千秋太后(チョンチュテフ)のあらすじネタバレ感想80話(最終回)
序盤から終盤までのあらすじ
時の皇帝景宗(キョンジョン)は暴君として君臨しており酒と女に溺れて毒を盛られるなどして心身に病気を患っていました。新羅の王室の子孫キム・チヤンは二人の部下とともに高麗王朝を乗っ取る計画を立てて王室に近づく方法を模索していました。景宗にはホニ皇后との間に子がおらず、千秋太后は祖母が推した政略結婚で妹のファンボ・ソルとともに景宗の第三皇后となり景宗に乱暴され後の皇帝穆宗(モクチョン)を産みました。景宗と結ばれなかったファンボ・ソルは以前より心を寄せていた慶州大院君(キョンジュテウォングン)と駆け落ちしました。景宗は心を入れ替え善政に励むも契丹が刺客に盛らせた毒が原因で亡くなりました。景宗はファンボ・スの息子穆宗ではなく成宗を後継者に指名して亡くなったのでした。 劇中では異母兄の成宗(ソンジョン)は千秋太后が自分の子を皇帝(王)にするのではないかと疑いライバル視していました。成宗は穆宗を後継者にして亡くなります。穆宗は千秋太后の摂政で意見が合わず苦しみ廃位されたいためにさまざまな無茶なことをしでかします。穆宗は顯宗(ヒョンジョン、以降は顕宗と記述)を次の皇帝に指名した後、新羅系が送った刺客に殺されてしまいました。顕宗(ヒョンジョン)が皇帝に即位しましたがヨヌン宮主が娘を后として宮中に送り込みました。賢い顕宗はヨヌン宮主のたくらみを見抜き皇后とは夫婦の営みをしませんでした。キム・チヤンは意図的に千秋太后の恋人となり次第に本気でスを愛するも高麗王朝を乗っ取り新羅の帝国を作るため契丹のソ太后と愛人で軍師のハン・ドギャン(イ・ジヌ演)と同盟を結んで高麗の内政を混乱させ最後はチヤンを見限ったドギャンが兵を少数しか送らなかったため挙兵に失敗して千秋太后の手にかかって、ためらうスの手を掴み自分の腹を刺して死にました。キム・チヤンの右腕の女武士サイルラはチヤンを慕っていました。サイルラはチヤンの命令で慶州大院君を自害させ、しかし彼とファンボ・ソルの息子黄州小君は内密に逃がしてしまいそのことを咎められました。チヤンの左腕であるサガムンは契丹の女武士トギョンをワイルドに口説き落として妻としました。契丹を裏切り高麗人にもなれないトギョンはサガムンとの間にひとりの男児をもうけます。しかし契丹のハン・ドギャンらがトギョンに接触して成宗にキョンジョンに盛ったのと同じ毒を成宗に輿入れさせた姫を通じて盛るように命じました。計画が明るみになる途中でカン・ジョの妻ヒャンビがキム・チヤンに殺されてしまいカン・ジョのチヤンへの憎しみは頂点に達しました。
物語の陰ではキョンジョンの第二王妃ムナ王后(ヨヌン宮主)が商売人で官職を得た新羅系の父キム・ウォンスンと新羅系の貴族たちが結託して穆宗(モクチョン)に契丹のトギョンに作らせた毒を盛り、挙句の果てには刺客を送り暗殺しました。この新羅系という派閥はラストまで千秋太后と対立します。
このドラマで序盤からラストまで登場するカン・ガムチャンは慶州大院君の忠臣で顯宗(ヒョンジョン)をはじめから最後まで推していました。カン・ガムチャンは途中で慶州大院君がキム・チヤンに殺されたことを知り陰謀めいたものを感じていました。彼は途中まではカン・ジョと親しくしているも、途中からは距離を置きつつ、カン・ジョを助けます。
ラスト付近~最終回のあらすじ
契丹の侵略に立ち向かうカン・ジョは高麗の兵権を任され半分の兵力(20万)で徹底抗戦します。カン・ジョの軍は新羅系の兵士イ・ヒョヌンとアン氏の裏切りで敗れてしまいました。契丹の皇帝聖宗(ソンジョン)は西京を迂回して開京への侵攻を命じ捕らえた猛将カン・ジョを契丹の配下にしたいと考えました。
縞京城。城壁を守る千秋太后と契丹の中央軍は対峙しました。契丹は失脚したはずの千秋太后が指揮を執っていることに驚きました。聖宗は千秋太后の前に姿を現し降伏を命じました。カン・ジョは敵陣から千秋太后に高麗を導くようにと叫びました。
千秋太后は将軍たちと意見交換しました。将軍のひとりは千秋太后に敵をひきつけている間に奇襲してカン・ジョを助け出すことを提案しました。
