持ちになるのは、それが間違っていると言葉では明確に認識できなくても極悪人ではない人々と戦っているうちに薄々感じていたからです。もともとギョンシクみたいに極悪人で絶対に間違ってると思わなければみじめな気持ちは生じるはずがありません。つまり作者はファン・チョルンの心にも清いところが残っていてそれがラストで目覚めたことを台詞を使わずに表現したのです。なぜならそういった心の変化は言葉だけでは表現できないからです。結局のところファン・チョルンはテハの師や雑兵、自分の師匠を殺してしまったものの、ただの街のゴロツキのチェ将軍とワンソン、テギル、ライバルのテハと石堅を殺せる余裕があったのにとどめを刺しませんでした。イ・ギョンシクはチョン・ジホたちを平気で殺しています。それがファン・チョルンとギョンシクとあのお方達の立ち位置の違いで母を大事にするシーンも含め最終回への伏線です。

何度も考えてみましたが、刀を捨て夫人の手を取ったということは差別主義者と被差別者の中間の立場だったファン・チョルンのスティグマ(このドラマの重要テーマ)が取り払われたことを意味していますので、それにより他の人の善き心もわかるようになったと私はそう解釈しました。少なくともファン・チョルンには自分が注目している人物の気持ちがわかる程度の能力が備わっていることは23話で表現されています。

このドラマの製作者は「スティグマ」の心理をうまく表現しています。ファン・チョルンの妻の演技はまさに視聴者が下すスティグマを利用したものです。日本でやれば抗議や脅迫、延々と粘着されるおそれがあるので絶対にやらないでしょう。実のところ、私もファン・チョルンの妻がどれほどの心理状態か自分の持つスティグマのせいで最後まで理解していませんでした。考えてみるとチョルンの妻はいつも夫の帰りを部屋で「起きて」待っていました。本をいつも開いてチョルンの妻には知的障害が無いことが描かれていたのに、愚かで病気のことを知らない私にはそれが最終回まで理解できませんでした。チョン・ジホが部屋に乗り込んできて妻がショックを受ける場面も、実のところ妻はチョン・ジホの話を理解しているかどうかすらわかっていませんでした。ファン・チョルン自身に暖かな心があることも23話で描かれているのに、あまりの悪どさに私は注目していませんでした。チョルンの妻はこのドラマで差別と愛という極めて重要な役割を演じています。差別心溢れるファン・チョルンを最終的に変えたのはこの妻の愛への気づきだからです。テギルとテハを「なぜだ」とわかろうとしたことによって心の変革を遂げたファン・チョルンは今まで無視していた妻にも初めて注目してみることで、妻の愛を初めて認識してその手に触れ、堰を切ったように泣きました。実のところチョルンの妻は、それほど重要な人物ではないと私は軽く見ていました。それこそがスティグマです。作者はそういった視聴者の心理をうまく利用し、実は妻がファン・チョルンを心底愛しているのだということを表現していました。ファン・チョルンはドラマ中で何度か自分について「(自分が見下す人間は)質問するな。私が質問するので答えろ」と口癖が出ていましたね。つまり、自分が知りたい事だけ知ろうとしていたファン・チョルンの心理が現れています。だからラストまでチョルンはテギルとテハ、妻の気持ちを知りたくなかったからわからなかったという構図が成り立つのです。

私は最終回のファン・チョルンを肯定的に評価したいと思います。1話でテハの背をためらいもなく踏みつけていたファン・チョルンはこのドラマの中で一番心が成長した人物です。

左議政イ・ギョンシク、チョ先生、オ捕校(ポギョ)について

この三人は悪役でイ・ギョンシクとチョ先生はオッポクに殺されてしまいました。オ捕校(ポギョ)も奴婢になるそうです。イ・ギョンシクが法で裁かれることはなくイ・ギョンシクの遺産は一応はファン・チョルンと娘に相続されるのか、あるいはギョンシクの兄弟が現れるのかはわかりませんが、ギョンシクの罪は死で帳消しになるようなものではありません。製作者としては裏切ったチョ先生も視聴者の怒りを買ったので死んでもらうほかなかったのでしょう。オ捕校には地獄の人生を。

