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李麟佐の乱(イ・インジャのらん 戊申政変=李麟佐亂 이인좌의 난) 少論と南人の過激派イ・インジャらが英祖を廃し密豊君を武力で擁立しようとした反乱

李麟佐の乱(이인좌의 난)

李麟佐(イ・インジャ)

李麟佐(イ・インジャ)コ・ジュウォン演

李麟佐の乱(発音: イ・インジャのらん 漢字: 李麟佐亂 韓国語:이인좌의 난)は少論(ソロン)の強硬派です。少論の強硬派が中心となり一部南人(ナミン)が合流して李麟佐(イ・インジャ)が総大将となり英祖を廃位させ密豊君(ミルプングン)李坦(イ・タン)を王座に就けるべく朝鮮各地で反乱が起きました。彼らは20代朝鮮王の景宗(キョンジョン)の死に21第王の英祖(ヨンジョ)と老論派が関係したと主張しました。反乱が起きた年が英祖(ヨンジョ)4年の戊申(ムシン)だったため戊申亂(ムシンラン)とも呼ばれます。乱が起きた中心地が慶尚道(キョンサンド)の嶺南(ヨウンナム)だったため、嶺南乱(ヨンナムラン)とも言われます。

目次


発生日

1728年3月15日~4月3日

目的

政治から排除された少論と南人の一部が決起して英祖(ヨンジョ)を廃し密豊君(ミルプングン)李坦(イ・タン)を武力で王座に就けて政権を奪還しようとしました。

発端

1717年 粛宗(スクチョン)は病弱な景宗(キョンジョン)に世継ぎがいないことを心配して、密かに老論(ノロン)の先鋒である李頤命(イ・イギョム 1658年~1722年)を呼んで延礽君(ヨニングン)李昑(イ・グム)か延齢君(ヨルリョングン)李昍(イ・フォン)に後を継がせるように頼みました(丁酉獨對)。

背景

1721年(景宗1年)から1722年(景宗2年)にかけて起きた辛壬士禍(シンインサファ)という少論(ソロン)と老論(ノロン)が延礽君(ヨニングン)の世弟(セジェ)冊封問題で衝突して老論が失脚した事件の後、景宗が崩御すると英祖(ヨンジョ)が即位しました。英祖(ヨンジョ)は老論を重用したため老論派は執権(政権)を再獲得しました。

少論の急先鋒であった金一鏡(キム・イルギョン)と睦虎龍(モク・ホリョン)は1724年(景宗4年)に英祖(ヨンジョ)の即位時に処刑されました。少論派の生き残りは密かに復讐の機会を伺っていました。

英祖(ヨンジョ)は蕩平策(タンピョンチェク)という党派争いを防止する政策を行いました。英祖(ヨンジョ)は少論の穏健派を登用すると、少論は分裂して強硬派が決起しました。

1727年(英祖3年)老論の一部が失脚して政治に隙ができると、1728年の3月(旧暦)に李麟佐(イ・インジャ)、キム・ヨンヘ、鄭希亮(チョン・フィリャン)、朴弼顯(パク・ピルリョン)、李有翼(イ・ユイク)、沈維賢(シム・ユヒョン)らが主導して当時30歳であった密豊君(ミルプングン)李坦(イ・タン)を推戴して反乱を起こしました。

参加者

京中

李河 梁命夏 尹德裕など

地方

鄭遵儒(後で希亮に改名) 羅萬致 趙德奎 任瑞虎 鄭世胤 李昈 閔元普 李麟佐 申天永 金弘壽 李日佐など

李思晟 南泰徵 掌握された官軍

家丁(下僕)・奴婢、募集して集まった民、明火賊(盗賊)傭兵

経過

清州

李麟佐(イ・インジャ)はまず葬列(そうれつ)に偽装すると棺(ひつぎ)の中に武器を隠して清州(チョンジュ)城内に押し入りました。李麟佐(イ・インジャ)は兵使(ピョンサ)の李鳳祥(イ・ボンサン)、南延年(ナム・ヨンニョン)、洪霖(ホン・ニム)、營將(ヨン・チャン)らを殺して兵卒(ピョルソル)を集めました。李麟佐(イ・インジャ)は自らを大元師(テウォンス)と称して四方に檄文(げきぶん)を拡散し景宗の位牌を置いて正当性をアピールしました。李鳳祥は李麟佐に味方になるよう三度説得されましたが先祖の忠義を裏切ることはできないので断ったと伝えられています。南延年もまた敵を「吾受國厚恩、年過七十、豈從汝輩狗子叛耶?」と罵りながら死んだといわれます。

檄文の内容は、景宗(キョンジョン)の死は自然死ではなく英祖(ヨンジョ)と老論が共謀して毒殺したのであり、英祖(ヨンジョ)は粛宗(スクチョン)の息子ではないので王大妃(ワンテビ)の密調(ミルチョ)を受け、昭顯世子(そひょんせじゃ)の嫡派孫である密豊君(ミルプングン)李坦(イ・タン)を王に立て、王統を正しくするという内容でした。

