司憲府(サホンブ)
韓国ドラマの時代劇に度々登場する司憲府(サホンブ)という官庁とは一体どんなものでしょうか?詳しく解説したいと思います。司憲府は韓国語で「サオンブ」とも聞こえます。司憲府(サホンブ)は李氏朝鮮時代に実在した官庁です。現代日本においては検察庁と特捜部を合わせたような部署です。
概要
司憲府(発音:サホンブ 韓国語:사헌부)は高麗から李氏朝鮮時代に置かれた官庁です。言論の統制や綱紀粛正、百官の窺察(ギュチャル 규찰 監察)や弾劾・署經(ソギョン)などを管掌(かんしょう)しました。署経権(文書への署名権)も持っていたので人事や立法・法改正の際に署名を拒否(封駁)する権限も持っていました。現代日本で言えば検察の特捜部のような官庁です。
目次
由来と歴史
憲府(ホンブ)、霜臺(サンデ 상대)・烏臺(オデ 오대)・柏府(ベクブ 백부)などと呼ばれることもありました。新羅時代も司正府(サジョンブ 사정부)や內司正典(ネサジョンジョン 내사정전)という機関がありましたが、司憲府(サホンブ)の起源は秦の国の御史大夫、漢の国の御史府または御史大夫寺、後漢の御史臺または蘭臺寺、宋の御史台などを手本としていました。
高麗時代には司憲臺(サホンデ)、金吾臺(クンオデ)、監察司(カムチャルサ)、司憲府(サホンブ)などの名称と官職が度々変更され高麗末期の恭愍王(コンミンワン)の時に、司憲府(サホンブ)という名称になりました。
朝鮮が開国されると1392年(太祖1年)に司憲府(サホンブ)は高麗王朝からそのまま李氏朝鮮へと引き継がれました。1401年(太宗1年)に変更され、そのまま經國大典(経国大典、朝鮮の法律)に受け継がれました。
高麗時代には司憲臺(サホンデ)、金吾臺(クンオデ)、監察司(カムチャルサ)、司憲府(サホンブ)などの名称と官職が度々変更され高麗末期の恭愍王(コンミンワン)の時に、司憲府(サホンブ)という名称になりました。
朝鮮が開国されると1392年(太祖1年)に司憲府(サホンブ)は高麗王朝からそのまま李氏朝鮮へと引き継がれました。1401年(太宗1年)に変更され、そのまま經國大典(経国大典、朝鮮の法律)に受け継がれました。
組織(朝鮮時代)
- 大司憲(テサホン) ・・・長官。 従2品。定員1名。大臣)。
- 執義(チベ 집의)・・・副長官。従3品。定員1名。文官。
- 掌令(チャンリョン)・・・従4品。定員2名。文官。
- 持平(チピョン)・・・正五品。定員2名。文官。
- 監察(カムチャル)・・・正六品。定員13~24名。執務室は監察房。
- 書吏(ソリ)・・・事務職。~39人。
- 所由(ソユ)・・・捜査員。33人。
- 書士(ソサ)・・・書記。2名
- 軍事(クンサ)・・・兵士。3名
監察は上官とは別の部屋で勤務していました。通常は外勤であることが多く、持平(チピョン)が監察に命令していました。持平以上が上級職であるのに対し、監察以下は一般職(下級職)に相当します。
司憲府(サホンブ)の規律はたいへん厳しいものでした。上官より下官が先に出仕する規則などがありました。
特権
司憲府(サホンブ)には強力な特権が付与されており、しばしば政治に悪用されました。現代から見ればやりたい放題できる無茶苦茶で法律ですらないルールです。
- 風聞擧劾・・・噂だけで弾劾できる。
- 不問言根・・・根拠は無くても構わない。
噂を拡散した側が相手を陥れることが容易にできるという仕組みです。もしかしたらこの「噂だけで処罰できる制度」が千年の間に庶民にまですっかり浸透してしまい今の韓国などにも話を作って気に入らない相手を悪者にする習慣として伝わっているのかもしれません(※ 筆者の解釈です)。
職務内容