二人の高麗の将軍は出撃する振りをして逃げることを企みました。
千秋太后はキム・チヤンとの間に出来た息子が生きていると若い武官から報告を受けて動揺しました。
トギョンは東女真村の首長モルブラのもとにいました。トギョンは女真人として生きて皇子を守ると首長に言いました。
二人の武将とその手下が逃げるも高麗軍は契丹を闇夜にまぎれて奇襲するも一部は負けて主戦場は縞京城(ホギョンソン)の城門になりました。千秋太后は得意の弓で戦いました。夜が明け契丹軍は南下して皇帝を捕らえるべく去りました。
逃げた二人の将軍は朝廷で戦況を報告しました。顯宗(ヒョンジョン)は戦うと言いましたがカン・ガムチャンは皇帝の身を案じ避難をすすめました。中には降伏しようという新羅系の貴族チェ・ウォンシンなどもいました。顯宗(ヒョンジョン)は避難することにしました。
ヨヌン宮主は穆宗(モクチョン)の暗殺を知っているカン・ジョがこのままいなくなってほしいと思いました。
将軍ハ・ゴンジンは部下のチ中郎将から宮殿にいる兵部と刑部の尚書(サンソ)が本当はテ・ドス将軍を裏切り逃げて来たのだという報告を受けました。兵部尚書と刑部尚書はしらばっくれました。
顯宗(ヒョンジョン)と貴族たちは都を離れました。
ヤン・ギュ将軍は城を奪い返し契丹の補給路を断ちました。
契丹の皇帝と軍は開京の城を占領しました。
テ・ドス将軍もカン・ジョと同じ牢に入れられ開京にいました。カン・ジョは皇帝に一矢報いて死のうと思い聖宗に謁見しました。高麗の王座に座っている聖宗は臣下の礼をとらせるべくカン・ジョとテ・ドスの縄をほどかせました。テ・ドスは敵の剣をカン・ジョに投げるとカン・ジョは契丹の皇帝に襲い掛かりました。カン・ジョは再び捕まりテ・ドスはその場で殺されてしまいました。聖宗はカン・ジョに褒美と称し槍を持たせるように命じました(いわゆる死に花を持たせた格好)。槍を手に入れたカン・ジョは契丹兵を次々と手に掛けていきます。ふらふらになったカン・ジョは「私は渤海人だ・・・。眠らせてくれ」と契丹の武将を相手に戦い散りました。ユ内官は上司のカン・ジョの最期を見て泣きました。聖宗はカン・ジョに敬意を表して葬儀を認めました。
契丹がいなくなった開京の城に千秋太后が着きました。そこにはカン・ジョが槍を持ったまま死んでいました。千秋太后はカン・ジョの死を嘆きました。ユ内官(実はカン・ジョの配下の武官)は復讐するため契丹に乗り込む決意を固めました。
顕宗の一行に契丹の軍が迫っていました。カン・ガムチャンは顕宗が契丹の皇帝に謁見すると嘘の情報を与え時間を稼ごうと提案しました。しかし使臣を買って出る者が名乗り出なかったのでカン・ガムチャンは自ら使臣になると言いました。するとカン・ガムチャンの忠臣ハ・ゴンジン中郎将は自分に行かせてほしいと言い出しました。
ハ・ゴンジンは契丹の皇帝に謁見しました。契丹の将軍は身分の低い中郎将が来たことに不快感をあらわしました。ハ・ゴンジンは兵を撤収してくれたら顕宗が自ら出向くと言いましたが嘘はすぐ見破られてハ・ゴンジンは捕らえられてしまいました。聖宗は行軍を早めるように命令しました。
契丹が近づいている報告を受けた顕宗一行。カン・ガムチャンは裏切者の兵部尚書と刑部尚書に足止めを命じました。新羅派のキム・シモンは疲弊したヨヌン宮主を見て二手に分かれようと言い出しました。元貞皇后は顕宗とともに行くと言いましたが・・・顕宗は后にヨヌン宮主と一緒に行くように言いました。
兵部尚書と刑部尚書は契丹の兵を見送り逃げました。
契丹はさらに二手にわかれ顕宗を捜しました。
ヨヌン宮主は追っ手が近づいている知らせを受け元貞皇后の手を掴んで先にキム・シモンとともに逃げました。兵士は后を守るために戦って死にました。繁みに隠れていた残りの貴族は捕まり皇后の行き先を教えてしまいました。ヨヌン宮主と娘の元貞皇后も契丹に囲まれました。
千秋太后はヨヌン宮主と元貞皇后を救出しました。
