韓ドラの時代劇によく登場する部署について。
その前に、まず李氏朝鮮(イシチョソン)についてです。
李氏朝鮮は、1392年に李成桂(イソンゲ)が武力で高麗の恭譲(コンヤン)王から王位を譲り受けてはじまったそうです。
「大風水」や「龍の涙」で高麗王朝が滅びて朝鮮が建国された様子が演劇でよく現わされています。「大風水」では爽やかなイソンゲという武将を、「龍の涙」ではジジくさいイソンゲが演じられています。イ・ソンゲが登場するドラマに「シン・ドン」というドラマもあるようです。
この李成桂が軍事クーデターにより立てた王朝を歴史では李氏朝鮮と呼びます。
中国の明王朝から李氏朝鮮に対して正式に冊封(さっぽう)を受けたのは1401年となり、途中までは明国の属国として、後半からは清国の属国としての朝鮮王朝が運営されました。
日本史では中原を制した皇帝からの冊封(さっぽう)制度になじみがなく、高校の教科書にはそのようなことは書かれていません。
冊封とは、文字通り中国王朝の中に国を作らせて統治するという発想のものでの仕組みであり、冊封された国は中華の中にいくつかある国の一つということになりました。
同時に周辺国にも中華の文化が行きわたり、文字や文明が発展していくことになりました。
筆者も韓国の歴史ドラマを見るまでは、中原、冊封という思想や制度についてまったく知りませんでした。
中原の覇王が辺境の国の王を認め主従関係を成立させることを冊封というそうで、朝鮮は長い間中原の支配下にあったことが伺えます。
臣下となった国は、元や明、清に財物や奴隷の貢物を朝貢として贈っていたようです。
日本史では遣隋使や遣唐使、日明貿易(勘合貿易)ということを習いましたね。元とは敵対していましたので元と日本との交流はほとんどなかったのかもしれません。
遣隋使や遣唐使、日明貿易で中原と日本の関係がどのような関係であったかについては習っていないので詳しくはわかりません。
また、弥生時代に倭国から奴隷を献上していたことから、倭の卑弥呼は魏にご機嫌伺いすることにより宗主国の力を利用して倭の支配を画策していたことが伺われます。
話は戻り、冊封についてですが、面白い記述があります。冊封は宗主国と近隣の支配下の国との主従関係を結ぶ仕組みですが、冊封された国は宗主国の暦を使わなければいけないそうです。
また冊封国は毎年朝貢しなければならず、宗主国が兵士を求めれば兵士を送らなければならず(そのかわり危なくなったら救援も求めることができる)、朝貢は奴隷や兵士までも搾取されますので、朝鮮の力を削がれ、民を疲弊させるものでもあったようです。「奇皇后」や「宮廷残酷史」にも元や清の冊封の様子が描かれています。
wikipediaの言葉を拝借しますと、冊封には、冊封国側が受けるメリットとしては、中国からの軍事的圧力を回避できることや、中国の権威を背景として周辺国は内側の敵に対して有利な地位を築けること、また、当時は朝貢しない外国との貿易は原則認めなかった中国との貿易で莫大な利益を生むことができる、などがあったそうです。つまり、冊封を断れば中原の辺境国が覇王に滅ぼされるということを意味していたようです。圧倒的な武力の前に、朝鮮の王は宗主国従うよりほかに選択肢がなかったと思います。「テジョヨン」では例外的に唐や契丹と戦っていましたね。「チュモン」でも漢とチュモンが戦っていました。
つまり、朝鮮は中原の覇者から搾取される時代が冊封体制の終焉である19世紀まで長く続いていたということです。
古代に冊封された国は渤海や新羅、突厥や契丹、靺鞨や吐蕃などがあったようです。
日本は遠夷(入蕃)として、貢物だけを隋や唐に不定期に納入する関係にあったようで冊封まではされていません。
李氏朝鮮の王宮についてこれから勉強する前に、冊封の知識なしでは韓国の歴史ドラマは理解できませんので、調べてみました。
