風の絵師の感想
風の絵師は2008年に放送された韓国ドラマです。朝鮮に実在した二人の絵師、金弘道(キム・ホンド)をパク・シニャンが演じ、申潤福(シン・ユンボク)をムン・グニョンが演じています。パク・シニャンもムン・グニョンも日本の女性に人気の韓国人俳優です。ストーリーはほぼ完全架空のファンタジーで時折本物の作品そっくりな絵が出てきます。
ここから先は完全にネタバレしますので視聴されていない方は閲覧しないほうがドラマを楽しめます。
結論から言いますと、女性視点で何とも羨ましくも切ないドラマだなと思いました。ドラマの中のキム・ホンドは絵師ですので戦うとかそういうのは無理なタイプの人間です。だから頼りない場面が幾度も演出されておりますが、絵師ならではの観察眼でユンボクという少年とも青年の間のような年ごろの絵師が女人(にょにん)であることに気づきます。
気づきますといっても、誰が見ても男装の女性は女性ってわかるのですが(笑)
何度でも胸キュン
どんな話か細かいところは忘れてしまいましたが、ユンボクのお兄さんは絵具を作っている場面があって、そのお兄さんがユンボクを見る目は弟や妹を見る目じゃなくて愛する女性を見る眼差しであったような気がします。なぜこんなことになったのか今ではすっかり忘れてしまいましたが、ユンボクは貰って来た子どもだったのかしら???確か育ての親が家門の絵師一族の名誉を輝かせるためにユンボクを利用したのでしたっけ。お兄さんの気持ちを思うと「胸キュン」です。
とにかくキム・ホンドがユンボクに妙な気持ちを抱き胸をときめかせて戸惑っている様子が「胸キュン」でした。ユンボクはそんなことも知らずに伸び伸びと図画署(トファソ)で喧嘩を売りながらキム・ホンドに守られて二人の関係は深まっていきます。
ユンボクとチョンヒャンの関係
ちょっと私でも混乱したのが妓生とユンボクの関係です。どうだったか詳しいことは忘れちゃいましたが妓生のチョンヒャンはユンボクの前で服を脱ぎました(かな?)。ユンボクはチョンヒャンのところに頻繁に通っては親交を深めています。ユンボクがチョンヒャンを好きだったのは確かな演出でしたが、それは一体どんな気持ちだったのか???同性愛の気持ちなのか?何が狙いでそんな場面を作ったのか?と作者の意図がわかりません。多分同性愛の演出を意図的に狙ったのでしょうね。
なんだかどう反応していいのやら。ユンボクはバイセクシュアルってことかしら。
なんだかどう反応していいのやら。ユンボクはバイセクシュアルってことかしら。
たびたび「胸キュン」な場面は繰り返されまます。キム・ホンドがユンボクを女性と疑い始めてからのホンドの演技。キム・ホンドに男を感じるユンボク。そしてユンボクの兄。
わざとらしい胸キュン場面だらけなんですが(汗)
それでも胸キュン・・・。
そんな感じのドラマでした。
冷静になってみれば・・・バカみたいなドラマですけどね。
兄がユンボクを好きになるのはわかるけど、オジサンのキム・ホンドが「心はまだ子ども」のユンボクを好きになっちゃうのは、ちょっと微妙な話でした。キム・ホンドはロリコンなのかな~と思ったり。ならばユンボクが女性として振舞うようになればキム・ホンドの心はユンボクから離れていくのではないか?
兄がユンボクを好きになるのはわかるけど、オジサンのキム・ホンドが「心はまだ子ども」のユンボクを好きになっちゃうのは、ちょっと微妙な話でした。キム・ホンドはロリコンなのかな~と思ったり。ならばユンボクが女性として振舞うようになればキム・ホンドの心はユンボクから離れていくのではないか?
シン・ユンボクのキム・ホンドへの気持ち
最終回、ユンボクは一緒になろうというキム・ホンドの前から姿を消します。なぜなら愛が成就してしまうとキム・ホンドの絵師としての才能が消えてしまう。そう解釈する人もいましたね?まさかユンボクはキム・ホンドの気持ちは理解できるけど、その気はなかったというのでしょうか???その可能性は大いにあり得ます。師匠が自分を愛していることに感動してユンボクが泣いたというオチも。でもやっぱりユンボクがキム・ホンドに男を感じている演出で、それがキム・ホンドへの恋心に至ったのかは確信に至るほど理解できないです。(お互い)幸せだと絵が描けなくなる、不幸をエネルギーとして利用している人にとっては、そういうこともあり得るのかなと・・・でもそいうなれば出来すぎな話でしたね。
結局、キム・ホンドがユンボクにチューするとか、その辺を演技ではっきり描いてくれないとわからないです!