顕宗は貴族の家に身を寄せることにしました。そこの貴族は千秋太后と先の皇帝を痛めつけて侮辱した者でした。その貴族は打ち首になる前に契丹に顕宗を売ろうと考え私兵とともに夜襲をかけました。カン・ガムチャンは貴族の男に私兵を退けるように言いました。貴族の男は皇帝を侮っていました。同族同士で戦いがはじまりました。カン・ガムチャンらはあっさり敵を屈服させました。顕宗は高麗人同士が殺し合う場面を見て涙しました。
東女真人の村。首長モルブラはジン(チョンチュテフとキム・チヤンの息子)をひとり洞窟の奥に行くように命じました。モルブラは一人の子どもが女真人を統一する伝説を試していたのでした。
顕宗についていたファンボ中枢院使とチェ尚書が逃げました。残る臣下はカン・ガムチャンとチェ・ハンと武将(チ郎将)一人と内官数人そして先の皇帝の后だけになりました。一行は忠州宮主(千秋太后を軟禁したオバサン)の家に着きました。忠州宮主は皇帝の滞在を断りました。しばらくして契丹の兵士が忠州宮主の家を襲いました。忠州宮主は「あの部屋です」と皇帝のいる場所を示しました。顕宗の身代わりとなった男(内官)が部屋から出てきましたが忠州宮主は影武者だと言い本物の行先を教えようとしました。すると矢が飛んできて忠州宮主の胸に刺さり忠州宮主は死にました。
忠州宮主の胸に矢を放ったのは千秋太后でした。千秋太后は契丹の将軍率いる兵士と闘いました。契丹の将軍は先に顕宗を追いかけに行きました。
顕宗のもとに契丹の将軍が追い付きその場は戦場となりました。内官の服を着た顕宗とカン・ガムチャンは敵に囲まれました。契丹の将軍は内官に扮した皇帝を見破りました。そこに千秋太后が追い付き再び戦闘が起きました。千秋太后と隻眼の契丹の将軍は剣を抜き一対一で戦いました。契丹の将軍は千秋太后の首を締め上げると長剣を捨て短剣を抜きました。千秋太后は矢を拾うと男の右目(見えているほうの目)に突き刺し、さらに刀でとどめを刺しました。勢いづいた高麗軍は契丹軍を追い払いました。
千秋太后と顕宗たちは忠州宮主の屋敷にいる先の皇帝の皇后のもとに戻りました。顕宗は腹心の内官が死んでいるのを見て悲しみ両国の兵士を葬るようにカン侍郎に命じました。
カン・ガムチャンは千秋太后からカン・ジョの死を聞き驚きました。千秋太后はイ・ヒョヌンとアン・ペが先帝の死に関わっていると言いました。カン・ガムチャンはしばらくは真相の究明を待つように言いました。
ヤン・ギュ将軍率いる軍は契丹の補給部隊を襲っていました。
聖宗は兵士が飢えてしまうと焦り背後に高麗軍を残したまま南下したことを悔やみました。ユ内官(実は武将)は高麗を裏切ったふりをしてカン・ジョのいない高麗にいたくないと聖宗に謁見しました。ユ内官は宿舎でイ・ヒョヌンとアン・ペに出会い投降したと微笑みました。
千秋太后と顕宗の一行は滞在する屋敷を探して公州の節度使キム・ウンブの家を尋ねました。感激したキム・ウンブは豪華なごちそうを振る舞いました。久しぶりのごちそうに皇帝と太后たちは舌鼓を打ちました。キム・ウンブは三人の娘を皇帝に挨拶させました。
ヨヌン宮主の一行は父キム・ウォンスンの故郷善州に着きました。しかし街の人々は武器を手に取り一行を囲みました。
「宿敵キム・ウォンスンの娘に会えるとは!この村の者の財産はすべてキム・ウォンスンに搾り取られた!ここで恨みを晴らそう!」
村人たちはヨヌン宮主に石を投げつけて追い払いました。
キム・シモンたちはヨヌン宮主とその娘と侍女を置いて二手に別れると言って逃げました。
カン・ガムチャンは千秋太后から黄州小君が生きていることを知りました。カン・ガムチャンは今は黄州小君が見つかると殺されるので会わないほうがいいと助言しました。千秋太后は戦争が終わったら用済みとなった小君が殺されてしまうと心配しました。
東女真村。トギョンはジン(黄州小君)は我が子同然だと後を追うために首長の首に剣を突き付けました。すると熊の咆哮がして洞窟の中から黄州小君が出てきました。トギョンは洞窟から出て来たジンを抱きしめて泣きました。女真族は皆ジンにひれ伏しました。
あらうすじ79話 長き戦いの果て
千秋太后とキム・チヤンとの息子キム・ジン(黄州小君)は東女真村の首長に名をクム・ジュンと改めさせられて女真人の大帝国を作る皇子になりました。