最終回ではイ・ギョンシクの最側近だけはなぜか生き残りました。オッポクと左議政とチョ先生はまったく面識がありませんでした。作者は視聴者の恨みを晴らすために最も恨みを集めた登場人物を殺したり地獄に送ってしまったのでしょう。ファン・チョルンだけはなぜか改心したかのような演技がありましたけども(チョルンの変化はこのドラマの核心でした)。

オ捕校(ポギョ)が捕らえられるとかわりに別の捕校(ポギョ)が酒場の女将にたかりに来ました。次から次へとダニみたいにクソな輩が湧いて世を濁している、作者はそう言いたかったように思えました。

両班とそれ以外の差別のない世の中へ

左議政が死んだことで仁祖は昭顕世子(ソヒョンセジャ)一派を徹底的に廃する勢力に陰りが見えたのか、孝宗(ヒョジョン)は6年後に石堅(ソッキョン)を赦免し翌年に推奴(チュノ)を廃止しました。

テギルはオンニョンと初恋の恋愛の中で「両班と賤民などの身分の区別がない平等な世の中にしたい(韓国語がわからないので意訳です。ヤンバンなんたらと聞こえたのですが・・・勉強不足ですみません。)」と言いました。テギルはオンニョンと結婚できるようにするために、平等な世の中に変えると誓いました。テギルの夢は実現できたのでしょうか?実現できたとドラマでは描写されていましたが、直接の描写ではないのでぼーっと見てるとわからないと思います。

鳳林大君(ポンニムテグン)は父の仁祖の崩御後、孝宗(ヒョジョン)として即位し6年後に石堅を放免し、その翌年に推奴(チュノ)を廃止しました。孝宗が力をつけるまで数年を要したということがこのドラマでは暗に言いたかったのだと思います。孝宗はテハと推奴(チュノ)師のテギルと会い、石堅(ソッキョン)を解放してほしいと頼まれました。それがまず第一の明らかな波紋です。第二の波紋はファン・チョルンの改心です。第三の波紋はテギルが密かに奴婢をチャッキのところに送っていたことです。テギルによって奴隷から解放された人々に影響が及ぼされました。第四の波紋はテギル自身が悪名高い推奴(チュノ)師となることで奴隷制度に悪評を立てることができました。これらの出来事を勘案すると、最終回ではテハは生き延び石堅を守ったと考えるのが妥当でしょう。そうしなければ石堅を守ることがオンニョンにはチャッキのところに行く方法でしか叶わないからです。もしもオンニョンが一人生き延びて王孫を連れてチャッキのところへ行けば、石堅はこの世に存在しない白丁(ペクチョン)以下の身分になるでしょう。石堅は短い人生でしたが王族としての身分を取り戻し妻を迎えることができました。ソン・テハが免賤(ミョンチョン、身分を開放)されたかどうかはわかりませんが、もしもテハが長い間石堅を守っていればその功績を孝宗(ヒョジョン)が認めないわけにはいきませんしテハは行動力がありますから生き延びたとすれば王孫のために王に働きかけをしたという設定が考えられるでしょう。

テギルが両班制度のクソみたいな制度を変える波紋となったことが劇中で婉曲的に描写されたことはこのドラマの演出から考えると間違いないと思います。ここは一応この「推奴(チュノ)」という韓国ドラマの一番の核心に当たると思います。もしそれを描かなかったらこのドラマの評価はここまで高いものにはなりませんから。「推奴(チュノ)」は個人(主人公)が社会に影響を及ぼし世の中を変えたという物語の意味では韓ドラの中では珍しい名作だと思います。推奴(チュノ)の最終回が終わって、しばらくしてテギルがオンニョンに約束した世の中を変えるということを実現できた(ちょっと変えた)とわかった時には改めてジーンと感動(ほんと後でテギルがオンニョンに誓った通り世の中を変えたことに気づいた時に涙)しました。ラストのナレーションの字幕はまさにそのことを示したかったから入れたとしか考えにくいです。