その前に、まず李氏朝鮮(イシチョソン)についてです。
李氏朝鮮は、1392年に李成桂(イソンゲ)が武力で高麗の恭譲(コンヤン)王から王位を譲り受けてはじまったそうです。
「大風水」や「龍の涙」で高麗王朝が滅びて朝鮮が建国された様子が演劇でよく現わされています。「大風水」では爽やかなイソンゲという武将を、「龍の涙」ではジジくさいイソンゲが演じられています。イ・ソンゲが登場するドラマに「シン・ドン」というドラマもあるようです。
この李成桂が軍事クーデターにより立てた王朝を歴史では李氏朝鮮と呼びます。
中国の明王朝から李氏朝鮮に対して正式に冊封(さっぽう)を受けたのは1401年となり、途中までは明国の属国として、後半からは清国の属国としての朝鮮王朝が運営されました。
日本史では中原を制した皇帝からの冊封(さっぽう)制度になじみがなく、高校の教科書にはそのようなことは書かれていません。
冊封とは、文字通り中国王朝の中に国を作らせて統治するという発想のものでの仕組みであり、冊封された国は中華の中にいくつかある国の一つということになりました。
同時に周辺国にも中華の文化が行きわたり、文字や文明が発展していくことになりました。
筆者も韓国の歴史ドラマを見るまでは、中原、冊封という思想や制度についてまったく知りませんでした。
中原の覇王が辺境の国の王を認め主従関係を成立させることを冊封というそうで、朝鮮は長い間中原の支配下にあったことが伺えます。
臣下となった国は、元や明、清に財物や奴隷の貢物を朝貢として贈っていたようです。
日本史では遣隋使や遣唐使、日明貿易(勘合貿易)ということを習いましたね。元とは敵対していましたので元と日本との交流はほとんどなかったのかもしれません。
遣隋使や遣唐使、日明貿易で中原と日本の関係がどのような関係であったかについては習っていないので詳しくはわかりません。
また、弥生時代に倭国から奴隷を献上していたことから、倭の卑弥呼は魏にご機嫌伺いすることにより宗主国の力を利用して倭の支配を画策していたことが伺われます。
話は戻り、冊封についてですが、面白い記述があります。冊封は宗主国と近隣の支配下の国との主従関係を結ぶ仕組みですが、冊封された国は宗主国の暦を使わなければいけないそうです。
また冊封国は毎年朝貢しなければならず、宗主国が兵士を求めれば兵士を送らなければならず(そのかわり危なくなったら救援も求めることができる)、朝貢は奴隷や兵士までも搾取されますので、朝鮮の力を削がれ、民を疲弊させるものでもあったようです。「奇皇后」や「宮廷残酷史」にも元や清の冊封の様子が描かれています。
wikipediaの言葉を拝借しますと、冊封には、冊封国側が受けるメリットとしては、中国からの軍事的圧力を回避できることや、中国の権威を背景として周辺国は内側の敵に対して有利な地位を築けること、また、当時は朝貢しない外国との貿易は原則認めなかった中国との貿易で莫大な利益を生むことができる、などがあったそうです。つまり、冊封を断れば中原の辺境国が覇王に滅ぼされるということを意味していたようです。圧倒的な武力の前に、朝鮮の王は宗主国従うよりほかに選択肢がなかったと思います。「テジョヨン」では例外的に唐や契丹と戦っていましたね。「チュモン」でも漢とチュモンが戦っていました。
つまり、朝鮮は中原の覇者から搾取される時代が冊封体制の終焉である19世紀まで長く続いていたということです。
古代に冊封された国は渤海や新羅、突厥や契丹、靺鞨や吐蕃などがあったようです。
日本は遠夷(入蕃)として、貢物だけを隋や唐に不定期に納入する関係にあったようで冊封まではされていません。
李氏朝鮮の王宮についてこれから勉強する前に、冊封の知識なしでは韓国の歴史ドラマは理解できませんので、調べてみました。