千秋太后は一人生き残っているかもしれない小君のことを思うと夜も眠れませんでした。黄州小君が開京に戻れば殺され、どうすればいいかわかりませんでした。モクチョンの妃は千秋太后を母と慕いたいと太后に言うと太后もそのようにしたいと后を抱きしめました。
父の故郷を追い出されたヨヌン宮主とその娘と侍女は行く当てもなく雨に濡れていました。ヨヌン宮主はあまりの惨めさについ乱心してしまいました。
公州の節度使キム・ウンブの娘は父に顕宗の背中を流すことを命じられました。顕宗は名家の娘がそのようなことをするでないとたしなめるとキム・ウンブはこの上ない誉だと部屋の外から言いました。この娘は後に元成皇后となり次の皇帝を産みました。二女と三女も後に皇后となり11代皇帝と姫をそれぞれ産みました。
契丹軍は高麗から撤退しようとしていました。聖宗は顕宗を捕らえることをあきらめてはいませんでした。
捕虜となったハ・ゴンジンは契丹に寝返った(振りをしている)ユ内官(武人)を見て失望しました。
近くを契丹の皇帝が通過していることを知った勇将ヤン・ギュとキム・スックンの二人の将軍は勝つためではなく死ぬ覚悟で戦うよう兵士に命じました。ヤン・ギュが皆を奮い立たせると軍の士気が上がりました。
ヤン・ギュの軍は闇夜に紛れて契丹の本陣を奇襲しました。ヤン・ギュの軍は皇帝の軍と対面するとヤユル・ジョンノ将軍がヤン・ギュの一騎打ちの相手をしました。ヤン・ギュはヤユル・ジョンノを一太刀で倒しました。聖宗はヤン・ギュに弓を放ちヤン・ギュは落馬しました。その場は戦場となりヤン・ギュは聖宗を地面に倒し剣を突き付けましたが敵将に阻止されました。朝になりヤン・ギュとキム・スックンは川で契丹の兵士に囲まれてしまいました。それでも戦い続ける二人を聖宗と契丹の将軍は離れた場所から見ていました。聖宗は兵士に下がるよう命じると弓兵が二人に弓を向けました。
「最期の時が来たようだ。」
「一緒に戦えて光栄です。」
ヤン・ギュとキム・スックンの最期の言葉でした。ヤン・ギュは退却する契丹の軍に打撃を与えて亡くなりました。契丹は南下し過ぎたため高麗を征服できずに退却することになりました。契丹が退いた二か月後に顕宗は都に戻りました。
顕宗が都に戻ると人々は土下座して泣いていました。顕宗は輿を止めさせ地に降り立ち民に土下座しました。
「罪なき民が戦に巻き込まれた。謝罪して当然だろう。どうか朕(ちん)を許してくれ。二度と、悲劇が起きぬよう最善を尽くそう。ゆえに生き延びて心から感謝する。」
「皇帝陛下万歳!」
人々は両手を上げ下げして皇帝を称えました。
宮中に戻った顕宗は殉職した将軍を昇進させると臣下に言いました。キム・シモンはカン・ジョを昇進させることに反対しました。カン・ガムチャンはカン・ジョの功績は大きいと怒りだしました。テ・ドス将軍を裏切り逃げ帰った兵部尚書のタク・サジョンと刑部尚書のチェ・サウィは捕虜となり国を危機に陥れたとしてカン・ジョの昇進に反対しました。礼部尚書のチェ・ウォンシンもカン・ジョは先帝を死なせた張本人だと言いました。カン・ジョはカン・ジョに千帝殺しの罪が着せられることに反論しました。工部尚書のムン・イニはカン・ジョが無実の証拠があるのかと言いました。カン・ガムチャンと翰林学士(ハルリムハクサ)チェ・ハン以外の重臣(すべて皇帝を置いて逃げた臣下)は口を揃えてカン・ジョを悪者に仕立て上げました。カン・ガムチャンはカン・ジョのおかげで皆が生き残れたのだと力説しました。チェ・ハンは逃げた者を厳罰に処するべきだと言いました。
離宮でカン・ガムチャンから報告を受けた千秋太后は先の皇帝を殺したのはカン・ジョの昇進に反対した者たちだろうと目星をつけました。カン・ガムチャンは真相を明らかにするのは難しいと言いました。千秋太后は真相を知っている忠州宮主を殺してしまったことを後悔し裏切った臣下を厳罰に処すべきだと言いました。
ヨヌン宮主は顕宮に謁見し后を迎えることに反対しました。顕宗は子孫繁栄のために必要だと言いましたがヨヌン宮主は引き下がりませんでした。顕宗はヨヌン宮主を私室から追い払いました。