オンニョンが汚い姿のテギルを最終回まで若様(トリョンニ)と呼んだことにも実はヒントがあって、オンニョンはテギルの姿ではなく心を見ていました。テギルの心はまさにかつてオンニョンに約束したあの頃の純粋さを保っていたという演出だったように思います。このドラマは婉曲表現をたくさん使っているので後で考えないとわかりませんでした。

テギルは最終回でこう言ってます。「生き延びて幸せに暮らしたら俺らみたいな(奴婢を追いかけて捕まえる)奴は現れなくなる。生きろー。お前が生きてこそ、俺は生きられる。」このことからオンニョンは文字通り生き延びてテハと幸せに暮らしているから推奴(チュノ)が廃止されたと解釈することが可能です。ラストでテギルは生きて「ピューン」と言っていましたから。テハは生き延びたという解釈が可能になりました。(後日テハが自力で立ち上がり再び歩き出すシーンがカットされているとわかったので常識で考えると腹(内蔵)を刺されたので当時の医術では失血死すると思い死んだと思ってました。最終回には鳳林大君(ポンニムテグン)が仁祖に石堅の赦免を求めるシーンがあり、それもカットされていて、大君が石堅を解放したがっていることがわかります。)

点が線になったようでスッキリしました。

韓国ドラマ「推奴(チュノ)」のレビュー

権力腐敗:★★★★★
マッチョ:★★★★★
差別:★★★★★
愛:★★★★★
武術:★★★★★
濁世:★★★★★
シナリオ:★★★★★
感動:★★★★★
史実:☆☆☆☆☆

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    薯童謠(ソドンヨ)最終回 あらすじ 夜の百済王宮。 女性たちが華やかに舞い、貴族の男とメクトスたちは庭で酒と食事を楽しんでいました。 「こんなに楽しい日は生まれて初めてだ。ははは。」 メクトスは有頂天でした。 「親父、俺も結婚したいよ。」 ポムノはメクトスに言いました。 「何だと。」 「チョギとだよ。陛下がうらやましいよ。」 「父親を片付けてから結婚しろ。」 「あー!ちくしょう。」 「ところで陛下は男女の営みをご存知だろうか。事前に教育するのを忘れてたよ。」 メクトスは卑猥な想像をしていました。 「そんなの心配いりませんよ。(未経験の)俺でも知っています。」 トゥイルはメクトスに言いました。 「そうか?」 「今頃うまくやってますよ。」 「はっはっはっはっはっは。」 男たちは笑いました。 「紙に穴をあけてのぞきたいところだけど、陛下にそれはできないな。」 メクトスは笑いました。 寝所の控室。 「結髪(キョルバル)の用意はできた?」 モジンはウンジンとウスに言いました。三人は桃色に白地の縁取りの刺繍の絹を着て初夜の営みの準備をしていました。 「はい。」 「香油は?」 「用意しました。」 ウンジンはモジンに言いました。 「櫛は?」 「置きました。」 ウスが答えました。 「浄化水は?」 「用意しましたー。」 チョギは明るく言いました。 「分かったわ。」 三人は王の寝所を出ました。 「準備が整いました。」 寝所の前で控えていたボミョンが外に出てきたモジンに言いました。 「はい。では五歩下がるように。」 モジンは侍従と侍女たちに命じました。 ウンジンとチョギとウスは口に手を当てて照れ笑いして顔を見合わせました。 「陛下。初夜の儀式を始める時間です。今から申し上げる順序でなさいませ。」 モジンは寝所の中に向かって話しかけました。 「まず、生涯を共にすると誓う意味の結髪をしてください。」 ベッドの上には白地の縁に金の刺繍が施された衣に着替えたチャンと白い絹に薄桃色の縁取りの絹を着たソンファ公主が腰かけていました。二人の髪が少し切られて絹の敷物の上に赤い紐で結ばれ置かれていました。 チャンは置