美人図(ユンボクの自画像)はホンドへのお土産としてはちょっと残酷すぎやしませんかね。もう二度と会えないからこの美人図で我慢して!なんて酷いっ。それってキム・ホンドに女人(にょにん)としての自分を覚えていて欲しいという意思表示じゃありませんか。自己中ですよ、ユンボクが子どもじゃないならね。
でも特殊な事情があるからこうも解釈できます。
「女性としての自分はここにすべて置いて行きます。」
ユンボクが今後男として生きることを暗示しているとしたら、なんというか、もう女性であることを捨てるのですからキム・ホンドは現実のユンボクをあきらめざるを得ません。
そうなるとユンボクはキム・ホンドへの恋心「も」あったけど、それを置いて小屋を去ったことになります。
なのでユンボクがどれほどキム・ホンドに女として惚れていたかというと、そこまで深く惚れてはいないのではないかと思います。ユンボクがキム・ホンドに完全に惚れ込んでたら「師匠の手は温かいですね」で終わらないと思いますよ(笑)弟子としての台詞で終わったからキム・ホンドはロマンティックな場面でも・・・何事もなかったと・・・。
どっちにせよキム・ホンドにとっては酷い結末です。ユンボクが女性としての自分を置いていくのですからキム・ホンドはその気持ちを(設定上)抱かざる終えません(苦笑)ちょっと気持ち悪いですけど、ずっと女人(にょにん)のユンボクを慕うことって可能なのかしら?もう幻想なんじゃないの?キム・ホンドが心病みそうな仕打ちですがユンボクが子どもと思えばその程度だったともいえます。
実のところ、あの程度の絵ならば恋慕のエネルギーがなくて幸せでも描けるのですが(笑)むしろ幸せじゃないと人々が群れて楽しむ絵は描けないんじゃないかと思いますよ!非凡さは平凡じゃないところから生まれる、果たしてそうでしょうか?
やはり胸キュンの場面はわざとらしいです(笑)
家族と一緒に見られません。
結局、キム・ホンドがユンボクにチューするとか、その辺を演技ではっきり描いてくれないとわからないです!
美人図(ユンボクの自画像)はホンドへのお土産としてはちょっと残酷すぎやしませんかね。もう二度と会えないからこの美人図で我慢して!なんて酷いっ。それってキム・ホンドに女人(にょにん)としての自分を覚えていて欲しいという意思表示じゃありませんか。自己中ですよ、ユンボクが子どもじゃないならね。
でも特殊な事情があるからこうも解釈できます。
「女性としての自分はここにすべて置いて行きます。」
ユンボクが今後男として生きることを暗示しているとしたら、なんというか、もう女性であることを捨てるのですからキム・ホンドは現実のユンボクをあきらめざるを得ません。
そうなるとユンボクはキム・ホンドへの恋心「も」あったけど、それを置いて小屋を去ったことになります。
なのでユンボクがどれほどキム・ホンドに女として惚れていたかというと、そこまで深く惚れてはいないのではないかと思います。ユンボクがキム・ホンドに完全に惚れ込んでたら「師匠の手は温かいですね」で終わらないと思いますよ(笑)弟子としての台詞で終わったからキム・ホンドはロマンティックな場面でも・・・何事もなかったと・・・。
どっちにせよキム・ホンドにとっては酷い結末です。ユンボクが女性としての自分を置いていくのですからキム・ホンドはその気持ちを(設定上)抱かざる終えません(苦笑)ちょっと気持ち悪いですけど、ずっと女人(にょにん)のユンボクを慕うことって可能なのかしら?もう幻想なんじゃないの?キム・ホンドが心病みそうな仕打ちですがユンボクが子どもと思えばその程度だったともいえます。
実のところ、あの程度の絵ならば恋慕のエネルギーがなくて幸せでも描けるのですが(笑)むしろ幸せじゃないと人々が群れて楽しむ絵は描けないんじゃないかと思いますよ!非凡さは平凡じゃないところから生まれる、果たしてそうでしょうか?
やはり胸キュンの場面はわざとらしいです(笑)
家族と一緒に見られません。