「正直に言いましょう。宮主には嫌悪を覚えます。避難の際も己の身を案じ朕を疎んだのですからね。千秋太后様に側室の件を咎められたらいくらでも考え直す。だがそちの言葉は信じられぬ。千秋太后は朕の命を救ってくれた。朕を脅すと皇后の母といえども次からは許さぬ。内官はいるか!二度とこの者を朕の許可なく通すな!」
宮廷の庭で千秋太后は追い出されたヨヌン宮主と会いました。
「澄んだ水に自分の顔を映すがよい。今の宮主の顔はまことに醜い。」
千秋太后はヨヌン宮主を冷笑して行きました。
「ネイノン!国を滅ぼし掛けた妖婦の分際で!見ておれ。娘は皇后の座を必ず守り抜く!必ず・・・!」
ヨヌン宮主は憤り過ぎて火病になり意識を失いました。
千秋太后は皇帝に会い臣下の処罰と高句麗と渤海の旧領を占領している契丹を滅ぼすことを上奏すると、顕宗は臣下の処罰も小作料の引き下げを行わなず北伐政策もやめると言いました。
「朕は領土より安定を望む。すまない。」
80話 最終回あらすじ
顕宗は国のために戦死したヤン・ギュ将軍を工部尚書に、キム・スックンを大将軍に昇格させ、テ・ドス将軍を刑部尚書に復位するよう命じました。顕宗はカン・ジョの処遇は保留にしました。亀州(キジュ)で敗北したチェ・サウイを解任され西京(ソギョン)で味方を裏切り逃亡したタク・サジョンは流刑になりました。通州(トンジュ)を守り抜いたユ・バンは兵部尚書になりチェ・ジルとキム・フンは大将軍になりました。顕宗を最後まで守り抜いたチ・チェムンは右常侍に昇格し、キム・ジョンヒョンは兵馬判官に、カン・ミンチョムは大将軍になりました。カン・ガムチャンは内使侍郎(ネサシラン)に、チェ・ハンは吏部尚書(イブサンソ)に昇進しました。
反対勢力のキム・シモンは内使侍郎から礼部尚書に降格し、チェ・スクは吏部侍郎、チェ・ウォンシンは礼部侍郎に、ファンボ・ユイは中枢院副使、チェ・チュンスンは内史舎人に、ムン・イニは工部侍郎に降格しました。
公州のキム・ウンブ(後の国舅)は工部侍郎に任じられました。
皇帝の人事に反対する者はいませんでした。
顕宗は自分を見捨てて逃げたキム・シモンになぜ罰が下されなかったか尋ねました。キム・シモンは顕宗の御恩に感謝しました。顕宗はその感謝を民に向けるべきだと言いました。キム・シモンは土下座して顕宗への忠誠を誓いました。すべての臣下も土下座して皇帝に忠誠を誓いました。
契丹では敗戦した聖宗が悔しくて腹を立てていました。聖宗は中枢院使チェ・ハンの言う通り三年待てばよかったと後悔しました。聖宗は何としても捕虜のハ・ゴンジンを臣下にするよう命じました。
千秋太后は軍服姿で東女真村の息子を訪ねました。トギョンは首長モルブラの妃の身なりをして太后を出迎えました。千秋太后はトギョンに向かって息子を失った母の気持ちはわかるだろうと情に訴えると再会を認められました。
千秋太后が息子を見るとキム・ジンはトギョンを母と慕っていました。千秋太后はトギョンに息子を返してほしいと頼みました。千秋太后はその子を皇帝にして大高麗帝国を築くと言うと、そんな夢を見ればこの子は殺されてしまうとトギョンは反対しました。トギョンは千秋太后よりも母親らしくキム・ジンを愛していました。
モルブラは村から千秋太后を追い返しました。
「この子クム・ジュンは大帝国の礎を築きます。それは高麗ではなく女真の帝国です・・・。」
トギョンは千秋太后に言いました。
(昇進した)ユ・チュンジョン(もとユ内官)はアン・ペとイ・ヒョヌンにハ・ゴンジンを今夜家に招いて説得するので協力を求めました。
夜になりユ・チュンジョンは自宅で自分の隣の席にハ・ゴンジンを招いて芸妓を同席させごちそうを振る舞いました。ユ・チュンジョンはアン・ペとイ・ヒョヌンに酒を飲むようにすすめると二人は「お前が先に飲め」と毒を盛られていることを心配しました。ユ・チュンジョンは酒を飲んで見せるとアン・ペとイ・ヒョヌンも酒を飲み上機嫌になりました。アン・ペとイ・ヒョヌンはきれいな女と家まで与えられると笑いましたが突然口から血を吐いて死にました。ユ・チュンジョンも「カン将軍の敵討ちだ。地獄に行くには寂しくなさそうだ」と口から血を吐き事切れました。