すべての軍事(グンサ=兵士)は景宗(キョンジョン)を哀悼するため白い喪服を着て朝夕に位牌に向かって拝礼しました。

反乱軍は清州(チョンジュ)の木川(モクチョン)・清安(チョンアン)・鎮川(チンチョン)を経て漢陽(ハニャン)を目指し安城(アンソン)に行きましたが北上していた反乱勢力は、吳命恒(オ・ミョンホン 1673年~1728年 ※少論の大臣で1等功臣)との戦いに敗れ竹山に向かいましたが申吉萬(シン・ギルマン)や村民らに捕まり漢城に押送されました。反乱軍は官軍の忠淸兵馬虞候兼倡義使(チュンチョンピョンマオホチャンウイサ)に任命された武臣朴敏雄(パク・ミンウ 1674年~1732年)らによって上黨城(サンダンソン 現在の上党山城)で壊滅されました。残った反乱軍も大邱地方に逃げましたが戦いに敗れました。

嶺南(慶尚道)

鄭希亮(チョン・フィリャン)は祖廟の遷葬を口実に民丁を募集し、李麟佐(イ・インジャ)の弟の李熊輔(イ・ウンポ、本名は李熊佐)と共に、古縣倉(コヒョンチャン 穀物を集める倉)で挙兵して倉を解放し縣監(ヒョンガム)を投書で脅して地域を掌握しました。鄭希亮(チョン・フィリャン)は姻戚である曺聖佐(ソ・ジョンサ)一族の手を借りて陜川・涵養など四つの郡県を席巻しました。

黃璿(ファン・ソン)は李普赫(イ・シンチャン 奮武功臣)と鄭暘賓(チョン・ヤンビン)と共に官軍を率いて反乱軍を討伐しました。

反乱軍は涵養を経て全羅を越えて忠清道の反乱軍と合流しようとしましたが失敗に終わりました。

反乱軍は総勢7万にのぼり、李麟佐(イ・インジャ)の軍よりも多くの村を征服し長く持ちこたえました。

湖南(全羅道)

湖南地方の首謀者は茂長(モジャン)に流刑になっている朴弼夢(パク・ピルモン)と泰仁縣監(ヒョンガム 従六位)であった朴弼顯(パク・ピルヒョン)が首謀者となり決起しました。朴弼夢(パク・ピルモン)は少論の主要人物で最終的に参賛(チャムチャン 正二品)に昇進しましたが1724年に老論に弾劾され流刑となりました。朴弼顯(パク・ピルヒョン)は1725年と1727年に老論派に弾劾されて兄弟と共に官職を剥奪されていました。朴弼顯(パク・ピルヒョン)は決起前の1726年に李麟佐(イ・インジャ)と会って死生之交という決起の連判状に署名しました。朴弼顯(パク・ピルヒョン)は勤王兵を募集するという名目で金溝を経て全州城に向かいました。

既に集団は鄭思孝(チョン・サヒョン)の裏切りのもと崩壊しました。鄭思孝(チョン・サヒョン)は全州城の門を開くはずでしたが形勢が不利とわかると門を開きませんでした。清州の知らせを聞いた鄭思孝(チョンサヒョン 1665年~1730年)は朴弼顯(パク・ピルヒョン)の誘いに応じなかったのです。

朴弼夢(パク・ピルモン)は流刑地を脱出して合流しようとしましたがチャンリという処で捕まり斬首されました。朴弼夢(パク・ピルモン)は興德(フンドク)を経てチュ島(죽도)に潜伏しましたが金夢佐(キム・モンジャ)捕縛されて処刑されました。朴弼顯(パク・ピルヒョン)は都へ北上を試みたものの尙州(サンジュ)の營將韓㻋(ハン・ジュク)に捕らえられました。

裏切り者の鄭思孝(チョンサヒョン)は再決起を図りましたが発覚して1930年に杖殺されました。

京外(京畿道の都の外)

英祖(ヨンジョ)は京畿道の周辺でも反乱が起きている報告を受けると都の防衛を固めました。英祖(ヨンジョ)は吳命恒(オ・ミョンホン)を四路都巡撫使(サロドジュンムサ)に任命しました。朴纘新(パク・チャンチン)を都巡撫中軍(ドジュンチュングン)に任命しました。朴文秀(パク・ムンス)を従事官(チョンサガン)に任命し、三南(サムナ)地方の討伐に乗り出しました。

平安兵使(ピョンアンピョンサ)イ・サチョン、摠戎使(チョン・ユンサ)キム・ジュンギ、禁軍別將(クムグンピョルチャン)ナム・テジンらと通謀(つうぼう)して內外相應しようとしましたが、龍仁に退いていた少論の崔奎瑞(チェ・ギュソ 1650年~1735年)や金重萬(キム・ジュンマン)らの反対によって反乱計画は崩れました。