政治に関わる業務は持平(チピョン)以上の文官が担い、監察以下は関わることはできませんでした。監察は中央官庁や地方に派遣され、職務の遂行に誤りがないかその名の通り監察しました。監察の執務室は持平以上の役人とは別に設置されていました。
言論兩司
言論兩司とは、司諫院(サガンウォン)と司憲府(サホンブ)の両方を合わせて呼ぶ呼称で、言論を両庁が司っていました。これらの職務は以下の通りです。王や臣下、民の言論に誤りがある場合にこれを正す役割がありました。- 諫諍(カンジェン 간쟁)・・・国王の言論に誤りがある場合に正す業務です。
- 彈劾(タネ 탄핵)・・・官員を弾劾(だんがい)して役職を剥奪する業務です。
- 時政(シジョン 시정)・・・政治に関わること。文書への署名。
- 人事(インサ 인사)・・・人事に関わること。審査・署名。
朝会への参加
長官である大司憲(テサホン)は国王と重臣が会見して政治の報告と助言を受ける朝啓(チョギョ 조계)と常參(サンチャム 상참 6品以上が国王の朝の挨拶に参加できる儀式)に参加することが認められていました。また議政府(ウイジョンブ)と六曹(ユクチョ)の立法会議に参加しました。
官員の仕事
官員は侍臣(シシン 日本で言う側用人)としての役割もあり、經書と史書を解説して世子を教育するための經筵(キョンヨン、경연)に参加し、王の幸行にも随行しました。
署經(ソギョン 서경)
告身署經(文武管理の際に受職者に発行する任命書の署名)と署經依牒(立法・改法・起復など重要文書への署名)を合わせて署經(ソギョン)と言いました。国王が任命書を発行しても署經が無ければ無効になりました。
人事の際には提出された署經單子(三代にわたる父母の家世の申告書)を審査しました。不採用の場合は作不納と書いて登用しませんでした。
これら司憲府(サホンブ)と司諫院の臺諫は時政の得失を論じ、人事や法の制定が慎重に行われるようにできる署經權を行使できるため重要な役割でした。このような特質のため言官または耳目官とも呼ばれました。
署經は高麗時代に1品から9品まですべての役人の官職を審査しましたが朝鮮時代は5品以下に限られました。
人事の際には提出された署經單子(三代にわたる父母の家世の申告書)を審査しました。不採用の場合は作不納と書いて登用しませんでした。
これら司憲府(サホンブ)と司諫院の臺諫は時政の得失を論じ、人事や法の制定が慎重に行われるようにできる署經權を行使できるため重要な役割でした。このような特質のため言官または耳目官とも呼ばれました。
署經は高麗時代に1品から9品まですべての役人の官職を審査しましたが朝鮮時代は5品以下に限られました。
法司
司憲府(サホンブ)は法司としての機能を持っていました。法令の執行、百官の糾弾、罪人の鞫問、決訴などでありました。官員における罪人は王の特命で推鞫(チュグク、日本でいう鞠問)されることがありました。司憲府(サホンブ)は漢城府(ハンソンブ)、掌隷院(チャンネウォン)とともに三法司(サムボプサ 삼법사)と呼ばれました。以下のような禁令を発することができました。
- 禁獵(금렵)・・・猟の禁止。
- 禁淫祀(금음사)・・・祀典において伝統の形式から外れることの禁止。
- 禁奔競(금분경)・・・官職や利益を巡って大官(テグァン)や権力者の家に出入りすることの禁止。
- 禁僞造印信(금위조인신)・・・文書偽造の禁止。
- 禁松(금송)・・・松の伐採の禁止。
- 禁賤隷騎馬(금천례기마)・・・身分の低い者の乗馬を禁止。
- 禁濫僞(금남위)・・・(※翻訳に自信ないですが、虚偽の禁止のことだと思います。)
廃止
司憲府(サホンブ)は1894年(高宗31)甲午改革の時に廃止されました。
司憲府(サホンブ)が登場するドラマ
- ヘチ(獬豸) 王座への道(筆者解説ページ)
- ドラマの序盤で司憲府(サホンブ)の監察ハン・ジョンソク(イ・ピルモ演)という男前の熱血漢が登場します。