「やりました。太后様。私は、使命を果たしました。カン将軍・・・。」
ハ・ゴンジンは目の前で起きた惨劇に驚きユ・チュンジョンの行動に着想を得ました。
ハ・ゴンジンは聖宗に謁見すると臣下になることを拒絶しました。
聖宗はハ・ゴンジンの処刑を命じました。ハ・ゴンジンは弓刑に処せられました。
アン・ペとイ・ヒョヌンが死んだことでモクチョン殺しの真相は闇に葬られました。
千秋太后は小君を皇帝にするためカン・ガムチャンに力を貸すように頼みました。カン・ガムチャンは反対しました。千秋太后はキム・チヤンを愛人にしたため自分の意思や善意が踏みにじられることが屈辱でした。カン・ガムチャンは死んでいった者たちの無念に思いをはせ高麗の地を離れる道もあると説きました。カン・ガムチャンは自分が黄州小君を守ると太后に約束しました。
千秋太后は川でカン・ジョの遺灰を撒きました。
「私は夢に向かって迷いなく進めた。そなたは常に私を守ってくれていたのに私はそなたの名すら守れそうにない。カン将軍。歴史には逆徒として刻まれるかもしれない。でも悲しまないでほしい。そなたが汚名を着せられるなら、私もそなたのそばで汚名をこの身に受けよう。」
8年後、契丹のソ・ベアプが10万の兵を率いて高麗に侵攻してきました。はじめは三橋川でカン・ガムチャンの軍に敗北したものの、破竹の勢いで南下しました。しかし開京近くの金効駅でカン・ガムチャン率いる20万の高麗軍の反撃を受け退きました。高麗人の契丹への恨みは積もりきっていました。生還した契丹兵は数千のみと記録され(真偽はわかりませんが)朝鮮史上三本の指に入る大勝利でました。このときカン・ガムチャンは71歳で門下待中に任命され推忠協謀安国奉上(チュチュンhyンモアングクボンサン)という忠臣の称号を顕宗から下賜されました。
千秋太后は息子の先帝の嫁と暮らしていました。大人になったキム・ジンは千秋太后に会いに来ました。
「私はクム・ジュンです。育ての母にすべて聞きました。お元気なうちに訪ねようと思っても期会がありませんでした。」
「誰が何といおうとお前は私の息子だ。」
「はい。太后様が産みの母上です。しかし私を育てたのは平原の風と女真の勇気です。」
「ジンや。」
「太后様と亡き父上が抱いていた夢は知っています。太后様が息子を失われてもその夢は生き続けています。私があの広野であなたの夢をかなえましょう。私にできなければ私の子孫が成し遂げてくれます。それを言いたくてここに来ました。お許しください。お訪ねすることは二度とないでしょう。母上。」
クム・ジュンは太后に拝礼しました。
「わかった。お前はこの地では生きられぬ運命なのだ。そうせよ。しかしこの高麗を敵に回すでない。わかったな。この母の最後の頼みだ。」
高麗史節要睿宗10年に平州の僧クム・ジュンが逃亡し女真村の阿之古(アジゴ)村に根を下ろしたとありました。その者が金国の始祖だと記されています。また、金国の正史「金史」と宗国の「松漠紀聞」には金国の始祖は高麗の者か新羅の者だと記録されていました。
すっかり老いたカン・ガムチャンは開京の田園で団扇をあおいで顕宗の稲刈りを見守っていました。老いた千秋太后は会いに来ました。千秋太后は皇帝と一緒に稲刈りを楽しみました。
「陛下。私が若かった頃はよく雨が降ったものです。別の日には日照りで田に引く水に困ったこともあります。それらの苦難を乗り越えたのでこうして豊かに実るのですね。平和な時代が訪れたようです。今は武器を持つ者より農具を持つ者を必要とする時代です。私のような人間は世の中にもう必要ありません。」
「なにをおっしゃいますか。太后様が苦難を乗り越えたからこそ今の栄華があるのです。」
「いいえ。私はこの田の土に染み込んだ泥水です。私の時代は去りました。皇帝は国を大事に育て豊かに実らせてください。私の願いはそれだけです。」