3月24日 官軍は安城・竹山の反乱軍を討伐して李麟佐(イ・インジャ)と睦涵敬(ムン・ホンギョン)らを捕らえました。

結末

反乱の首謀者は押送されて処刑され家は没落しました。密豊君(ミルプングン)李坦(イ・タン)は賜死されました(もしくは自害したとの噂)。李麟佐の幼い息子たちは官奴になりました。

その後

首謀者のほとんどは少論でしたが、英祖(ヨンジョ)は南人を特に差別しました。

短期間で終わった李麟佐(イ・インジャ)の乱は多くの南人とその支持者の故郷であった嶺南地域が政治から疎外される結果になりました。安東(アンドン)の士大夫(サデブ)など一部の地域を除いては居士の支持基盤でした。

乱の鎮圧後、英祖(ヨンジョ)は平嶺南碑という南人とその地域を差別する碑を建てて朝鮮滅亡のきっかけを作ったといわれます。

李麟佐(イ・インジャ)

李麟佐(イ・インジャ)

チョ・グァンリョル演じる李麟佐(イ・インジャ)
Youtube テバク プロモーション動画より引用
李麟佐(イ・インジャ)は李雲徵(イ・ウンジン 1645年~1717年 従二品)の孫です。南人(ナミン)の尹鑴(ユン・ヒュ 1617年~1680年 刑死)の義理の孫(ユン・ヒュの孫娘を妃に貰った)で嶺南儒林の支持を受けていました。李麟佐(イ・インジャ)は世宗(セジョン)の10代目の孫です。世宗(セジョン)の四男、臨灜大君(イミョンテグン)の9代目の孫です。

後世への影響

少論が打撃を受けたことで、老論が急伸し、ごく一部の者が政権を握る勢道政治へと繋がりました。国王の権威は失墜し滅亡の道をたどりました。乱の後50年間は慶尚道(キョンサンド)において安東(アンドン)以外の士大夫(サデブ)は科挙を受けることが禁止されました。科挙の受験が認められた後も、登用されなかったので130年後に興宣大院君(フンソンテウォングン)が科挙を廃止するまで慶尚道(キョンサンド)への差別は続きました。

ドラマ

李麟佐の乱が関係する韓国ドラマがあります。
  • ヘチ 王座への道(筆者の解説ページ)(2019年)
    • 粛宗の晩年の王位継承争いの韓国ドラマです。
    • ここドラマに登場する李麟佐(イ・インジャ)はコ・ジュウォンという色男です。
  • テバク(2016年)
    • メインキャストのチョ・グァンリョルがイ・インジャ役を演じています。
  • 秘密の扉(筆者の解説ページ)(2014年)
    • 乱のことは出て来ませんが英祖は老論と連判状を書いて景宗を暗殺したことが描かれています。

筆者の感想

韓国ドラマ「ヘチ 王座への道」で少論と老論、南人について調べていると李麟佐の乱(イ・インジャのらん)にたどり着きました。この事件について韓国語のページを翻訳しながら学びました。韓ドラを見ながら韓国の歴史について学んでいると、高麗時代の武臣政権を描いたドラマ「武人時代」もそうでしたが、力のある者が決起してクーデターを起こすという事件は割としょっちゅう起きているように思います。太祖(テジョ)が王位に就いたのも、武力で継妃の王位継承を阻んだのであり、世祖もクーデターを起こして無理やり王座を奪いました。仁祖(インジョ)もそうですし、英祖(ヨンジョ)がどうだったかはわかりませんが、他の傍系の候補を封じるだけの力はあったでしょう。高宗(コジョン)も傍系ですし、李氏朝鮮では「長子継承の原則」を掲げながらも、実際は政治力や武力で王座を奪っているという歴史があります。疫病や毒殺などで国王や大君の寿命が短かったという原因もあるでしょうが・・・王国では長男が王位を継承することの難しさというものをこの朝鮮の歴史を見て実感するところでございます。

また、儒学党争の形をとった両班の政権争いですが、どう考えても思想は利益(目的)を得るための手段となり目的と手段が逆転して思想が形骸化してしまってるようにも思いました。

興味深いところは戦の構図が地域対地域になっているところです。反乱が起きた場所は新羅と百済があった辺りです。特に新羅あたりの地域は反乱軍の主戦力があったと思われます。この辺りを三国時代の過去に関連付けて説明しようとする人もいるみたいです。

李麟佐は少論派だったのか南人派だったのか、現代では見解が分かれるようです。李麟佐の親と祖父は少論であり、妃は著名な南人の儒者の孫娘です。南人からの支持もありましたので、要するに、都合のいい側を選べた立場なのでしょう。もしも義父の李雲徵が処刑されなかったら、李麟佐は南人派を代表する人物になっていたかもしれません。


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