この10年後の1029年、千秋太后は黄州明福宮で世を去りました。その二年後、顕宗も世を去りその二か月後には契丹の聖宗が世を去りました。その一か月後にカン・ガムチャンも亡くなりました。その後150年間高麗は平和な時代が続きました。
千秋太后 完。
反対勢力のキム・シモンは内使侍郎から礼部尚書に降格し、チェ・スクは吏部侍郎、チェ・ウォンシンは礼部侍郎に、ファンボ・ユイは中枢院副使、チェ・チュンスンは内史舎人に、ムン・イニは工部侍郎に降格しました。
公州のキム・ウンブ(後の国舅)は工部侍郎に任じられました。
皇帝の人事に反対する者はいませんでした。
顕宗は自分を見捨てて逃げたキム・シモンになぜ罰が下されなかったか尋ねました。キム・シモンは顕宗の御恩に感謝しました。顕宗はその感謝を民に向けるべきだと言いました。キム・シモンは土下座して顕宗への忠誠を誓いました。すべての臣下も土下座して皇帝に忠誠を誓いました。
契丹では敗戦した聖宗が悔しくて腹を立てていました。聖宗は中枢院使チェ・ハンの言う通り三年待てばよかったと後悔しました。聖宗は何としても捕虜のハ・ゴンジンを臣下にするよう命じました。
千秋太后は軍服姿で東女真村の息子を訪ねました。トギョンは首長モルブラの妃の身なりをして太后を出迎えました。千秋太后はトギョンに向かって息子を失った母の気持ちはわかるだろうと情に訴えると再会を認められました。
千秋太后が息子を見るとキム・ジンはトギョンを母と慕っていました。千秋太后はトギョンに息子を返してほしいと頼みました。千秋太后はその子を皇帝にして大高麗帝国を築くと言うと、そんな夢を見ればこの子は殺されてしまうとトギョンは反対しました。トギョンは千秋太后よりも母親らしくキム・ジンを愛していました。
モルブラは村から千秋太后を追い返しました。
「この子クム・ジュンは大帝国の礎を築きます。それは高麗ではなく女真の帝国です・・・。」
トギョンは千秋太后に言いました。
(昇進した)ユ・チュンジョン(もとユ内官)はアン・ペとイ・ヒョヌンにハ・ゴンジンを今夜家に招いて説得するので協力を求めました。
夜になりユ・チュンジョンは自宅で自分の隣の席にハ・ゴンジンを招いて芸妓を同席させごちそうを振る舞いました。ユ・チュンジョンはアン・ペとイ・ヒョヌンに酒を飲むようにすすめると二人は「お前が先に飲め」と毒を盛られていることを心配しました。ユ・チュンジョンは酒を飲んで見せるとアン・ペとイ・ヒョヌンも酒を飲み上機嫌になりました。アン・ペとイ・ヒョヌンはきれいな女と家まで与えられると笑いましたが突然口から血を吐いて死にました。ユ・チュンジョンも「カン将軍の敵討ちだ。地獄に行くには寂しくなさそうだ」と口から血を吐き事切れました。
「やりました。太后様。私は、使命を果たしました。カン将軍・・・。」
ハ・ゴンジンは目の前で起きた惨劇に驚きユ・チュンジョンの行動に着想を得ました。
ハ・ゴンジンは聖宗に謁見すると臣下になることを拒絶しました。
聖宗はハ・ゴンジンの処刑を命じました。ハ・ゴンジンは弓刑に処せられました。
アン・ペとイ・ヒョヌンが死んだことでモクチョン殺しの真相は闇に葬られました。
千秋太后は小君を皇帝にするためカン・ガムチャンに力を貸すように頼みました。カン・ガムチャンは反対しました。千秋太后はキム・チヤンを愛人にしたため自分の意思や善意が踏みにじられることが屈辱でした。カン・ガムチャンは死んでいった者たちの無念に思いをはせ高麗の地を離れる道もあると説きました。カン・ガムチャンは自分が黄州小君を守ると太后に約束しました。
千秋太后は川でカン・ジョの遺灰を撒きました。
「私は夢に向かって迷いなく進めた。そなたは常に私を守ってくれていたのに私はそなたの名すら守れそうにない。カン将軍。歴史には逆徒として刻まれるかもしれない。でも悲しまないでほしい。そなたが汚名を着せられるなら、私もそなたのそばで汚名をこの身に受けよう。」
千秋太后は息子の先帝の嫁と暮らしていました。大人になったキム・ジンは千秋太后に会いに来ました。
「私はクム・ジュンです。育ての母にすべて聞きました。お元気なうちに訪ねようと思っても期会がありませんでした。」
「誰が何といおうとお前は私の息子だ。」
「はい。太后様が産みの母上です。しかし私を育てたのは平原の風と女真の勇気です。」
「ジンや。」
「太后様と亡き父上が抱いていた夢は知っています。太后様が息子を失われてもその夢は生き続けています。私があの広野であなたの夢をかなえましょう。私にできなければ私の子孫が成し遂げてくれます。それを言いたくてここに来ました。お許しください。お訪ねすることは二度とないでしょう。母上。」
クム・ジュンは太后に拝礼しました。
「わかった。お前はこの地では生きられぬ運命なのだ。そうせよ。しかしこの高麗を敵に回すでない。わかったな。この母の最後の頼みだ。」
高麗史節要睿宗10年に平州の僧クム・ジュンが逃亡し女真村の阿之古(アジゴ)村に根を下ろしたとありました。その者が金国の始祖だと記されています。また、金国の正史「金史」と宗国の「松漠紀聞」には金国の始祖は高麗の者か新羅の者だと記録されていました。
すっかり老いたカン・ガムチャンは開京の田園で団扇をあおいで顕宗の稲刈りを見守っていました。老いた千秋太后は会いに来ました。千秋太后は皇帝と一緒に稲刈りを楽しみました。
「陛下。私が若かった頃はよく雨が降ったものです。別の日には日照りで田に引く水に困ったこともあります。それらの苦難を乗り越えたのでこうして豊かに実るのですね。平和な時代が訪れたようです。今は武器を持つ者より農具を持つ者を必要とする時代です。私のような人間は世の中にもう必要ありません。」
「なにをおっしゃいますか。太后様が苦難を乗り越えたからこそ今の栄華があるのです。」
「いいえ。私はこの田の土に染み込んだ泥水です。私の時代は去りました。皇帝は国を大事に育て豊かに実らせてください。私の願いはそれだけです。」
この10年後の1029年、千秋太后は黄州明福宮で世を去りました。その二年後、顕宗も世を去りその二か月後には契丹の聖宗が世を去りました。その一か月後にカン・ガムチャンも亡くなりました。その後150年間高麗は平和な時代が続きました。
千秋太后 完。
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感想
千秋太后全80話、とても長かったです。はっきりいって煩わしいドラマでした。歴史の記述を見るとカン・ジョは千秋太后を愛していたのではなく、むしろ憎んで蔑んでいたのではないかと思います。史実ではモクチョン殺しにカン・ジョが関わっていることは容易に想像できます(が記録に嘘があるかもしれません)。そして契丹と同盟を結んでカン・ジョを殺害させたのはキム・チヤンではなく千秋太后本人かもしれませんね。そう思うとこのドラマがどれだけ史実を歪められているかわかるでしょう。カン・ガムチャンも高麗の忠臣として描かれてますけど年号を宗ではなく契丹のものを使う約束をするなど、中国視点での見方をすると、カン・ガムチャンはある意味裏切者ですね。千秋太后は宗を裏切ったのですから儒教勢力の恨みを買うのは当然といえましょう。もしかしたら儒教勢力の背後には宗がいたのかもしれません。朝鮮にとっては宗主国がどの国かはどうでもいいのでしょう。カン・ガムチャンは高麗の忠臣というより千秋太后の忠臣といえますから立場はドラマとは大きく違うかなり狡猾な策士なんじゃないかと思います。
話はドラマに戻り、このドラマはほんとうに無茶苦茶でアドレナリン出まくりか、しらけるかのどっちかでした。気の強い女帝はチェ・シラの専売特許ともいえます。つまらないというよりは、理解し難い心情を当たり前のように描いている韓国の人の考え方に興味が湧きました。最終回は割としっかり描いているように思い稲を刈る穏やかな皇帝と太后の象徴的な姿が印象的でした。モクチョンまでの皇帝は三代続いて乱心者として描かれていましたからね。皇帝の心をかき乱したのは周囲の人間であることは設定上疑う余地もありません。制作側はおそらく暴れる主人公に視聴者が感情移入してストレス解消でスッキリ感を狙ったのかもしれませんね。主人公が暴れたほうが大人しいだけのドラマよりは面白いかもしれません。こういった不真面目で非論理的なドラマもたまには面白いですね。